マソリーノ:国際ゴシック様式からルネサンスを生きた画家

(Public Domain /‘Illustratio from “Le Vite”’ by Giorgio Vasari . Image via WIKIMEDIA COMMONS)

マソリーノ、本名トンマーソ・ディ・クリストファノ・フィーニは1383年イタリアのアレッツォ県のパニカーレ・ディ・レナッチという町というに生まれました。同時代に活躍したマサッチオが三次元的な描写でルネサンスらしい優美な表現の作品を描いた一方で、マソリーノは国際ゴシック様式の作品を描き、厳粛な作風の作品を残しました。そんなマソリーノの生涯と作品とはどのようなものだったのでしょうか。

■マソリーノとは

マソリーノは1383年、イタリア・アレッツォ県サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノのパニカーレ・ディ・レナッチという町で生まれました。本名はトンマーソ・ディ・クリストファノ・フィーニといい、画家として活動する際にはマソリーノ、またはマソリーノ・ダ・パニカーレという名前を使っていました。

マソリーノの経歴は資料の少なさもあり、明らかになっている点は少ないものの、ロレンツィオ・ギルベルティのもとで修業したのではないかという説があります。ギルベルティはフィレンツェ洗礼堂の天国の扉の作者であり、当時のフィレンツェ随一の芸術家でもありました。ギルベルティの工房からはドナテッロやパオロ・ウッチェロ、ミケロッツオ・ディ・バルトロメオといった次世代を担うことになる優れた芸術家が輩出されたことから、ギルベルティは教育者としてもすぐれた人物であったといえるでしょう。そんなギルベルティの工房でマソリーノは修業を積み、1423年40歳の時にフィレンツェの聖ルカ組合に画家として登録することになります。

1424年にはフェリーチェ・ブランカッチから注文を受け、フィレンツェにあるサンタ・マリア・デル・カルミネ聖堂ブランカッチ礼拝堂の壁画制作に取り掛かることとなります。この仕事の際には弟子と推定されるマサッチオと取り組んだといわれていますが、そもそもマサッチオは弟子ではなかったという説もあり、真偽のほどは定かではありません。またマソリーノは1425年から1427年ごろまでハンガリーに滞在していたため、ブランカッチ礼拝堂の壁画制作は中断されていましたが、1427年に再開。その国際ゴシック様式の流れをくむ厳粛な壁画は、マソリーノの代表作となりました。

(Public Domain /‘baptism of christ’ by Masolino da Panicale. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

マソリーノは生涯フィレンツェを活動の拠点としましたが、ローマや北イタリアでも制作を行っており、1435年にはブランダ・ダ・カスティリオーネ枢機卿の注文で北イタリアのカスティリオーネ・オローナにある洗礼堂に連作壁画を描く仕事を請け負っています。この作品は洗礼者ヨハネの生涯をモチーフにしたもので、遠近法の使用にいたってはややぎこちなさが残るものの、安定した構図と調和のとれた色彩による美しい作品となっています。

こうして作品制作に取り組んでいたマソリーノでしたが、フィレンツェのドゥオーモに所蔵されている1440年の故人名簿に名前があるため、このころに亡くなっていたと考えられています。

■マソリーノの作品

マソリーノは国際ゴシック様式から初期ルネサンス様式に移行する時期に活躍した画家であり、初期は繊細な色彩が特徴的な国際ゴシック様式の要素が見られるものの、徐々にルネサンス的な解剖学に則った人体表現や遠近法を駆使した空間描写が見られるようになります。そのターニングポイントとなったのはブランカッチ礼拝堂においてマザッチオと共同制作を行ったためと考えられており、共同制作を通してマソリーノが新しい表現を習得したいたことが伺えます。そんなマソリーノの作品とはどのようなものだったのでしょうか。主要な作品を中心にご紹介します

・《地上の楽園のアダムとエヴァ》 1424年

(Public Domain /‘Adam and Eve’ by Masolino da Panicale . Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1424年ごろに制作された作品で、フィレンツェのサンタ・マリア・デル・カルミネ聖堂のブランカッチ礼拝堂に設置されています。描かれているのは、アダムとエヴァが裸で隣り合わせに立ち、女性の顔をした蛇が差し出す禁断の果実を食べようとしているところです。

うっとりするほど美しい顔をしているエヴァは、悪魔の蛇が巻きついている木を抱きしめています。アダムは、その左手からもわかるように、禁断の実を口にすることをためらっているように見えます。人物の身振りやスタイルには、後期国際ゴシック様式に基づいた宮廷的な表現が見受けられます。緩やかな線で描かれたふっくらとした人物は包み込むような印象を与える一方、暗い背景が身体を官能的に際立たせ、まるで宙に浮いているかのようです。

・《跛者を治癒する聖ペテロとタビタの蘇生》 1424年

本作品は1424年に制作された作品で、ブランカッチ礼拝堂の壁画の一点にあたる作品です。描かれているのは、聖ペテロとヨハネが神殿に入ろうとしているところで、歩けない乞食に遭遇し、ペテロがその人を癒す直前の場面と、貧しい人々のために衣服を作っていた慈悲深い女性が、命を一度落としたにもかかわらずペテロの手によってよみがえさせられる場面です。

新約聖書の中では出来事二つの出来事は同時に起こったことではありませんが、作者はこの出来事を同じ空間に描き、中心に消失点を持つ一点直線的な遠近法を可能にしました。家々の前の背景に描かれた人物の存在が、二つの出来事を都市の生活の中での日常の出来事のように見せています。

広場は現代のフィレンツェの広場のようであり、背景の建物は、実際に現存する建物を正確に描写したものではありませんが、今日でも私たちが知っているようなフィレンツェ建築の思想を伝えています。広場とは異なる通りの舗装も、純粋なリアリズムで表現されています。

■おわりに

マソリーノは国際ゴシック様式から初期ルネサンス時代にかけて活躍した画家であり、初期は繊細な色彩をもちいた国際ゴシック様式の作品を制作していたものの、マサッチオとの共同制作から徐々にルネサンスらしい優美な表現の作品を制作するようになっていきます。また人物表現においても解剖学に則った人体表現や豊かな感情表現が用いられるようになり、そうした表現はのちの画家たちに多大な影響を与えることとなりました。マソリーノに影響を与えたマサッチオは1428年27歳に満たない若さで亡くなることとなりますが、マサッチオの表現はマソリーノを通して後世に引き継がれたのです。

マソリーノの作品はフィレンツェやローマ、北イタリアといったイタリア各地の教会や聖堂に所蔵されており、その国際ゴシック様式の表現で描かれた優美な表現は、今も世界中から訪れる人々を魅了し続けています。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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