ベンヴェヌート・チェッリーニ:「自伝」を書いた画家

ベンヴェヌート・チェッリーニは1500年フィレンツェに生まれた芸術家です。多くの彫刻や装飾作品を残しており、ミケランジェロを崇拝していたことで知られています。また晩年になって「自伝」を著したことでも知られており、数ある芸術家の中でもまれな存在として注目されてきました。そんなチェッリーニの生涯と作品とはどのようなものだったのでしょうか。

■ベンヴェヌート・チェッリーニとは

ベンヴェヌート・チェッリーニは1500年イタリアのフィレンツェに生まれました。父親はメディチ家お抱えの技師兼音楽家として活躍しており、チェッリーニは幼いころから芸術に親しみやすい環境にありました。チェッリーニは芸術、とくに彫刻に関する才能を示すようになり、1515年には弟子入り、その後1523年には独り立ちし、ローマで彫金の注文を請け負うようになっていきました。

チェッリーニの作品の特長はルネサンス後期、マニエリスムの影響を受けた画家らしく、大げさに引き延ばされた表現や装飾が用いられており、こうした表現は当時のローマの人々から絶賛されました。徐々にチェッリーニは芸術家としての地位を確立するようになり、教皇クレメンス7世に仕えるようになります。

教皇お抱えの彫刻家として活動するその一方で、チェッリーニはボローニャやピサでも修業を続けていました。チェッリーニは特にミケランジェロを崇拝していたことで知られており、ミケランジェロの作品を模写しては自らの学びとする日々を過ごしていました。チェッリーニが芸術家としてある程度の地位を確立しながら修業を続けたのは、ミケランジェロへの尊敬の念と謙虚さがあったからかもしれません。

その後1527年にカール5世によるローマ侵略が起こると、チェッリーニはサン・タンジェロ城の防衛に参加。芸術家としてばかりではなく、愛国者としての一面も見せるようになります。また1535年にはフィレンツェでアレッサンドロ公による貨幣鋳型の注文を受けるなど、彫刻家としても順調な日々を過ごしていたものの、教皇パウルス3世からとがめられ1538年から2年間サン・タンジェロ城に幽閉の身になってしまいます。

幽閉を解かれたチェッリーニは1540年にはフランス国王フランソワ1世に招かれてフランスに渡り、5年間パリに滞在。帰国後はメディチ家の庇護のもと、多数の作品を残しました。

また晩年のチェッリーニにおいて特筆するべきは自伝を著したことでしょう。チェッリーニは58歳になって自叙伝を書いていますが、これはおそらく1550年に発刊されたジョルジョ・ヴァザーリの「芸術家列伝」に刺激を受けて著したものと考えられています。自叙伝は口述の文体を13歳の筆記者に聞き取らせて描いたものであり、16世紀イタリアの生の語り口が表現されているため、この時代のイタリア文学を研究するうえでも非常に重要な資料となっています。チェッリーニは校正を文芸家ベネディット・ヴァルキに依頼しているものの、ヴァルキはその会話の文体を評価し手直しを断ったことからも、非常に情感あふれる文体で描かれていることがわかります。

しかし対抗宗教改革のさなかにあったイタリアにおいては、こうした自叙伝を出版する機会はなく、世に出るまでには1728年まで待たなくてはなりませんでした。これはガリレオ派の流れをくむ百科全書派のコッキによってチェッリーニの草稿が発見され、ようやく公刊されることになったもので、40年後には再刊され、フランス文学界にも知られるようになっていきました。特にルソーやスタンダールは熱狂的に支持していたことで知られており、ベルリオーズはオペラ「ヴェヌート・チェッリーニ」を作曲するほどでした。このようにチェッリーニは自身の芸術作品以外にも、文学界にも影響を残した人物として知られています。

■ヴェヌート・チェッリーニの作品

チェッリーニはルネサンスから後期マニエリスムに活躍した芸術家であり、その作品にはそうした時代を反映するかのように、大げさに引き延ばされたプロポーションを用いていたり、装飾部分に関しても巧妙に描かれていたりといった表現が見られます。そんなチェッリーニの作品とはどのようなものだったのでしょうか。主要な作品を中心にご紹介します。

・《フォンテーヌブローのニンフ》 1542年-1572年

本作品は1542年から1572年にかけて制作された作品で、現在はルーブル美術館に所蔵されています。フランスのフォンテーヌブロー城のために制作されました。横たわった手足の長い裸の女性のニンフと雄鹿、イノシシ、犬などの動物が描かれています。チェリーニ初の大型ブロンズ鋳造品です。

ニンフ自身は非常に様式化されたポーズをとっており、典型的な様式で描かれています。彼女は王の紋章の一つである雄鹿の頭の上に腕を置いていますが、果実の冠をかぶった鹿は、慎重さ、敏捷さ、感覚の鋭さを表しています。

全体の構図は、ロッソ・フィオレンティーノが描いたフォンテーヌブローの名前の由来となった伝説のフレスコ画から着想を得ています。その物語とは、狩りの最中にブリオーという名前の王家の犬でが、壷にもたれかかっているニンフに擬人化された泉を発見するという内容です。

・《サリエラ》 1540年-1543年

本作品は1540年から1543年にかけて制作されたもので、現在はウィーン美術史美術館に所蔵されています。「サリエラ」とはイタリア語で塩入れ、あるいは胡椒入れといった意味で用いられるもので、楕円形の台座に女性と男性が対向して座っている様子が彫刻で作り上げられています。

全裸の男女二人が、台座の中央で足を絡めています。女性はコルヌコピアという古代ギリシア・ローマ世界において、食べ物と豊かさの象徴として用いられた角のイメージを持ち、髪の毛には果物や花が飾られています。また、象の皮を模したクッションの上に座り、左手を胸元に添えています。一方、男性は三叉槍を持ち、海馬に引かれた貝の上に座っています。台の上には小さな寺院もあり、中央の盆地にはいくつかのお面が飾られています。また、陸上や海での作業に使われた道具も散りばめられています。

彫刻された2体の像は、大地の神ケレースと海の神ネプトゥーヌスを表しています。彼らが足を組むことで、その結合から塩が生まれるのです。ケレースは豊かさを象徴する「とうもろこし」を持っています。主要な二人の下に描かれている他のモチーフは、オーロラ、昼、黄昏、夜です。 また、地球と空をかき立てる風も現れています。

■おわりに

ベンヴェヌート・チェッリーニは後期ルネサンス、マニエリスムの時代に彫刻家として活躍した人物で、また晩年になって著した自叙伝は16世紀ならではの口語体で表現されたことから後世の作家や芸術家たちに熱狂的に支持されました。そうした意味では、チェッリーニは芸術家としてはもちろん、文学や音楽においても後世の芸術家たちに影響をもたらした偉大な人物といえるのかもしれません。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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