ジェレンティーレ・ベッリーニ:ヴェネツィア派を代表する画家

(Public Domain /‘Self-portrait’ by Gentile Bellini. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

ジェレンティーレ・ベッリーニは1429年ごろにヴェネツィアに生まれた画家です。父ヤーコポ・ベッリーニや弟ジョバンニ・ベッリーニなどが活躍したベッリーニ一族の出身で、ジェレンティーレもまたヴェネツィア派を代表する画家として活躍しました。そんなジェレンティーレ・ベッリーニの生涯と作品とはどのようなものだったのでしょうか。

■ジェレンティーレ・ベッリーニとは

ジェレンティーレ・ベッリーニは1429年イタリアのヴェネツィアに生まれました。父親のヤーコポ・ベッリーニも画家で、ベッリーニ家は画家一族として当時から知られていました。また異母兄弟にあたるジョバンニ・ベッリーニも高名な画家であり、現在でこそ弟のジョバンニが知られた存在であるものの、当時はジェレンティーレの方が重要視されていたといわれています。

幼いころから父親の工房で修業したのち、ジェレンティーレは徐々に頭角を現すようになっていき、1474年にはヴェネツィアの統領専属の肖像画家として活躍していました。そのため公共建築や外交のために作品が用いられることが多く、要人の肖像画やヴェネツィアの風景を描いた作品が多く残っています。

1479年にはオスマン帝国のスルタン・メフメト2世の要請により、ヴェネツィア政府からコンスタンティノープルに派遣されることとなります。その際にはメフメト2世の肖像画を描いており、西洋と中東との交流を表す作品として現在も重要視されています。またベッリーニは翌年ヴェネツィアに帰国しますが、その際イスラム世界の表現や文化をもちこんだため、ジェレンティーレはオリエンタリズムの創始者として知られることとなりました。

■ジェレンティーレ・ベッリーニの作品

ジェレンティーレ・ベッリーニはヴェネツィア統領専属の肖像画家とした活動したことから、数多くの肖像画作品を残したことで知られています。特に有名なのがメフメト2世の肖像画であり、西洋諸国の人々ははじめて目にするイスラム圏の文化に驚き、魅了されました。メフメト2世の肖像画は絵画や版画にコピーされヨーロッパ全土に渡ることとなりますが、そうした点では西洋と中東の橋渡しをした人物といえるかもしれません。そんなジェレンティーレ・ベッリーニの作品とはどのようなものだったのでしょうか。主要な作品を中心にご紹介します。

・《聖十字架の奇蹟》 1500年

(Public Domain /‘Miracle of the Cross at the Bridge of San Lorenzo’ by Gentile Bellini. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1500年に描かれた作品で、現在はヴェネツィアのアカデミア美術館に所蔵されています。この作品は、もともとヴェネツィアでも有数の富豪であるサン・ジョヴァンニ・エヴァンゲリスタ同信会によって制作され、修道院の大広間に設置されていました。ヴェネツィアにある十字架の聖遺物の奇跡を描いた作品です。

サン・ジョヴァンニ・エヴァンゲリスタ同信会からサン・ロレンツォ教会への毎年の行列の間に、群衆の混乱のために聖遺物の十字架が運河の水に落ちてしまいました。人々が苦労して取り戻そうとする中、十字架は奇跡的に浮かび上がり、学校の同信会の会長であるアンドレア・ヴェンドラミンの手によって引き上げられたという場面が描かれています。

広い視野角で描かれており、場面に登場する人物は、肖像画としても十分な大きさで、衣服やアクセサリーなどの様々なディテールから社会的地位を注意深く識別できるように、細心の注意を払って表現されています。ドラマチックな描写は欠けていますが、建物や家の建築や色彩の細部まで丁寧に描写されており、出来事の正確な年代記がわかりやすくなっています。

表現の中心はサン・ロレンツォの橋で、十字架が落ちてきた運河の方を見る人々でいっぱいです。傍の道にも人がいっぱいで、その場に駆けつけたゴンドラも見受けられます。何人かの男性が飛び込み、右側の女性は奴隷を送り込んでいますが、アンドレア・ヴェンドラミンはすでに十字架を掴んで、岸に向かって無表情で進んでいます。

・《サン・マルコ広場での聖十字架の行列》 1496年

(Public Domain /‘Procession of the True Cross’ by Gentile Bellini. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1496年に制作された作品で、現在はアカデミア美術館に所蔵されています。本作品もまたサン・ジョヴァンニ・エヴァンゲリスタ同信会から依頼された作品であり、聖十字架の祭日にサン・マルコ広場で行われた行列で、十字架が通り過ぎるときに兄弟たちの肩に担がれていたブレシアの商人ヤコポ・デ・サリスの瀕死の息子が、祈りによってすぐに癒されたという奇跡が描かれています。

他に類を見ない広角からの眺めで、サン・マルコ広場の光景と儀式が繰り広げられています。行列は総督を先頭に、楽器奏者、権力の象徴である旗手たち、白い服を着た友愛会のメンバーで構成されています。中央では、天蓋に覆われた貴重な聖十字架の聖遺物が乗せられています。この場面は、細部に至るまで忠実に表現されており、全体を包み込むために、意図的に遠近法が広げられています。この中世の作品で、ベッリーニは人物や建物の肖像画を固定し、作品の壮大さより強調することに成功しました。

・《スルタン・メフメト2世の肖像画》 1480年

(Public Domain /‘The Portrait of Ottoman Sultan Mehmed the Conqueror’ by Gentile Bellini. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1480年に制作された作品で、現在はイギリスのナショナル・ポートレート・ギャラリーに所蔵されています。拡大するオスマン帝国の支配者であったスルタン・メフメット2世は、この肖像画が描かれた当時、世界で最も権力を持つ人物の一人でした。肖像画とヨーロッパ文化に魅了された彼は、1479年にヴェネツィア当局に自身の肖像画を描く画家を依頼しました。そのころ、ヴェネツィアの総督の肖像画シリーズを完成させていたベッリーニは、この仕事に適していたため抜擢され、コンスタンティノープルにてこの肖像画を完成させました。

当時の肖像画の多くは、伝統的に横顔で描かれてきました、この作品では、メフメト2世の顔と体はわずかに正面に向けて描かれています。大理石の台座の上に掛けられた刺繍入りの布や、富と豪華さの証である多くの宝石や真珠など、細部にまでこだわった作品です。モデルをさらに誇示するため、ベッリーニはアーチの両側に3つの黄金の王冠をつけましたが、これはおそらくメフメト2世が支配していたギリシャ、トレビゾンド、アジアを表すものでした。

■おわりに

ジェレンティーレ・ベッリーニは高名な画家一族ベッリーニ一族に生まれ、ヴェネツィアの統領専属の画家として多数の肖像画を残しました。公共建築にもジェレンティーレの作品は多数残っていますが、特に群衆を描くことに秀でており、そうした作品にも個々の登場人物を細かく描き分けるジェレンティーレの画力の高さが表れています。

ジェレンティーレの作品はヴェネツィアの聖堂や教会、公共建築をはじめとした所々に残されており、現在も世界中から訪れる人々を魅了し続けています。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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