Ros Sereysothea:カンボジアの伝説の歌姫

写真:筆者提供
※プノンペン市内の裏路地に描かれた、カンボジアが誇る往年のスター達。右端の赤い服の女性がRos Sereysothea

フランスの植民地支配から独立した後、内戦が始まるまでの1960〜70年代初頭のカンボジア。

安定した政情の下であらゆる文化芸術が繁栄した時代に、「王都の黄金の声(Golden voice of the royal capital)」を持つと評される歌姫がいました。

類い稀な美声でカンボジア中を虜にしながらも、30歳を目前に内戦下で短い生涯を閉じたRos Sereysothea。

初々しさと色気を兼ね備えた高音の声とチャーミングな容姿に、どこか物憂げな歌詞。
カンボジアの伝統的なバラードから、R&Bやロックなどの西洋の音楽に影響を受けた実験的な曲まで数多く残し、後に「カンボジアンロック」と呼ばれるようになるジャンルを盛り上げた人物でもあります。

現代になってからも世界各地で実力を再評価され、カバー曲や伝記映画も制作されるほどの人気を誇るRos Sereysothea。

時を超え、老若男女から愛される彼女の魅力はどこにあるのでしょうか?
名曲の数々に耳を傾けながら、歌姫の生涯に思いを巡らせてみましょう。

農家の少女から国民的大スターへ

1948年にカンボジア北西部のバッタンバン州で生まれたRos Sereysothea。
実家は貧しい農家でした。

幼少期から歌の才能を発揮していた彼女は、地元の歌唱コンテストで優勝。
家計を助けるために家族でバンドを結成し、バッタンバンの村々で歌うようになります。

本名はSotheaですが、一緒にボーカルを務めていた兄がSereyという名前だったので、観衆からSereysotheaという名前で認識されるようになったといいます。

地道なバンド活動が功を奏し、バッタンバンで一躍有名になった頃、兄とともに首都プノンペンに活動拠点を移し、ナイトクラブで歌うようになりました。

のちに、一際頭角を表したSotheaは、活動名には兄の名前を残したままソロデビュー。
彼女の歌声は国立ラジオを通じてカンボジア中に流れるようになり、一躍有名歌手の座に上り詰めます。

「カンボジアのエルビス」と呼ばれ、今もなお絶大な人気を誇る男性歌手Sinn Sisamouthとの共演も見られるようになり、Norodom Sihanouk国王・国家元首からは「王都の黄金の声」という称号を授かりました。

名実ともにトップスターとしての道を歩んでいたところ、1975年にポル・ポト率いるクメール・ルージュが政権を掌握したことによって状況は一転。

多くの一般人と同じように田舎での強制労働に従事させられ、歌手である身分を隠して働いていたRos Sereysotheaでしたが、途中で面が割れてしまいます。

西洋文化や旧体制と関係があった人々は、共産主義革命の実現を阻む存在として真っ先に虐殺されたこの時代。

Ros Sereysotheaの最期については諸説あり、明確なことは分かっていませんが、内戦下で殺害または病気によって命を落としたことだけは間違いないとされています。

カンボジアの伝統と西洋の流行を織り交ぜたオリジナルサウンドで一斉を風靡

写真:筆者提供

デビュー当初は、カンボジアの伝統的なバラード曲を中心に歌っていたRos Sereysotheaですが、次第にジャンル横断的な曲も歌うようになっていきました。

内戦開始前から、隣国で繰り広げられていたベトナム戦争の影響を受けていたカンボジア。
ベトナムに駐軍していたアメリカのラジオ放送が流れ込むようになり、イギリスやアメリカで流行していたロックなどの楽曲が耳に届くようになります。

そうした中、当時活躍していたSinn SisamouthやRos Sereysotheaも、積極的に外来音楽の要素を取り入れるようになっていったのです。

従来は民俗楽器が多用されていたところに、エレキギター、ドラム、オルガンといったバンドサウンドを組み入れることで、一気にエネルギッシュな楽曲に。
このような新しい音楽は、「カンボジアンロック」などと呼ばれるようになりました。

アメリカ映画『City of Ghosts』(2002年)のサウンドトラックにも使用されたRos Sereysotheaの代表作「I’m sixteen」は、ガレージロックとも称される「カンボジアンロック」の特徴をよく表しています。

エレキギターのリードと少々荒々しいオルガンのサウンドに、若々しく艶っぽい高音の女性ボーカルが絡み合っていく意外性。
さらに、クメール語の発音がエキゾチックな印象を多分に生み出します。

Ha Ha Ha Ha! と弾けるように軽快な拍子に乗って歌われるのは、ティーンエイジャーの恋に恋するような初々しい気持ち。

歌詞は「私は16歳。私を愛して」というフレーズを繰り返すシンプルなものながら、途中に挟まれる「恋とは何?苦いの?酸っぱいの?甘いの?」というフレーズが、弾むようなサウンドとは裏腹なアンビバレントさを表現しているところが面白く感じられます。

明るい曲調と物憂い歌詞のギャップは中毒性満点

写真:筆者提供
※左側のプリントスクリーンはRos Sereysotheaを写したもの

Ros Sereysotheaの楽曲の特徴の一つに、サウンドと歌詞の間に大きなギャップがあることが挙げられます。

思い焦がれる恋、待ち続ける恋、虐げられた恋。
曲調はしっとりとしたバラードだけでなく、軽快なものも多かったものの、歌詞は決して晴れやかではなく、どこか憂に満ちた恋心を歌ったものが目立ったのです。

それは、音楽的なキャリアには恵まれたものの、決して平坦ではない私生活を送っていたRos Sereysotheaの人生を映し出しているようでした。

誰もがうらやむような美声で多くの人々を虜にした歌姫であるがゆえに、彼女の恋愛・結婚生活は苦難に満ちたものだったのです。

1人目の結婚相手は、多くの観客から歓声を浴びる彼女に嫉妬し、暴力を振るいました。

2人目との間には一児をもうけたものの、早々に離別。

次に関係があったとされた兵士は内戦中に殺害されて死別。

さらに、クメール・ルージュ政権下では、ポル・ポトの側近であった人物との結婚を強いられたと言われていますが、その生活は暴力に満ちたもので、彼女が虐殺される原因になったのではないかとも言われています。

天性の美声と音感、チャーミングな容姿を武器に手にした栄光ゆえに、理不尽に向けられた嫉妬の数々。
そして皮肉なことに、体から滲み出る哀愁が曲の魅力をさらに引き出し、多くの人を惹きつけてしまうのでした。

複雑な時代を歌手として生きることの難しさ。
テンポのよいサウンドと陰のある歌詞とのギャップもまた、彼女の楽曲の大きな魅力であったのです。

世界のファンをも唸らせる、クメール語による名曲カバー

写真:「写真AC」より

短いキャリアながら、生涯で100曲余りを世に残したRos Sereysothea。
オリジナル曲も多数ありますが、海外の名曲をカンボジア風にカバーした楽曲も知られています。

アメリカのロックバンドCreedence Clearwater Revivalの「Proud Mary」(1969年)は「Cry Loving Me」というタイトルに。

Carpentersによるカバーで一躍ヒット作となったDelaney & Bonnie の「Groupie(Superstar)」(1969年)もカンボジア色に染めてカバー。

いずれもクメール語の歌詞に置き換えられ、原曲には聞かれない深い悲哀に満ちているところが非常に斬新です。

さらに、全米大ヒットとなった軽快でノリのよいSam the Sham and the Pharaohsの「Wooly Bully」(1965年)をカバーした「Rom Woolly Bully」。

荒っぽい音づかいとしっとりとした歌声のコラボレーションは、西洋のサウンドにはない新しさがあり、今もなおガレージロックファンを魅了し続けています。

高らかな鳴き声のようにも聞こえるRos Sereysotheaの歌声は、歌詞の内容が分からなくても豊かな感情を伝え、音として十分に楽しませてくれるのも、世界各地から賞賛の声が上がる理由でもあるでしょう。

時代の波に翻弄された人生と、時を越えて人を癒す珠玉の声

写真:筆者提供

クメール・ルージュ時代に、身分を隠して強制労働に従事していたRos Sereysotheaでしたが、ある時ついに有名歌手であることが党幹部にばれてしまいます。

文化人、知識人、芸術家は共産主義革命に反する者とみなされ、理由なく虐殺された時代。

Ros Sereysotheaは、「生かしておく代わりに革命歌を覚えて歌え」と党の役人から命じられました。

革命歌が記された冊子を手にRos Sereysotheaが戸惑う様子は、映画『The Golden Voice』(2006年)に描かれている通りです。
経済的困難から学校に通えず、読み書きができなかったとされる彼女は、歌詞を読むこともできませんでしたが、周囲の人々の手助けによって、なんとか楽曲を習得。
多数の人々の前で革命歌を歌わされました。

彼女と同じように強制労働に参加していた人々の中には、内戦前から彼女の歌を愛聴していた人もたくさん含まれていたでしょう。

歌われている内容こそ、以前のような甘く切ない恋愛歌ではありませんでしたが、彼女の高く透き通るような歌声は、家族と離れて過酷な労働を強いられた人々をどれだけ勇気づけたことでしょうか。

内戦後にも、親から子へと受け継がれていったRos Sereysotheaの楽曲は、今聞いても古さを感じさせず、現代のミュージシャンをも魅了しています。

アメリカのサイケデリック、ガレージ・サーフ・ロックバンドであるDengue Feverは、彼女の楽曲をカバーしているほか、カンボジアンロックの要素を多分に取り入れたオリジナル曲を多数生み出し、世界各地のファンを熱狂させています。

知られざるカンボジアを伝え続ける永遠の歌姫

今もなお、人々の心に生き続けるRos Sereysotheaの高らかな歌声。

様々な音楽ジャンルを横断するような実験的なサウンドは、文化芸術に溢れた1960〜70年代初頭のカンボジアを想起させてくれます。

一方で、カンボジアの人々にとって彼女の楽曲は、内戦中に命を落とした多くの家族を偲ぶ曲であるかもしれません。

歴史の証人でもあるRos Sereysotheaは、現代を生きる私たちの喜びと悲しみに寄り添ってくれているようです。

【参考情報】
・CD Book 『cambodia rock intensified! 〜groove club vol.3〜』(2011年 Lion Productions, LCC)
・映画『The Golden Voice』(2006年 Directed by Gregory Cahill)

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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