フラ・バルトロメオ:古典的な祭壇画を描いた画家

(Public Domain /‘Portrait of Fra Bartolomeo’ by Unknown author. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

フラ・バルトロメオは1472年フィレンツェに生まれた画家です。同時代に活躍したレオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロなどに影響を受け、ルネサンス時代らしいのびやかな人物像を描いたことで有名な画家であり、イタリア各地の教会や制度の祭壇画を制作したことで有名です。そんなフラ・バルトロメオの生涯と作品とはどのようなものだったのでしょうか。

■フラ・バルトロメオとは

フラ・バルトロメオ、本名バッチョ・デッラ・ポルタは1472年、フィレンツェに生まれました。バルトロメオという名前は1500年に名乗るようになったといわれています。

1482年バルトロメオが10歳のときにはフィレンツェのサン・マルコ会修道院の修道士に着任したものの、バルトロメオは幼いころから芸術に関する素養を見せており、1483年から4年にかけてベネデット・ダ・マイアーノの推薦で、コジモ・ロッセリの工房で見習いをすることになります。コジモ・ロッセリは当時フィレンツェでもっとも評判が良かった画家であり、弟子たちの中にはピエロ・ディ・コジモやドメニコ・ギルランダイオ、フィリッピーノ・リッピなどが含まれていました。こうした仲間たちに囲まれてバルトロメオは画家としての実力を身に付けていきました。そんな中、1491年頃には同じくロッセッリのもとで修業したアルベルティネッリと親睦を深め、共同で工房を開いています。

そうして着実に画家としての地位を高めていたバルトロメオでしたが、当時ドミニコ会の急進派であるジローラモ・サヴォナローラらがメディチ家を批判し民衆を扇動しており、フィレンツェは混乱のさなかにありました。サヴォナローラは説教壇から激烈な言葉でフィレンツェの腐敗ぶりやメディチ家による実質的な独裁体制を批判し、信仰に立ち返るよう訴え、市民を感激させました。バルトロメオはそんなサヴォナローラに傾倒するようになっていき、絵画を贅沢品、堕落したものと考える主張に影響を受けます。数年間は絵筆を執らず、制作を再開したのは1504年に修道院内の工房の代表者となってからでした。

(Public Domain /‘French troops under Charles VIII entering Florence 17 November 1494’ by Francesco Granacci. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

絵画制作を再開してまもなく、彼はフィレンツェに拠点を移したラファエロに出会い、交流を結びました。バルトロメオは自分より10歳以上年少のラファエロから遠近法の技法を学んだのです。一方、ラファエロもバルトロメオから色彩や衣服のひだの描写の面で影響を受けており、ラファエロの画風はバルトロメオとの出会い以降変化しているのが認められます。

バルトロメオの作品は、ラファエロはもちろん、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロといったルネサンスの3大巨匠から影響を受け、サヴォナローラ時代の固い表現からルネサンスらしい柔和な表現に変化していきました。また1508年にはヴェネツィアに滞在したことが分かっており、ヴェネツィアの華麗な色彩表現もまたバルトロメオの作風に取り入れられるようになっていきました。

そうして数々の作品を制作していたバルトロメオでしたが、1517年にはイチジクを大量に食べたことで熱を出し、44歳で亡くなっています。

■フラ・バルトロメオの作品

バルトロメオの作品の特長は人物が小さく描かれることであり、そのことから力量不足の画家として批判する専門家もいます。しかし聖人たちの表情や繊細な色彩、衣服のひだといった表現はバルトロメオが大変優れた画家であったことを示しています。またバルトロメオははじめて関節の曲がる人形を用いて人物のポーズ研究を行った画家としても知られており、10歳も年少であったラファエロから教えを受けたことを考えると、研究や学びに貪欲な画家であったといえるかもしれません。そんなバルトロメオの作品とはどのようなものだったのでしょうか。

・《聖ベルナルドゥスの幻視》 1504年

(Public Domain /‘Vision of St Bernard with Sts Benedict and John the Evangelist’ by Fra Bartolomeo. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1504年に制作された作品で、現在はフィレンツェのウフィツィ美術館に所蔵されています。フラ・バルトロメオが修道士になってから初めて描いた大作で、聖ベルナルドゥスの前で止まっている天使の群れに乗って、左から右へと堂々と運ばれていく聖母の姿が描かれています。

立っている聖人たちは、彼らの前で繰り広げられる神秘の証人としての役割を果たしています。背景の二つの場面は、図像学を補足しています。この祭壇画は、フラ・アンジェリコやロレンツォ・モナコの後期トレチェントや初期クアトロチェントを想起させる、鮮やかな色彩効果によって描かれています。

・《ジローラモ・サヴォナローラの肖像》 1497年-1498年

(Public Domain /‘Portrait of Girolamo Savonarola’ by Fra Bartolomeo. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1497年から1498年の間に制作された作品で、現在はサン・マルコ美術館に所蔵されています。描かれているのはドメニコ会の修道士ジローラモ・サヴォナローラで、暗い背景に浮かび上がるような横顔が特徴的な作品です。

フェラーラ生まれのジローラモ・サヴォナローラは、しばらくの間、サン・マルコ修道院の司祭を務めていた人物です。世俗的なものを嫌悪し、最高の宗教的理想を持っていた彼は、説教によってフィレンツェの堕落した生活様式を非難し、次にローマの教会階層を非難しました。この行動で数々の非難を無視し、危険を軽視した彼は死刑を宣告され、仲間の修道士であるドメニコ・ダ・ペシアとシルベストロ・マルフィと共に、1498年5月23日にシニョーリア広場で首を吊って焼かれました。

ドミニコ会に入ったバルトロメオは、おそらくサヴォナローラが生きている間にこの肖像画を描いたのでしょう。黒い背景に暗いフードのかぶって描かれた、禁欲者の鋭い横顔が描かれています。肖像画の下のパネルに書かれたラテン語の碑文は、この修道士が預言者であると考えられていたことを証明しています。

■おわりに

フラ・バルトロメオは初期ルネサンスから盛期ルネサンスにかけて活躍した画家であり、その古典的な宗教画は当時から高い評価を受けていました。バルトロメオはジローラモ・サヴォナローラの説教に影響を受け、異教をモチーフとした作品制作を放棄、また自らも修道士として生きるようになるなど、画家としてのキャリアにおいて大きな影響を受けたことでも知られています。

その後はラファエロをはじめとしたイタリア・ルネサンスの巨匠たちやヴェネツィア派の影響を受けて鮮やかな作品を制作しましたが、もしサヴォナローラがフィレンツェに登場することがなかったらバルトロメオの画風はどのように変化していたのでしょうか。

フラ・バルトロメオの作品はフィレンツェの美術館や聖堂に所蔵されており、現在も世界中から訪れる人々を魅了し続けています。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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