ジョルジョーネ:西洋美術史においてもっとも謎に満ちた画家

(Public Domain /‘Self-portrait as David’ by Giorgione. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

ジョルジョーネは1477年ごろにイタリアのカステルフランコ・ヴェーネトに生まれた画家です。本名はジョルジョ・バルバレッリ・ダ・カステルフランコといい、非常に詩的な作品を制作したことで知られています。しかしながら現存している作品は6点しかなく、またジョルジョーネ自身についての資料や作品に関する資料がほぼ残っていないことから、西洋美術史においてもっとも謎に満ちた画家のひとりといわれ、研究が続けられています。そんなジョルジョーネの生涯と作品とはどのようなものだったのでしょうか。

■ジョルジョーネとは

ジョルジョーネは1477年あるいは1478年にヴェネツィアから40kmほどのところにあるカステルフランコ・ヴェーネトに生まれました。生年や生まれ育った土地についてもほとんど史料はなく、ジョルジョ・ヴァザーリの芸術家列伝のみがその手掛かりとなっています。その後いつヴェネツィアに移ったのかは分かっていないものの、おそらくジョバンニ・ベリーニのもとで修業するようになったのがきっかけであると考えられています。

ヴァザーリの記述によれば、ジョルジョーネは1500年にヴェネツィア元首であったアゴスティーノ・バルバリーコと傭兵隊長コンサルヴォ・フェランテの肖像画を描く画家に選ばれています。これはジョルジョーネがわずか23歳の時であり、ジョルジョーネが非常に若い時から認められていたことがわかります。

1504年には生まれ故郷のカステルフランコの聖堂から傭兵隊長マッテーオ・コスタンツォをたたえるための祭壇画の制作を、また1507年にはヴェネツィア共和国の十人委員会からドゥカーレ宮殿大ホールの装飾絵画を依頼されています。また1507年から1508年にかけてはフォンダコ・ディ・テデスキの外装壁画を他の芸術家たちと請け負っており、ソランツォ邸やグリマーニ邸といった個人宅のフレスコ画制作を請け負うこともありました。しかしこうした作品のなかで現存しているものはほとんどなく、制作を裏付ける資料もほとんどないため、実際のところジョルジョーネが制作に携わったのかどうかを確かめるすべはありません。

ヴァザーリによればその後レオナルド・ダ・ヴィンチやティツィアーノといった同時代の巨匠たちと交流し、自らの画風に取り入れる一方で、祭壇画や肖像画にも取り組みそれまで見られなかった抒情的な作品を制作しました。そうしたジョルジョーネの画風は同時代の画家たちに圧倒的な影響を与え、ジョルジョーネはその後ヴェネツィアの第一人者として言及されることとなります。

そうしてその才能でもって傑作を描き続けていたジョルジョーネでしたが、1510年に腺ペストに感染、10月には亡くなっていることが分かっています。ジョルジョーネの死亡した日付についてはイザベラ・デステが送った書簡によって判明した日付であり、書簡にはすでにジョルジョーネが亡くなっていることと併せて、いくら金を積んでもジョルジョーネの作品は手に入れられなかったという旨が記されていました。このデステの記述からもジョルジョーネは同時代の人々を魅了した画家であったのです。

■ジョルジョーネの作品

ジョルジョーネの特長はなんといっても登場人物の心象風景を描くことに秀でていたことでしょう。登場人物の感情表現から風景の描写に至るまで、繊細かつ豊かな色彩によって表現されたジョルジョーネの作品は同時代の画家たちはもちろん、後世の画家たちに多大な影響を与えました。そんなジョルジョーネの作品とは、どのようなものだったのでしょうか。主要な作品を中心にご紹介します。

・《羊飼いの礼拝》 1505年-1510年ごろ

(Public Domain /‘The Adoration of the Shepherds’ by Giorgione. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1505年から1510年ごろに制作された作品で、現在はワシントン・ナショナル・ギャラリーに所蔵されています。描かれているのはベツレヘムで誕生したイエス・キリストを目にするために、羊飼いたちが訪れている場面です。

この作品は左右に大きく二つの部分に分けられ、右半分には聖家族と羊飼い、左半分には美しく、明るいイタリアの風景が描かれています。ジョルジョーネの自然への愛と風景への感謝は作品によく表現されますが、この絵も例外ではありません。

マリア、ヨセフ、幼子イエスは、馬小屋ではなく、暗い洞窟の前に座っています。彼らは豪華な服を着ていますが、幼いイエスは裸で、伝統的な飼い葉桶の代わりに地面に横たわっているようです。一方、羊飼いたちはより控えめな服装で、生まれたばかりの救世主の前にひざまずいています。礼拝の場面が最前面にあり、絵の3分の2を占めていますが、その後ろと左には鮮やかで明るいヴェネツィアの場面が描かれています。

・《ユディト》 1504年

(Public Domain /‘Judith’ by Giorgione . Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1504年に制作された作品で、現在はエルミタージュ美術館に所蔵されています。描かれているのは第二正典に記されるユディト記の登場人物で、復讐譚の主人公であるユダヤ人の女性ユディトのことを指します。

アッシリアの将軍ホロフェルネスは、ユダヤ人の拠点であるベツリアの街を包囲し、彼らを降伏に追い込もうとしていました。ユダヤ人の美しい寡婦ユディトは、男たちが降伏について話しているのを耳にして、自分の手で問題を解決することにします。彼女は美しい女性であったため、警備員の目を気にすることなく、大胆にホロフェルネスのテントに入ることができました。彼がどんどん酔っぱらっていくのを見計らって首を切り落とし、部下たちに降伏することが時期尚早であった事を証明しました。

血に飢えたこの復讐の物語は、多くの芸術家たちの想像力をかきたて、そのほとんどの芸術家たちは斬首の後のシーンを再現しました。そのため、カラヴァッジョ、クラナッハ、ゴヤ、ボッティチェリ、アルテミジア・ジェンティレスキ、さらにはクリムトやフォン・スタックのような現代の芸術家までも、ジョルジョーネが描いたような平和で静謐なユディトを描きはしませんでした。

この作品のユディトは穏やかで、明らかに自分の行動に罪悪感も後悔もないようです。彼女の剣は、見る限り血の付いていない状態で、後ろから刃の柄と最初の数センチだけが見えています。髪は美しく整えられており、肩に向かってこぼれ落ちる2つの緩やかなカールを除いて一つの位置に留められ、彼女に甘くフェミニンな空気を与えています。

・《嵐》 1503年-1509年

(Public Domain /‘The Tempest ’ by Giorgione . Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1505年から1507年に制作された作品で、現在はアカデミア美術館に所蔵されています。原題である「The Tempest」の正確な意味は、芸術家や美術評論家を問わず、未だに解明されていません。嵐の湿った雰囲気の中、ターコイズブルーに輝く青々とした風景の中に人物が二人だけ描かれています。

手前右には、ヌードの女性が小川を見下ろす小さな土手に座っています。彼女は赤ちゃんを抱いており、太ももを使って子供を覆い、保護しています。小川の反対側では、オシャレな服を着た若い男性が杖を持って、女性を見るために立ち止まっています。彼は彼女に微笑んでいますが、女性は男性ではなくこちら側を見ています。男性のツートーンカラーのストッキングは、彼がヴェネツィアの若い貴族の友愛会、カンパニア・デッラ・カルザ(ストッキング騎士団の仲間)のメンバーであることを示しています。

背景は、田舎と都市の両方の風景で構成されています。小川は幅を広げ、一本の橋で渡れるようになっており、川の横には、寺院を備えた都市の一部であるかのような立派な建物がいくつかあります。この都市の正体ははっきりしておらず、ある歴史家はパドヴァ、他の歴史家は天国を象徴していると考えています。

■おわりに

ジョルジョーネは現存する作品や資料が少ないことから西洋美術史上もっとも謎に満ちた画家と呼ばれており、また《嵐》をはじめとして何の主題を描いたものなのか、どんな意図で描いたものなのかもわかっていない作品も数多くあります。ジョルジョーネの作品を魅力的にしているゆえんは、その抒情的な描き方ももちろんですが、こうした謎めいた部分にもあるのかもしれません。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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