コレッジョ:バロック時代に大きな影響を与えたルネサンスの画家

(Public Domain /‘Antonio Allegri da Correggio ’ by Antonio Allegri da Correggio . Image via WIKIMEDIA COMMONS) 

コレッジョは1489年ごろ北イタリアのコレッジョで生まれた画家です。後期ルネサンスにおいて崇高なテーマを幻想的かつダイナミックに描くことに優れていた画家であり、その表現はのちのバロック美術に大きな影響を与えました。そんなコレッジョの生涯と作品とはどのようなものだったのでしょうか。

■コレッジョとは

コレッジョ、本名アントニオ・アッレグリ・ダ・コレッジョは、1489年ごろ北イタリアのモデナの近くにあるコレッジョで生まれました。「コレッジョ」という名前は、当時の慣習に倣って生まれ故郷の名前にちなんだあだ名であったと考えられます。

コレッジョの初期の修業時代の記録はほとんど残っていないものの、父親の兄弟であったロレンツィオ・アレグリやアントニオ・バルトロッティから最初の指導を受けたのではないかといわれています。1503年から1505年にかけてはモデナのフランチェスコ・ビアンキのもとに出入りし、ビアンキからは古典的な主題や画法について学んだと考えられています。

1506年ごろにはマントヴァに移り、マンテーニャの厳格な画風の影響を受け、徐々に荘厳な宗教画を描くようになっていきます。また1516年以降、パルマに居を移しており、サン・パオロ尼僧院の天井画やサン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ聖堂の天井画などを手がけていたことが分かっています。

コレッジョはこうした天井画において遠近法の一種にあたる短縮法や、天井に空いた穴から本物の空を見上げているような錯視的な表現を用いており、当時の人々を驚かせました。こうした表現はマンテーニャから影響を受けたものと考えられます。

(Public Domain /‘Madonna and Child with Sts Jerome and Mary Magdalen’ by Antonio Allegri da Correggio. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

その後パルマのサンタントニオ聖堂の《聖ヒエロニムスのいる聖母》を制作。同作品にはそれまでのルネサンス絵画には見られなかった崇高なイメージが表現されており、こうした表現はのちのバロック美術に引き継がれていくこととなります。またスフマートを応用した技法を用いていたことでも有名で、盛期ルネサンスの巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチから影響を受けていたと考えられます。

1529年に妻を亡くすと、コレッジョは生まれ故郷に戻り、1534年に40歳半ばで亡くなりました。コレッジョの人生は比較的短いものであったものの、後期ルネサンスからバロック美術への架け橋となったという点では多大な貢献をもたらしたといえるでしょう。

■コレッジョの作品

コレッジョの作品はルネサンスらしい聖人たちの優美で調和の取れた表情の中にどこか宗教的な崇高さを表現したものであり、のちのバロック美術に多大な影響を与えました。その表現はマンテーニャやアレグリ、ビアンキ、そしてレオナルド・ダ・ヴィンチらの作風から学んだものであり、複数の様式を取り入れた結果生み出されたものです。そういった意味では、コレッジョは師や同時代の画家を意識して自らの画風を確立しようとしていたといえるでしょう。そんなコレッジョの作品とはどのようなものだったのでしょうか。主要な作品を中心にご紹介します。

・《聖母子と聖ヨハネ》 1515年-1517年

(Public Domain /‘Madonna and Child with the Young Saint John’ by Antonio Allegri da Correggio. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1515年から1517年に制作された作品で、現在はプラド美術館に所蔵されています。描かれているのは洞窟の中の聖母子と聖ヨハネで、柔らかな輪郭と聖母の謎めいた微笑みはレオナルド・ダ・ヴィンチを彷彿とさせます。

コレッジョは、その短いキャリアのほとんどをイタリア北部の都市パルマで過ごし、ルネサンス芸術の中心地から離れていたことで、驚くほど革新的な作品を生み出すことができました。コレッジョはここで、他の巨匠からの教訓を吸収しながら、自らのスタイルを確立していきました。

ピラミッド型の人物配置は、ラファエロの盛期ルネッサンス様式を彷彿とさせ、遠くの風景をアクセントとさせるこの作品は、コレッジョが北欧の先例を意識していたことを物語っています。人物の穏やかな官能性と、視線から溢れ出る優しさは、コレッジョならではのものです。光と影と色を使って画面を優しく照らし、肌や布地はベルベットのような質感を帯びているように見えます。

・《東方三博士の礼拝》 1515年-1518年

(Public Domain /‘Adoration of the Magi’ by Antonio Allegri da Correggio. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1515年から1518年にかけて制作された作品で、現在はブレラ美術館に所蔵されています。描かれているのはイエス降誕を知った東方の三博士が乳香、没薬、黄金を献上する場面であり、中世から好まれて描かれてきた主題です。構図の複雑さと人物の歪んだポーズは、コレッジョが初期マニエリスムの作品に興味を持っていたことを表しています。

意図的に左右非対象に構成されていながら、丁寧にバランスが撮られているシーンです。柱列として拡がるポーチの階段の上には、膝の上に幼子イエスをのせた聖母マリアが座っています。マリアの後ろの低い壁にはツタがはっていて、魂の不滅の象徴となっています。また、マリアの頭上には、智天使のグループが描かれています。

・《キリストの生誕に立ち会う聖エリザベスと幼き聖ヨハネ》 1512年-1513年

(Public Domain /‘Nativity with St Elizabeth and the Infant John the Baptist’ by Antonio Allegri da Correggio. Image via WIKIMEDIA COMMONS

本作品は1512年から1513年に制作された作品で、現在はブレラ美術館に所蔵されています。依頼主も元々の目的も不明な作品ですが、ルネサンス期の絵画で、これほどまでに象徴性と絵画的な詩情の強さを達成した作品は稀であると言えます。

右手に小さな小屋がある開放的な風景を舞台に、木々の葉を動かす風や遠くの山を覆う湿った霧など、大気の要素が豊かに描かれています。右側には、赤いドレスに身を包んで青と緑のマントを手にした聖母がいます。さらに右奥に進むとヨセフは眠っており、イエスの生誕に彼が積極的でない役割を果たしたことを示しています。珍しいのは、小さな洗礼者ヨハネを膝の上に乗せた聖エリザベスの存在で、隠修士に扮して礼拝に参加しています。

■おわりに

コレッジョはイタリアのコレッジョに生まれ、ルネサンス時代の優美で調和の取れた表現に崇高なイメージを取り入れたことで有名な画家です。その表現はバロック美術を生み出すことになり、のちの画家たちに多大な影響を与えました。またコレッジョ自身他の画家から学ぶことに貪欲だった画家で、師であったアレグリやビアンキ、またマンテーニャやレオナルド・ダ・ヴィンチの作品を参考にした形跡がさまざまな作品に見られます。こうして複数の画風を学び、それらをひとつの作品に調和させたコレッジョの画力は当代稀なものといえるでしょう。

コレッジョの作品はブレラ美術館をはじめとしたイタリア各地の美術館に所蔵されており、現存する資料が乏しいものの、現在も研究が続けられています。またそのルネサンスからバロック時代にかけての過渡期にあたる表現は、ほかにない魅力を有するものであり、世界中から訪れる人々を魅了し続けています。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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