ヴィットーレ・カルパッチョ:風景描写を得意としたヴェネツィア派の画家

(Public Domain /‘Vittore Carpaccio’ by Unknown author. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

ヴィットーレ・カルパッチョは1465年にヴェネツィア派として活躍した画家です。連作「聖ウルスラ物語」で鮮やかな色彩と緻密な描写の作品を制作したことで知られており、後世の料理人がカルパッチョの作品をイメージして「カルパッチョ」という名の料理を作ったことで知られています。そんなカルパッチョの生涯と作品とはどのようなものだったのでしょうか。

ヴィットーレ・カルパッチョの生涯については、史料や文献がほとんど残されていないため、どのような人生を送ったのか、またどのような修行時代であったのかは明らかになっていません。生年月日についても推測の域を出るものではなく、カルパッチョの伯父であったフラ・イラリオの1472年の遺言書の中でカルパッチョについて「15歳未満では遺産相続人の資格はない」という記述を残しており、この記述から1465年ごろに生まれたものと考えられています。ただこの遺言書の正確性は確たるものではなく、現在も研究が続けられています。

幼いころのカルパッチョについてはほとんど分かっていることはないものの、カルパッチョがラッザロ・バスティアーニの弟子であったということはほとんどの専門家の間でも意見の一致を見ています。バスティアーニが運営していた工房はヴェネツィアの中でも大きな工房であり、ジョバンニ・ベリーニやアントニオ・ヴィヴァリーニなどが在籍していました。こうした次世代のヴェネツィア派の画家として活躍することになる画家の卵たちにかこまれて、カルパッチョは画家としての技術を磨いていったものと考えられます。

カルパッチョは1490年からは代表作となる「聖ウルスラ物語」を主題とした連作を制作していますが、この作品は晩年の作品に比べるといささか稚拙な部分も残るため、当時カルパッチョは20代の画家であったと考えられます。その後はカルパッチョの代名詞となる色鮮やかな色彩を用いた作品を描くようになり、ヴェネツィア派を代表する傑作を制作していきました。

その後はフェラーラで《処女マリアの死》や現在ベルリンにある《死せるキリスト》といった作品を制作しています。また《アララット山の1万人の殉教者》や《聖セバスティアン》といった殉教者の苦しみや悲しみを表現した作品も残しており、その表現はのちの画家に多大な影響を与えました。その後カルパッチョは1525年か1526年、生まれ育ったヴェネツィアで60歳ほどの生涯を閉じています。

■カルパッチョの作品

カルパッチョと聞くと、現代においては画家の名前よりも牛肉料理をイメージする方が多いと思います。これは鮮やかな赤い牛肉を用いた料理を作った料理人が、カルパッチョの作品の鮮やかな赤色をイメージして名付けたもので、カルパッチョという名前は料理を通して広く広まることとなりました。

この一説からわかるように、カルパッチョ作品の特長は何といってもその色鮮やかな色彩といえるでしょう。特に赤色は際立つように描かれており、作品全体にアクセントを与える効果をもたらしています。こうした表現はジョバンニ・ベリーニやバルトロメオ・ヴィヴァリーニといった先人の画家たちの作品に加え、フェラーラ派やフランドル派といった作品を取り入れていった後にカルパッチョ独自の表現として確立したもので、どちらかといえばヴェネツィア派の王道からは外れる表現でした。そのためカルパッチョの表現が高まったのは遅く19世紀になってからで、そのころになってようやく15世紀を代表するヴェネツィア派の画家として認められるようになりました。

こうした表現を残したカルパッチョの作品とはどのようなものだったのでしょうか。主要な作品を中心にご紹介します。

・《二人のヴェネツィア婦人》 1496年-1498年

(Public Domain /‘Two Venetian Ladies’ by Vittore Carpaccio. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1496年から1498年にかけて制作された作品で、現在はヴェネツィアのコッレール美術館に所蔵されています。原画の4分の1ほどが切り離されたものであると言われており、2人の正体不明のヴェネツィア女性が描かれています。

この絵は以前、2人の宮廷女を描いていると考えられていました。しかし、現代の美術史家は、彼女たちの上質な衣服と真珠のネックレスから、貴族一家の一員である可能性が高いと考えており、この時代の他の類似したヴェネツィア絵画と同様、学術的な議論は続いています。白いネッカチーフ、真珠、鳩などの動物は、貞節の象徴として描かれています。

現在ゲッティ美術館に所蔵されている《ラグーンでの狩猟》とピッタリ合わさることから、もともと一つの作品の一部であったことが後に判明しています。この発見は、2枚の断片的な絵画を比較した詳細な技術的分析によって証明されました。左側には、この二つを組み合わせたのと同じ大きさのパネルがもう一つあるはずだと言われています。

・《聖ウルスラ伝》 1490年-1498年

(Public Domain /‘Arrival of the English Ambassadors’ by Vittore Carpaccio. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1490年から1498年にかけて制作された作品で、現在はヴェネツィアのアカデミア美術館に所蔵されています。もともとは聖ウルスラ同信会主祭壇画として依頼を受けて制作されたもので、黄金伝説に登場する聖ウルスラの生涯が描かれています。黄金伝説によると、ウルスラはキリスト教のブルターニュ王の娘で、異教徒であるイングランド王の息子アイテリウスとの結婚を求められたところ、洗礼やローマへの巡礼に行くことなどを条件に同意した人物です。カルパッチョはこの物語を、《イギリス大使の到着》、《出発の挨拶をおこなうイギリス大使》、《イギリス大使の帰国》、《巡礼への出発》、《巡礼者たちと教皇の会見》、《聖ウルスラの夢》、《ケルンへの到着》、《巡礼者たちの殉教と聖ウルスラの埋葬》、《聖ウルスラの称揚》の9場面にわけて描きました。

ドラマチックな場面でも感情を表に出さず描かれている主人公たちは、架空の劇場の登場人物のようです。光と色の巧みな表現は、作品の中の最も遠いものから最も近いものまで、バラバラな要素をうまく結びつけています。カルパッチョは、建築、衣装、儀式だけでなく、人々の日常生活の様子も詳細に調査し、非常に新鮮に描きました。

・《若い騎士の肖像》 1510年

(Public Domain /‘Young Knight in a Landscape’ by Vittore Carpaccio. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1510年に制作された作品で、現在はティッセン=ボルネミッサ・コレクションに所蔵されています。著名な美術史家たちの間でも、この騎士の正体は何世紀にもわたって議論の対象となってきました。現在では、ウルビーノ公フランチェスコ・マリーア1世・デッラ・ローヴェレを描いたものである可能性が高いと考えられています。

中心には、フランドル絵画にふさわしい、細部にまでこだわって描かれた風景を後ろに、剣を抜きながら羅針盤のようにしっかりと足を開いて立っている若い騎士が描かれています。騎士の頭上で鷹に捕らえられている鷺は、この騎士のモデルが戦死したことを暗示しているのかもしれません。これは、葬式の彫像を思い起こさせる彼の姿勢からも示唆されています。馬に乗り槍を持っているもう一人の騎士は、生前の同一人物であると言われています。

■おわりに

ヴィットーレ・カルパッチョは15世紀ヴェネツィア派の画家として有名な人物ですが、その表現はフェラーラ派やフランドル絵画から学んだ部分も多く、そうした作品からの学びを通して独自の表現を築いた画家といえます。またイタリア料理のひとつ「カルパッチョ」の名前の所以になったように、カルパッチョの作品には色鮮やかな色彩、特に赤色が用いられており、その色彩感覚は当時の画家たちの中でも特に優れていたといえるでしょう。カルパッチョの作品はヴェネツィアを中心とした美術館に所蔵されており、世界中から訪れる人々を魅了し続けています。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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