ドナテッロ:ルネサンスを代表する彫刻家

ドナテッロは1386年にイタリア、フィレンツェに生まれた画家です。立像や浅彫りのレリーフ作品を制作した彫刻家として知られており、ルネサンスにおけるもっとも重要な彫刻家の一人として今なお研究の対象となり続けています。また透視図法を使用した錯視的な表現をもちいて新しい作品を制作したことでも知られており、後世の芸術家たちに多大な影響を与えました。そんなドナテッロの生涯と作品とはどのようなものだったのでしょうか。

■ドナテッロとは

ドナテッロは本名をドナート・ディ・ニッコロ・ディ・ベット・バルディといい、1386年頃にイタリア・フィレンツェに生まれました。父親ニッコロ・ディ・ベット・バルディは毛織物ギルドの一員であったといわれています。ドナテッロの修業は幼いころから出入りしていた金細工師の工房からはじまったのではないかといわれていますが、実際のところは資料が少なく、彫刻家ロレンツィオ・ギベルティの工房で一時的に働いていたことについては研究者の間でも意見の一致をみています。

1404年から1407年になると、習作の制作や彫刻制作助手といった職を得て芸術家として生計を立てられるようになります。そんな中生み出された作品はフィレンツェの人々に高く評価され、徐々に金細工師として生計を立てるようになっていきました。ドナテッロはこのころフィリッポ・ブルネレスキとも行動を共にしており、二人は同じく金細工師や彫刻家としてのちのイタリア・ルネサンスを担うことになります。

その後ドナテッロはサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のサン・ジョヴァンニ洗礼堂の北側扉の装飾の仕事を引き受けるにあたって、ロレンツィオ・ギベルティと争うことになります。最終的にこの仕事を勝ち取ったのはドナテッロでした。このため、1409年から1411年にかけては《福音書記者聖ヨハネ像》を制作。これまでの後期ゴシック様式とは異なる自然主義にのっとった自然な人物表現がなされた大作はフィレンツェの人々の注目を集め、徐々にドナテッロの名声は高まっていきました。

また1406年からはサンタ・クローチェ聖堂の《キリスト磔刑》も制作しています。作中で表現されるキリストの姿は半開きの目と口という、荘厳なキリストというイメージからはかけ離れた人間らしいキリストを表現したもので、特に十字架からずり落ち苦痛に耐える写実的な表現はこれまでにない、ルネサンス時代の表現を先取りするものでした。

その後は1411年から1413年にかけて麻織物組合の依頼でオンサンミケーレ教会に設置する《聖マルコ像》を、また1417年には甲冑制作組合のために《聖ゲオリギオス像》を制作。また1425年から1427年にかけてはミケロッツオ・ディ・バルトロメオと共同でヨハネス23世の霊廟制作にも従事しています。

(Public Domain /‘Posthumous portrait of Cosimo de’ Medici’ by Agnolo di Cosimo. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

こうして教皇庁を含む多くの有力者から依頼を受けるようになったドナテッロでしたが、その中でももっとも重要なパトロンであったのがフィレンツェの銀行家コジモ・デ・メディチでした。コジモ・デ・メディチは当時芸術家の庇護者としても知られており、1430年ごろにメディチ・リッカルディ宮殿に設置するダビデのブロンズ像を依頼し、現在ではドナテッロの代表作として知られています。

1433年にはコジモ・デ・メディチが追放されたこともあってか、ドナテッロはローマに滞在し、その後はコジモ・デ・メディチが戻るのと同時にフィレンツェに帰還。1434年5月にはミケロッツオ・ディ・バルトロメオとの最後の共同作業となるプラート大聖堂の仕事に着手します。

また1433年にはヴェネツィア軍総司令官であったガッタメラータの記念像を制作するために、パトヴァに赴きます。《ガッタメラータ騎馬像》はルネサンス期に制作された最初期の騎馬彫刻像となり、その後の騎馬像の原点となる作品になりました。またパドヴァ滞在中にはサンタントーニオ・ダ・パードヴァ聖堂に設置する作品も制作していたようで、1444年から1447年にはブロンズの《キリスト磔刑像》や《聖母子像》などを制作。そのうち6人の聖人のレリーフは1895年に修改築がおこなわれたことにより、現在は見られなくなっています。

(Public Domain /‘Judith and Holofernes’ by Donato di Niccolò di Betto Bardi. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

1453年にドナテッロはフィレンツェに戻り、シエナ大聖堂からの依頼で《ユディットとホロフェルネス》を制作。その後はサン・ロレンツィオ教会のブロンズ製説教壇を制作したものの、1466年に死去。サン・ロレンツィオ教会のコジモ・デ・メディチの墓の隣に葬られています。

■ドナテッロの作品

ドナテッロは初期ルネサンスにおいて写実的な表現、かつ解剖的にも正確な彫刻作品を数々制作したことで有名な彫刻家です。また裸体で立つダビデ像は古代以来の初の裸体像としても知られており、イタリア・ルネサンスにおける新しい表現を開拓した芸術家とも言えるかも知れません。そんなドナテッロの作品とは、どのようなものだったのでしょうか。主要な作品を中心にご紹介します

・《聖ゲオルギウス》 1415年-1417年

本作品は1415年から1417年に制作された作品で、現在はバルジェロ美術館に所蔵されています。主題となっているのは兵士の守護聖人である聖ゲオルギウスです。この像はすぐに高い評価を受け、今でも15世紀イタリア彫像の傑作の一つとして認識されています。

聖ゲオルギウスは、鎧と盾を身にまとった騎士として作られています。コンパクトで静物的な身体の構造によって、首の腱、眉毛のゆがみ、瞳孔が表情豊かに強調されています。完璧なプロポーションを持つその姿は、調和のとれた輪郭と自然さを特徴としています。この作品は、その強いリアリズムと、宗教的ではない純粋に軍事的な人物としての表現が際立っています。まるで見張り番をしている兵士のような表情や態度です。

・《ダビデ》 1440年以降

本作品は1440年以降に制作された作品で、現在はフィレンツェのバルジェロ美術館に所蔵されています。宿敵ゴリアテを倒した後の英雄ダビデが、体に比例して大きく見える剣を持ち、誇らしげに微笑んでいます。古代ローマ以降初の男性の裸体像として、大理石で作られました。

ダビデは帽子とブーツ以外は何も身につけておらず、帽子の上には古代ローマの勝利のシンボルである月桂樹がのせられています。肉体の表現は非常にリアルで、ルネサンスの自然主義における代表的な例です。首を切られたゴリアテの頭の上に片足を乗せて立つ彼の体は、しなやかに見えます。小柄で力強そうではないため、彼の勝利が神の助けによるものであることを暗示しています。

■おわりに

ドナテッロは初期ルネサンスを代表する彫刻家として、《ダビデ像》をはじめとした数々の傑作を制作した芸術家です。ローマで古代彫刻制作にあたったことや、また内面性までも表現するかのような彫刻表現はルネサンス彫刻の先駆けともいえるものであり、のちの芸術家たちに多大な影響を与えました。

現在ドナテッロの作品はフィレンツェを中心としたイタリア各地に設置されており、現在も研究対象として注目を集めています。その精巧かつ人間味あふれる表現は、世界中から訪れる人々を魅了し続けています。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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