フィリッポ・リッピ:奔放な生活を送った画家

(Public Domain /‘The Coronation of the Virgin’ by Filippo Lippi. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

フィリッポ・リッピは1406年フィレンツェに生まれた画家です。15世紀前半のフィレンツェ派を代表する画家として活躍しましたが、その一方で修道女と駆け落ちするなど、同時代に活躍したフラ・アンジェリコと比べると奔放な生活を送ったことで知られています。そんなフィリッポ・リッピの生涯と作品とはどのようなものだったのでしょうか。

■フィリッポ・リッピとは

フィリッポ・リッピは1406年、フィレンツェの下町に生まれました。生家は肉屋を営んでいたものの、幼くして孤児になり、リッピはカルメル会の修道院で育てられることとなってしまいます。リッピは勉強嫌いで気性が荒く、リッピを育てていた修道士たちは困り果てていました。そこで修道士たちは試みとしてリッピに絵を学ばせることを思いつきます。

リッピの最初の師はロレンツィオ・モナコであると考えられていますが、マサッチオの作風の影響も見て取ることができます。リッピが所属していた修道院にはマサッチオが描いた壁画があり、おそらくその壁画から学んだであろうことが予想でき、このころからリッピは絵画制作に集中するようになっていたと考えられます。

1452年になるとリッピはプラートの大聖堂の壁画制作を委嘱され、1464年頃まで壁画制作に関わるようになりました。プラート大聖堂の壁画はリッピの代表作となり、壁画制作中の1456年にはプラートのサンタ・マルゲリータ修道院の礼拝堂付き司祭に任命されるなど、修道士としての地位も築きつつありました。しかしリッピはサンタ・マルゲリータ修道院の当時23歳だった修道女ルクレツィア・ブーティを誘い出し、自宅に連れ去るという暴挙に出ました。リッピは当然のことながら告発され、修道院から出入り禁止になってしまいます。

しかしフィレンツェにおいてもっとも力を持つ有力者であったメディチ家の当主コジモ・デ・メディチの目に留まり、教皇から正式に還俗を許されたこともあって、リッピとルクレツィアは正式に夫婦となることができました。その後1467年壁画制作のためにイタリア中部のスポレートに移り住むものの、その2年後壁画の完成を見ることなく、リッピはその生涯を閉じることとなります。

■タルクィニアの聖母の作品

フィリッポ・リッピは初期ルネサンスを代表するフィレンツェ派の画家であり、繊細な色使いと流れるような線描が特長的な作品を数多く制作しました。リッピ自身修道士から還俗したということもあってか、リッピの作品には深い精神性と世俗的な要素の両方が表現されています。そんなフィリッポ・リッピの作品とはどのようなものだったのでしょうか。主要な作品を中心にご紹介します。

・《タルクィニアの聖母》 1437年

(Public Domain /‘Madonna and Child Enthroned (also known as Madonna of Tarquinia)’ by Filippo Lippi. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1437年に制作された作品で、現在はバルベリーニ美術館に所蔵されています。リッピ初期の作品で、フィレンツェの大司教であったジョバンニ・ヴィテレスキのために制作されたものと考えられています。戦時中の1943年に修復・保存のためにローマに持ち出されましたが、それ以来、完成当時から飾られていたヴィテレスキ宮殿の元の場所には戻っていません。

大理石の玉座の上に、聖母子が描かれています。リッピは、マサッチオに由来する造形の優位性と、親しみのある仕草やドナテッロの遠近法に加えて、パドヴァで観察する機会のあったフランドル絵画から導き出された技法の示唆を加えています。その中でも、広角に構成された空間や開放された窓など、環境や照明効果へのこだわりが見られます。特に注目したいのは、布地や宝石に光が反射する「光沢」の表現、大理石の斑点の表現、肘掛けの上の本の表現などです。

・《バルバドーリ祭壇画》 1437年-1439年

(Public Domain /‘Barbadori Altarpiece’ by Filippo Lippi. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1437年から1439年にかけて制作された作品で、現在はパリのルーブル美術館に所蔵されています。アーケードと柱がある上部から、当時の伝統的な多翼祭壇画のパターンに従っていることがわかる作品です。また、以前の作品とは異なり、リッピは構図の中心に聖母を立ったまま描きました。

革新的であったのは、背景が金色でなく、開口された窓から見える丘陵風景に置き換えられたことです。背景に描かれている貝殻状の壁のくぼみは、15世紀のフィレンツェ絵画、特にリッピの典型的な要素であり、ドナテッロが設計したオルサンミケーレ教会の壁のくぼみから着想を得ています。

膝をついている聖人は、右は聖アウグスティヌス、左は聖フリディアヌスです。左端には、手すりの後ろの若い修道士として描かれたリッピの自画像があります。

・《聖母戴冠》 1441年-1447年

(Public Domain /‘The Coronation of the Virgin’ by Filippo Lippi. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1441年から1447年にかけて制作された作品で、現在はウフィツィ美術館に所蔵されています。もともとはサンタンブロージョ教会の代表であったフランチェスコ・マリンギによって依頼された作品です。サンタンブロージョの修道女たちが教会の創始者である聖ベネディクトと聖アンブロジウスを見習って献身的に取り組んだ無原罪の御宿りの教義と、1230年にサンタンブロージョでまさに起こったフィレンツェの聖体の奇跡の両方を強調することを目的として制作されました。

作品は一枚のパネルで構成されており、アーチによって三分割されています。中央のアーチの両脇には、受胎告知の天使と聖母マリアが描かれています。聖書の人物、天使、聖人の群衆がくだけた姿勢で描かれていますが、そのほとんどは、おそらく実在していた人物の肖像画でしょう。中央には、遠近法で荘厳な大理石の玉座の中、キリストに戴冠されるために跪いているマリアが描かれています。

・《受胎告知》 1440年

本作品は1440年に制作された作品で、現在はサン・ロレンツィオ聖堂に設置されています。もともとはサン・ロレンツィオ聖堂をはじめとするフィレンツェの再建者のひとりであったニッコロ・マルテッリがパトロンとなって制作された作品で、大天使ガブリエルから神の子を宿した聖告を受け取る聖母マリア、すなわち「受胎告知」のシーンが描かれています。

この作品では、マリアに会いに来た翼を持った3人の天使が登場します。ガブリエルは、立っている他の二人の天使を後ろにマリアに対して跪いています。ガブリエルは純潔の象徴であるユリを持っており、上に飛んでいる鳩は聖なる霊の象徴です。他の二人の天使は遠くを見ていて、マリアをあまり見ていません。鑑賞者である私たちの存在を認めるかのように、こちらをじっと見ています。マリアは、金色のアウトラインが付いた濃いグレーの服を着ていて、明るい色の頭飾りをつけています。彼女はガブリエルを見下ろし、彼に向かって手を振っています。

・《東方三博士の礼拝》 1445年-1450年ごろ

(Public Domain /‘The Adoration of the Magi’ by Filippo Lippi. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1445年から1450年ごろに制作された作品で、現在はワシントン・ナショナル・ギャラリーに所蔵されています。鮮やかな色彩と豊かな装飾が施された円形のパネルに描かれているのは、宮廷の側近を伴った東方三博士の到着です。この絵はフィレンツェの有力な家族であるメディチ家のコレクションの中で最も価値のあるものであり、フラ・アンジェリコの作品であると考えられています。しかし、描き始めたのがフラ・アンジェリコであっただけで、作品の大部分はリッピが担当しています。

フラ・アンジェリコはドミニコ修道会の信者として知られていた人物で、彼の聖なる姿は、絵画の静かな敬虔さに反映されています。聖母マリアの描写は、純粋でシンプルな頭の形と穏やかで洗練された雰囲気が特徴です。豊かな衣装を身にまとった博士とその従者、そして聖母の横にいるヨセフは、一般的にリッピが描いた部分とされています。

■おわりに

フィリッポ・リッピは幼いころに孤児となり、修道院に預けられたことをきっかけとして画家となることを目指した人物です。プラートの大聖堂をはじめとした壁画制作にいそしむものの、修道女と駆け落ちするなど奔放な生活を送ったという点では、同時代を生きたフラ・アンジェリコと比べると大変破天荒な人物であったといえるでしょう。そうした聖と俗を行き来する生活を送っていたからか、リッピの作品には神聖を感じさせる表現と甘美かつ官能的ともいえる表現が両立しています。そうした表現がリッピの作品を魅力的にしている一因といえるかもしれません。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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