マティアス・グリューネヴァルト:《イーゼンハイム祭壇画》を描いた画家

(Public Domain /‘Supposed portrait of Matthias Grünewald’ by Unknown author. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

マティアス・グリューネヴァルトは1470年ごろに神聖ローマ帝国に生まれた画家です。アルブレヒト・デューラーと並んでドイツ絵画史においてもっとも重要な画家と考えられており、特に《イーゼンハイム祭壇画》は西洋絵画史に残る傑作といえます。そんなグリューネヴァルトの生涯と作品とはどのようなものだったのでしょうか。

■マティアス・グリューネヴァルトとは

マティアス・グリューネヴァルトは1470年ごろ、神聖ローマ帝国のヴュルツブルクに生まれました。本名はマティス・ゴートハルト・ナイトハルトで、ナイトハルトが本来のファミリーネームであったものの、グリューネヴァルト自身はゴートハルトを好んで使っていたとも言われています。

グリューネヴァルトの幼いころや修行時代に関しては史料が乏しく、明らかになっていること自体が少ないものの、ミュンヘンのアルテ・ピナコテークに所蔵されている1503年の《辱められるキリスト》が最初期の作品であると考えられており、このころには画家として独り立ちしていたものと考えられています。

グリューネヴァルトはその後1509年までにマインツ大司教の宮廷画家となり、王侯貴族や教会からの注文を受け制作活動に励むようになります。またこの時代の画家は建築家としての仕事も請け負っていましたが、グリューネヴァルトも画家として祭壇画などの作品制作にあたりながら1511年にはマインツ大司教の統治下にあったアシャッフェンブルク城の再建監督を務めることとなります。

1511年から1515年にはグリューネヴァルトの代表作となる《イーゼンハイム祭壇画》を制作。イーゼンハイム祭壇画はもともと聖アントニウス修道会付属の施療院の礼拝堂にあったものであり、施療院では「聖アントニウスの火」と呼ばれる病気の患者の治療を行っていました。「聖アントニウスの火」は医学的には麦角中毒であると考えられており、祭壇画は患者が自らの苦しみをキリストの苦痛と感じ、救済を得るために制作されたものと考えられています。

(Public Domain /‘Wandering bands of insurgents during the German Peasants’ War’ byWarwick Press. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

イーゼンハイム祭壇画を完成させたのちはマインツ大司教アルブレヒト・フォン・ブランデンブルクに使えることとなり、1522年には第司教の命令でハレに赴くことになります。そこで美術建築の顧問として働くことになるものの、その2年後の1524年には解職されてしまいます。そのころハレではドイツ農民戦争が起きていましたが、その際グリューネヴァルトはルター派に属したといわれており、そのことが大司教の怒りを買ったものと考えられています。

その後グリューネヴァルトが作品を制作することはなく、フランクフルト・アム・マインで製図工や薬の販売人などの仕事をして生計を立てたのち、1527年にはハレに戻るもののペストにかかり、50代半ばで亡くなっています。

■マティアス・グリューネヴァルトの作品

グリューネヴァルトはアルブレヒト・デューラーと並んでドイツ・ルネサンスを代表する画家のひとりであり、その作品は色彩と感情表現を駆使し、信仰に対する精神性を存分に表現したものであり、今なお力強い輝きを放っています。その形態表現と色彩表現は、ある種表現主義に近いものでもあり、ドイツ絵画の基礎を築いたといっても過言ではないでしょう。そんなグリューネヴァルトの作品とはどのようなものだったのでしょうか。主要な作品を中心にご紹介します。

・《イーゼンハイム祭壇画》 1512年-1516年

本作品は1512年から1516年に制作された作品で、現在はウンターリンデン美術館に所蔵されています。もともとはイーゼンハイムにある聖アントニウス会修道院付属の治療施設のために描かれた作品で、この施設では、各疫病、特に麦角病やペストなどの治療に力を入れていたことで知られています。そのため、十字架につけられたキリストの体には、ペストのようなただれが描かれており、イエスが患者たちの苦悩を理解し、共有していたことが示されています。

祭壇画の翼は、特定の聖なる日を除いて閉じられていました。祭壇画が閉じられている状態では、左に矢で貫かれた聖セバスティアヌスの殉教が、右には恐ろしい怪物に嘲笑されながらも平静を保っている聖アントニウスが描かれています。中央に描かれているキリストの磔刑は、やせ衰えた体のキリストが手足に打ち込まれた釘の痛みに悶えている様子を見事に描き出しているため、西洋美術の中でも最も痛烈な場面の描写の一つとなっています。キリストの左には、洗礼者ヨハネが子羊を伴っており、イエスの犠牲を象徴しています。

イゼンハイム祭壇画の外翼は、閉めると第二の面が現れる構造になっています。左翼は受胎告知の場面で、大天使ガブリエルが聖母マリアに神の子イエスの誕生を告げに来るところを表しています。中央には、キリストが生まれたばかりの赤ん坊として地上に降臨している様子が描かれています。右翼には、キリストが墓から現れ、光を浴びて天に昇り、十字架につけられて顔を神の顔に変えた「復活」が描かれています。したがって、復活と昇天が1つのイメージとして示されているのです。

扉を開けた第三面では、中央に聖アウグスティヌス、聖アントニウス、聖ヒエロニムス、キリストと十二使徒の彫刻が施されています。左には隠修士聖パウロスへの聖アントニウスの訪問、右には悪魔に苦しめられる聖アントニウスが描かれています。

・《シュトゥパハの聖母》 1514年-1516年

(Public Domain /‘Stuppach Madonna’ by Matthias Grünewald. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1514年から1516年にかけて制作された作品で、現在はバート・メルゲントハイムの聖母マリア戴冠教会に所蔵されています。本作品はイーゼンハイム祭壇画と並んでグリューネヴァルトの代表作として知られており、細かい写実的要素に細心の注意を払っていることがよくわかる作品です。幼子イエスを抱え、庭の石のベンチに座っているマリアの様子が描かれています。

聖母は頭に飾りをつけず、長く波打った金髪が肩と背中を伝って落ちています。下絵とされる線画とは逆に王冠をかぶっていませんが、聖なる後光を表すために虹が使われています。彼女は、白い毛皮の裏地がついた豊かなカーマイン色のドレスを着ており、さらにこのドレスの上にも、紫の裏地と金色のリボンで仕上げられた伝統的な青色のコートに身を包んでいます。

幼子イエスは金髪のふっくらとした体で、満面の笑顔を見せる彼の目線は、聖母マリアの方を向いています。彼は右手を伸ばしており、手首には赤い珊瑚のブレスレットをつけています。

■おわりに

マティアス・グリューネヴァルトはアルブレヒト・デューラーと並ぶドイツ・ルネサンスを代表する画家であり、その生き生きとした色彩や劇的な表現は宗教的感情を表現した傑作として現在も高く評価されています。グリューネヴァルトは亡くなったのち、その本名さえ忘れ去られ、17世紀の著述家が誤って名づけ、本名が明らかになるのは20世紀になるのを待たなくてはなりませんでした。作品自体も19世紀末になってようやく再評価されるようになり、現在ではドイツ絵画史にその名を刻む偉大な画家として評価されています。

マティアス・グリューネヴァルトの作品はウンターリンデン美術館やミュンヘンのアルテ・ピナコテークなどに作品が所蔵されており、世界中から訪れる人々を魅了し続けています。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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