Vann Molyvann:カンボジア近代建築の父

写真:「写真AC」より
※Vann Molyvann設計の独立記念塔(Independence Monument)

Vann Molyvannという名前を聞いて、すぐにピンときた方はどれ位いるでしょうか?
何かイメージが思い浮かんだあなたは、おそらく建築愛好家かカンボジア好きの方でしょう。
近代カンボジアの都市計画に多いに貢献した建築家Vann Molyvannは、カンボジア国内では、知らない人はいない偉大な存在。
近現代カンボジアのアイコンと呼ばれるほどの人物です。
1950年代後半〜1970年代初頭に彼が手がけた建築プロジェクトは、公共施設、私的住居を含め、実に100件近く。
まさに“近代カンボジアを創った男”と言ってもよいでしょう。
国民からも絶大な信頼を寄せられたVann Molyvannとは、一体どのような人物だったのでしょうか。彼の代表的な建築物を眺めながら探ってみましょう。

生涯をかけてカンボジアのアイデンティティを体現し続けた人物

カンボジアがまだフランスの植民地支配の下に置かれていた1926年。
Vann Molyvannは、カンボジア南部のカンポット州で生まれました。

1946年には奨学金を得てフランスに留学。
当初は法律を勉強していたものの、途中から建築学へと転向し、西洋諸国で広まったモダニズム建築の影響を受けながら、研究を進めていきました。

時を同じくして1953年に、カンボジアはフランスから独立。
独立運動を指揮したNorodom Sihanouk首相・国家元首は、カンボジアを先進的かつ国際的な独立国家として世に知らしめるため、近代的な都市計画に力を入れようとしていました。

そんな中、Norodom Sihanoukによって国家専属の建築家に任命されたのが、1956年に帰国していたVann Molyvannでした。

以降Vann Molyvann は、1970年に親米のLon Nol将軍らによるクーデターによってSihanouk政権が崩壊するまで、カンボジアの都市建設に貢献し続けたのです。

後に20年以上続く内戦期間中はスイスでの亡命生活を余儀なくされたものの、内戦が終結した1991年に再びカンボジアに帰国。

文化・芸術・都市計画大臣を務めたほか、アンコール遺跡の研究・管理活動をも主導します。

そして、2017年に亡くなるまで、内戦中に失われたカンボジアの文化とアイデンティティの復興に尽力し続けました。

カンボジアの伝統・風土に合ったモダニズム建築の発展形を追求して

写真:筆者提供
※Vann Molyvann設計のTeacher Training Collegeミニチュア模型(展示『Learning From the Past』2019年 The Vann Molyvann Projectより)

Vann Molyvannが数多くの建築を残した1950年代後半から1970年代初頭までのカンボジアのことを「黄金時代(Golden Era)」と呼ぶことがあります。

内戦によってあらゆるものが失われる前のカンボジアは平和で、繁栄に向けたエネルギーに満ち溢れていました。

自らも作詞・作曲や映像制作などの才を持っていたことで知られており、文化芸術の発展に力を入れていたNorodom Sihanouk。
1955年に国王の座を下りて政治の道に進んだ彼は、近代的な国際都市を作ることにも意欲的で、新しい建築プロジェクトに多くの予算を割いたと言われています。

この頃、Vann Molyvannらが中心となって構築した建築様式が「New Khmer Architecture」。

西洋のモダニズム建築の影響を受けつつ、アンコール王朝時代に見られた建築様式やカンボジアの民家で採用されていたスタイルを混合した建物が次々と設計されていきました。

たとえば、Vann Molyvannの建築によく見られるのが、柱のみでできた1階部分が2階以上の建物を支えている“ピロティ”の構造。

モダニズム建築の巨匠Le Corbusierが提唱した「近代建築の5原則」に含まれる重要な要素ですが、カンボジアに古くからある高床式住居においても、室内の冷却効果を高め、洪水を防止する工夫として既に取り入れられている構造でした。

その他、Vann Molyvannの建築物には、熱帯気候で雨季もあるカンボジア独自の環境を考慮し、通気、冷却、採光、排水などに配慮した設計が随所にみられます。

西洋のモダニズム建築は、機能性を徹底的に追求し、無駄な装飾を排除する様式として知られていますが、Vann Molyvannは、寺院のデザインなどからインスピレーションを受けた装飾美をも重視しています。

国家の独立を機に、カンボジアの独自性を表現することが期待された時代。
Vann Molyvannが中心となって確立したのは、フランス植民地時代にカンボジアでも数多く建築された、フレンチコロニアル様式とはまったく異なるスタイルだったのです。

代表作1:豊かな文化芸術と都市型生活が交差する複合施設 「Bassac Riverfront Complex」

写真:筆者提供
※Vann Molyvann設計のBassac Riverfront Complexミニチュア模型(展示『Learning From the Past』2019年 The Vann Molyvann Projectより)

Vann Molyvannが手がけた建築物の多くは、約20年にわたる内戦時代を耐え抜きました。
しかし、内戦後の復興と経済至上主義による再開発の煽りを受け、解体を余儀なくされた建物が少なくありません。

プノンペンを流れるトンレサップ川、メコン川、バサック川の合流地点近く。
現在はオフィスビルなどが立ち並び、近隣のカジノホテルが照らすネオンが印象的なこのエリアにも、1960年代にはVann Molyvann監修による文化的な複合施設「Bassac Riverfront Complex」が広がっていました。

人口が増加する都市部で構想された大規模なコンプレックスは、美しい庭園、集合住宅、国立劇場、展示ホール、スポーツ施設などを有するものでした。
そこは、人々の日常を包みこみ、コミュニティを生み出し、文化芸術を育む場所でもあったのです。

特筆すべきなのは、1968年に建設され、古典舞踊、演劇、演奏などのショーが頻繁に開催されていた国立劇場。

写真:筆者提供
※Vann Molyvann設計のPreah Suramarit National Theaterミニチュア模型(展示『Learning From the Past』2019年 The Vann Molyvann Projectより)

映画『Les Artistes du Théâtre Brûlé』に描かれている通り、1994年の火災で半壊した後もアーティスト達が寝泊まり・訓練していましたが、2008年に解体されてしまいました。

会場や採光窓(Claustra)の形状、タイルのデザインに至るまで、多角形を用いて作られた美しい劇場が火の海に飲まれていく様子を前に、Vann Molyvannと芸術大学の学生達は、大粒の涙を流していたといいます。
建物の崩壊は、文化遺産のみならず、アーティスト達の暮らしとアイデンティティの消失を意味したからです。

また、都市住民のニーズに合わせて建築されたローコスト団地「White Building」には、内戦後にも文化人・芸術家が多く住んでいましたが、民間の開発業者に売却され、2017年に解体されました。

街は、時勢とともに変わりゆくものではあります。
それでも、かつてこの地に多くの人々の暮らしがあり、豊かな文化芸術が花開いた時代があったことは、忘れずに心に留めておきたいものです。

代表作2:オリンピック水準を満たす巨大スポーツ施設 「National Sports Complex」

写真:筆者提供
※Vann Molyvann設計のNational Sports Complex

現在も様々なスポーツ試合に使用されるほか、市民の健康増進の場として親しまれている「National Sports Complex(通称:Olympic Stadium)」も、Vann Molyvannの手によるプノンペンの一大ランドマークです。

7万人を収容する大規模なスタジアムは、四方のどこから眺めても美しく独創的なフォルムもさることながら、機能面での工夫に溢れた建造物。

写真:筆者提供
※Vann Molyvann設計のNational Sports Complex
ミニチュア模型(展示『Learning From the Past』2019年 The Vann Molyvann Projectより)

Norodom Sihanouk国家元首の「東南アジア競技大会(Southeast Asian Games)の招致に向け、2年以内に大規模なスタジアムを作りたい」という要望により建設がスタートし、1964年に完成しました。

実際には東南アジア競技大会が開催されることはありませんでしたが、その後もスポーツの国際試合や文化大会等に使用され続けています。

カンボジアが誇る世界遺産アンコールワットの構造に学び、水と土を巧みに利用して練られたという設計。
施設内の冷却などを目的とし、自然な水の流れに沿ってスタジアムの周りに築かれた堀の存在が、先人達の知恵を物語っています。

建築時のことを回顧し、「決して簡単ではなかったが、建築家人生の大きな転機になるプロジェクトだった」とVann Molyvannは語ったといいます。

現在スタジアムは民間の開発会社に売却され、修復工事により一部の機能を失いつつあります。
また、近隣にはコンドミニアム、ショッピングモールなどの開発が進み、周辺の景観も建設当時から大きく変わってしまいました。

写真:筆者提供
※Vann Molyvann設計のNational Sports Complex

それでも、自然な採光と通気を可能にする座席下の開口部など、細部まで考え抜かれた構造は、今も見ることができます。

写真:筆者提供
※Vann Molyvann設計のNational Sports Complex

スタジアム内外の隅々まで目を凝らし、Vann Molyvannの構想に想いを馳せてみたいものです。

既にあるものを認め、生かす創造のあり方

写真:「写真AC」より
※アンコールワット遺跡

西洋の影響を受けながらも、古くから既にカンボジアにあった資源や風土を尊重し、生かしていったVann Molyvannの建築様式。

「周辺の東南アジア諸国の中でも抜きん出て美しく先進的」と言われた黄金時代のプノンペンの街並みは、国民の誇りでもあったでしょう。

それは、カンボジアの人々が自国の優れた文化・風習に目を向けるきっかけを与えるものでもあったはずです。

若者達に対し、“過去から学べ(Learn from the past)”という言葉を繰り返し口にしていたと言われているVann Molyvann。

カンボジア人としてのあり方を、建物で示し、自らの生き方で示し、言葉で示す彼は、建築学専攻でない学生達にとっても大いなる教師であり、父のような存在でした。

目先の利益を優先する経済至上主義ゆえに、歴史的に価値のある建築物が次々と姿を消し、街並みが刻々と変化していく昨今。

過去の遺産を多いに尊重しつつ、ダイナミックな変革をもたらしたVann Molyvannの視野と姿勢こそが見直されるべき時なのかもしれません。

「国のアイデンティティとは何か?」を問い続けるVann Molyvannの遺産

写真:筆者提供
※Vann Molyvann設計のNational Sports Complex

未来を志向する時、目新しいものに魅了されることは誰にでもあるでしょう。
一方で、当たり前にあり続ける古いものの価値に、ふと気づく瞬間もあるはずです。

Vann Molyvannが残した建物、言葉は、「カンボジアらしさとは何であるのか?」を今も伝えてくれているようです。

同時に彼は、世界各地で生きる一人ひとりに語りかけているようにも思えます。

一国の文化・風習にどのように敬意を払うべきなのか?
既にあるものとどのように向き合い、どのように発展させていくべきなのか?

彼が近現代カンボジアのアイコンと呼ばれる所以は、そうした根源的な問いを投げかけ続け、自ら示し続けたところにあるのではないでしょうか。

【参考情報】

・展示『Learning From the Past』@Treeline Urban Resort in Siem Reap
(2019年 The Vann Molyvann Project)

・映画『The Man Who Built Cambodia』
(2017年 Directed by Christopher Rompré) 

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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