サラエボ(ボスニア・ヘルツェゴビナ):偉大な映画監督、エミール・クストリッツァの生誕地

世界三大映画祭すべてで受賞経験を持つ、偉大な映画監督『エミール・クストリッツァ』。『パパは、出張中!』などの代表作で知られる人物です。映画学校で才能を開花させてから、ヒット作を多く手がけてきました。その名前をご存知の方も多いでしょう。そんなエミール・クストリッツァの生まれた場所が、ヨーロッパ南東に位置する国ボスニア・ヘルツェゴビナの首都『サラエボ』です。それぞれの魅力を、詳しくお伝えしていきます。

世界三大映画祭のすべてで受賞!映画監督『エミール・クストリッツァ』

『エミール・クストリッツァ(Emir Kusturica)』は、ボスニア・ヘルツェゴビナ(出生当時はユーゴスラビア)の首都であるサラエボ出身の映画監督。俳優でもあり音楽家で、カンヌ国際映画賞のパルム・ドール賞を2回受賞しているほか、ベルリンとヴェネツィア映画祭での受賞経験もあります。題材としては内戦などの重たいものを選びつつ、ユーモアも溢れる作風は、世界から多くの支持を集めてきました。

1954年に誕生したエミール・クストリッツァ。その両親はムスリムであったといいます。情報省に勤める父親と、裁判官の事務官を務めていたという母親。比較的裕福な家庭で育ったエミール・クストリッツァは、プラハの映画学校に入学してから、すぐにその才能を開花させました。初めて制作した短編映画が、校内で賞を受賞したのです。1981年には初めての長編映画でヴェネツィア映画祭の新人賞を受賞し、一躍脚光を浴びました。1990年にはアメリカに移住し、コロンビア大学の映画学科の講師にも就任しています。

1985年に制作した『パパは、出張中!(Otac na sluzbenom putu)』は、カンヌ国際映画祭の最高賞であるパルム・ドールを受賞。1995年に制作したユーゴスラビアの歴史を描いた作品『アンダーグラウンド(Underground)』では、2度目のパルム・ドールを受賞しています。そのほか、映画の撮影で使用したセルビアの村を買い取り、映画学校などを設立したことも有名でしょう。そんなエミール・クストリッツァの故郷が『サラエボ』です。

エミール・クストリッツァの故郷、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都『サラエボ』

『サラエボ(Sarajevo)』は、ヨーロッパ南東に位置する国ボスニア・ヘルツェゴビナの首都。国内で最大の人口数を誇る大都市でもあります。気候は大陸性で年間を通して温暖、平均気温はおよそ10度です。森林と丘陵地帯、豊富な山々に囲まれたサラエボは、観光地としても近年注目を集めている人気の街。周囲を囲む山々のうちの4つは、1984年に開催された冬季オリンピックの舞台にもなりました。現在でも当時の施設は残されていますよ。

起源は先史時代、ブトミル文化まで遡ることができるというサラエボの地。ローマ帝国による統治の後、7世紀にはゴート人やスラヴ人によって征服され、オスマン帝国に支配された歴史もあります。1945年のナチス支配からの開放後からは急速な発展を経験してきました。1992年〜1995年には独立を巡っての内戦が激化、その爪痕は未だに街中に残されています。しかし、現在のサラエボは復興を遂げ、観光地としての魅力を増してきています。

サラエボの見所

多民族、多文化が共生しているサラエボ。街中にはキリスト教の教会やイスラム教のモスク、中東の雰囲気が香る旧市街など、幅広い魅力を備えた見所があります。サラエボの象徴である『サラエボ大聖堂』や歴史や文化を現在に伝える『2つの博物館』、国内最大のモスクである『ガジ・ヒュースレフ・ベイ・モスク』は、その代表でしょう。そのほか、旧市街の中心地『バシチャルシア』なども見逃せません。サラエボの見所をご紹介します。

サラエボの象徴『サラエボ大聖堂』

『サラエボ大聖堂(Katedrala Srca Isusova)』は1889年に完成した、サラエボで最大の教会です。正式名称は『イエスの聖心大聖堂』といい、キリストの聖心(人類に対する愛の象徴)を称えて建造されました。ネオ・ゴシック様式を用いたサラエボ大聖堂の最大の特徴は、2本設置された尖塔でしょう。時計台の役割も兼ねている尖塔は、美しく左右均等に配置されています。正面中央に設置された見事なバラ窓も、美しい印象を加速させます。

1992年〜1995年にかけて続いたボスニアの内戦。サラエボ大聖堂もこの内戦時には大きな損傷を負ったといいます。しかし、終戦後に見事な復興が施され、現在は美しい佇まいを取り戻しました。この荘厳な大聖堂は、パリにあるノートルダム大聖堂をモデルにしたともいわれています。また、その姿はサラエボの県章や市章に描かれていますよ。機会があれば、ぜひチェックしてみてください。街の象徴である大聖堂は絶対に見逃せませんよ。

サラエボの歴史や文化を知るならこの2つの博物館へ

激動の歴史を辿ってきたボスニアとその首都であるサラエボ。その歴史の変化を体感するなら、ぜひ『ボスニア・ヘルツェゴビナ歴史博物館(Historical Museum of Bosnia and Herzegovina)』を訪れてみてください。館内にはボスニア紛争時代の写真や模型などが展示されており、当時の生々しい状況を知ることができます。また、博物館の外壁には今も銃痕が残されていますよ。つい20年ほど前の出来事とは、信じられないかもしれません。

歴史博物館と同じ敷地内にある『ボスニア・ヘルツェゴビナ国立博物館(National Museum of Bosnia and Herzegovina)』は、1888年に建てられた博物館。こちらには考古学や自然学など、4つの分野に及ぶ展示品が充実しています。その総数はなんと16万点を超えるのだとか!剥製の動物や今にも動き出しそうな昆虫の標本、中には19世紀の大臣だった人物の住居を再現した模型も展示されています。ボスニアの文化を知るなら、この場所ですね。

ボスニア・ヘルツェゴビナ最大のモスク『ガジ・ヒュースレフ・ベイ・モスク』

『ガジ・ヒュースレフ・ベイ・モスク(Gazi Husrev-beg Mosque)』は、1532年に建造されたオスマン建築の国内最大のモスクです。美しい見た目のミナレット(尖塔)が特徴のモスクの敷地内には、かつて学校や浴場も併設されていたそうです。サラエボに暮らす人々にとっては、欠かすことのできない場所だったのでしょう。ミサの時間を避ければ、内部鑑賞をすることも可能です。入口ではガイドツアーへの参加も受け付けていますよ。

第一次世界大戦のきっかけとなった場所『ラテン橋』

『ラテン橋(Latinska ćuprija)』は、第一次世界大戦のキッカケとなった通称『サラエボ事件』の現場です。1914年にオーストリア公のフランツ・フェルディナイトとその妻であるゾフィー・ホテクが暗殺された場所。悲劇の現場となったラテン橋は、今でもその美しい姿を披露しています。サラエボに現存する橋の中で最古の橋ともいわれていますよ。歴史の重大なターニングポイントとなったスポットは、サラエボ観光で外せません!

サラエボの活気溢れる中心街と名物の『チェパプチチ』

旧市街に位置する『バシチャルシア(Baščaršija)』は、サラエボのメインストリート。オスマン=トルコ様式を基礎に設計された商業地区で、赤いレンガの建物が立ち並ぶ、中東の雰囲気を色濃く残しています。バシチャルシアでは雑貨や絨毯が豊富に販売されているほか、レストランも充実しています。バザールの活気ある空気は一見の価値アリですよ。

サラエボでオススメしたい名物は『チェパプチチ(Ćevapčići)』というボスニアの国民食です。ソーセージや刻んだタマネギ、ピタパンがセットになったもので、サワークリームや唐辛子を一緒につけていただきます。ジューシーな肉の旨味が染み込んだタマネギやピタパンは至高の味わい。酸味の効いたサワークリームがアクセントになって、いくらでも食べることができそうです。地元民が愛するチェパプチチをぜひ味わってみてください!

サラエボで中東の雰囲気を堪能!滞在を心ゆくまで楽しんで

世界でも著名な映画監督であるエミール・クストリッツァ。その故郷であるボスニア・ヘルツェゴビナの首都、サラエボの見所をご紹介してきました。さまざまな歴史や背景、多くの国の影響を受けた多様な文化は、サラエボの魅力といえるでしょう。サラエボ大聖堂や2つの博物館、国内最大のモスクなど見所は尽きません。ほかのヨーロッパの国とは、一味違う魅力を堪能することができるでしょう。エキゾチックな雰囲気は、唯一無二です。

サラエボの玄関口は『サラエボ国際空港(Međunarodni Aerodrom Sarajevo)』。空港から市街地までは、バスかタクシーの利用が一般的です。所要時間はおよそ15分〜20分です。また、空港内では15分以内であればWi-Fiが無料で使用できます。時間が足りない場合は、追加のチケットを購入してくださいね。ぜひ、次回の旅の目的地はサラエボに定めてみてはいかがでしょうか?めくるめく新しい出会いが、あなたを待ち受けているはずですよ。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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