アンドレア・マンテーニャ:パドヴァ派を代表する画家

(Public Domain /‘Bronze Bust of Mantegna’ by Gian Marco Cavalli. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

アンドレア・マンテーニャは1431年パドヴァ近郊のイーゾラ・ディ・カルトゥーロに生まれた画家です。マンテーニャの硬質的なタッチの人物画はどこか彫刻的でもあり、徐々に名をあげてパドヴァ派の代表的な画家と呼ばれるまでになりました。そんなマンテーニャの生涯と作品とはどのようなものだったのでしょうか。

■アンドレア・マンテーニャとは

アンドレア・マンテーニャは1431年パドヴァ近郊のイーゾラ・ディ・カルトゥーロに生まれました。幼少時代のことはよくわかっていないものの、修業時代はパドヴァの画家であるフランチェスコ・スクァルチオーネに師事していたことが分かっています。またヴェネツィア派の始祖であるヤコポ・ベリーニの娘と結婚しており、ベリーニ一族で有名なジェレンティーレ・ベリーニやジョバンニ・ベリーニは義兄弟にあたりました。そのためパドヴァのみにとどまらず、ヴェネツィア派の画風も学べる環境にあったと考えられています。

その後1450年になるとロドヴィゴ・ゴンザーガ候の招きでマントヴァに移ることになり、宮廷画家として制作活動にあたることになります。また1471年から1480年にかけては銅板に直接彫る技法であるエングレービングという方法を生み出しており、版画家たちの間で新しい技法として盛んに用いられるようになっていきました。

銅版画はもちろん、フレスコ画や油彩画でも多数の作品を残していたマンテーニャでしたが、1506年9月13日に75歳の生涯を閉じることとなります。1516年にはアンドレア自身が祭壇画を描いた礼拝堂にアンドレアの息子によって記念碑が立てられており、現在もなおルネサンス時代の巨匠として注目が集まっています。

■アンドレア・マンテーニャの作品

アンドレア・マンテーニャの作品の特長は遠近法を駆使した画面構成に加え、彫刻的ともいえるごつごつした線描で描かれた人体表現などがあげられますが、調和のとれた柔和な技法が称賛されたルネサンス時代においてマンテーニャの画風は極めて異質なものでした。特にマンテーニャは人体描写にきわめて力を入れており、傷跡や変色した皮膚といったリアルな表現はこの時代の画家たちには見られないものでした。そんなマンテーニャの作品とはどのようなものだったのでしょうか。主要な作品を中心にご紹介します。

・《オリーブ山の祈り》 1455年

(Public Domain /‘The Agony in the Garden’ by Andrea Mantegna. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1455年に制作された作品で、現在はロンドン・ナショナル・ギャラリーに所蔵されています。描かれているのは新約聖書の一説で、キリストが聖ペテロ、小ヤコブ、聖ヨハネの3人を連れて十字架刑に処せられる前夜にゲッセマネのオリーブ山に登り、刑を受けることの苦悩を祈っている場面です。

イエスは、祭壇のように盛り上がった岩場の上にひざまずいて祈っています。彼の前には天使たちが現れ、受難の道具を見せて彼の運命を予言しています。下に描かれているのは、眠っているペテロ、大ヤコブ、ヨハネの三人の使徒で、背景には腕を伸ばして明確に道を示すユダに率いられた兵士がキリストを逮捕しようとしています。

場面は暗く、黄昏の雰囲気に包まれており、色のコントラストはドラマ性を際立たせています。例えば、キリストが着ている暗い服は、明るい色の服を着た使徒たちとは違って、今後のどうしようもない運命を予感させるかのようです。乾れ木やハゲタカも死が迫っている前兆であり、新芽やペリカンは生命と復活の象徴です。

・《キリストの磔刑》 1456年-1459年

(Public Domain /‘Crucifixion’ by Andrea Mantegna. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1456年から1459年に制作された作品で、現在はルーブル美術館に所蔵されています。サン・ゼーノ修道院の院長であったグレゴリオ・コレ―ルの依頼で描かれたもので、もともとはサン・ゼーノ聖堂の主祭壇画として描かれました。高度な遠近法の使用により、鑑賞者は十字架を見上げているような感覚になる作品です。

空の暗さと明るさの勾配を利用して、遠近法の雰囲気を醸し出しているのが、この作品の大きな特徴の一つです。絵の中の空は、上部は色が濃く、水平線近くは色が薄くなっています。その結果、風景が水色の空にうまく溶け込んでいるように見えるのです。

遠近法の使用は、絵の構図にも現れています。イエスの十字架は絵の中央にあり、両側にある十字架は少し内側に向けられています。これは、イエスの足の下に消失点を作り、遠くへと続く斜めの線を作り出すためのものです。同様に、絵の床のひび割れもすべて斜めに走っています。これによって、絵に奥行きを感じさせているのです。

・《聖セバスティアヌス》 1457年-1459年

(Public Domain /‘Saint Sebastian’ by Andrea Mantegna. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1457年から1459年にかけて制作された作品で、現在はウィーン美術史美術館に所蔵されています。聖セバスティアヌスはローマの兵士で、キリスト教徒であることが判明した後、射手によって処刑されることを宣告された人物です。ルネッサンス期の芸術家たちは、立っている男性の裸体を描くのに理想的な主題であったため、複数の矢で貫かれたこの聖セバスティアヌスを描くことを好みました。

マンテーニャは、ルネサンス期のパドヴァでの経験から想像しただろう古代世界、つまり廃墟の中のセバスティアヌスを描いています。セバスティアヌスは、古典的なモチーフや植物で飾られた、崩れかけているローマの柱に縛られています。タイル張りの床の下には、アンティークの建築物や彫刻の破片が散りばめられており、セバスティアヌス自身も石像のように立体的に造形され、建築物と同じ色調で彩られています。

背景には、15世紀のファッションに身を包んだ処刑班と思われる3人の人物が、遠くの道を歩いています。奥には古典的な街並みと山並みが見え、おそらくローマと、セバスチャンが殉教したとされるパラティーノの丘が見えます。

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・《死せるキリスト》 1483年

(Public Domain /‘The Lamentation of Christ’ by Andrea Mantegna. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1483年に制作された作品で、現在はブレラ美術館に所蔵されています。描かれているのは聖母マリアと聖ヨハネ、マグダラのマリアがキリストの死を嘆きながら見守っている様子です。

キリストの足元を高い位置に配置し、開いた傷口を正面から描いたことで、鑑賞者はキリストの死の理由を思い出すことができる作品です。マンテーニャは、激しく短縮された死体の研究と、聖書の強烈な悲劇の描写の両方を提示しました。キリストが横たわっている石は、「穢れの石」または「油注ぎの石」としても知られており、キリストが十字架につけられた後、キリストの体が横たわっていた平板です。

■おわりに

アンドレア・マンテーニャはパドヴァ近郊のイーゾラ・ディ・カルトゥーロに生まれ、パドヴァ派を代表する画家として活躍した人物です。その表現は調和や柔和な表現を重んじたルネサンスの画家たちと異なり、非常に硬質で、特に岩山を描いた風景などはマンテーニャ独自の表現といえるものでした。

マンテーニャはマントヴァで75歳の生涯を閉じますが、エングレービングといった新しい技法を生み出した功績はその後ヴェネツィアの画家であるジョバンニ・ベリーニやドイツ美術市場最大の画家であるアルブレヒト・デューラーなどに受け継がれることとなり、その後もヨーロッパ絵画史に多大な影響を与えました。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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