カルナヴァレ博物館:パリの歴史資料を所蔵する博物館

カルナヴァレ博物館はフランスのパリ3区にある博物館で、パリの歴史的資料を所蔵しています。博物館の肖像品は60万点近くに上り、古代から現代にいたるまでのパリの歴史を学ぶことができます。そんなカルナヴァレ博物館の歴史や主な所蔵品について、詳しく解説していきます。

■カルナヴァレ博物館とは

カルナヴァレ博物館はフランスのパリ3区、マレ地区にある博物館です。建物は1548年から1560年の間に建てられ、ルーヴル美術館の広場の中庭を担当したこともある、ルネサンス期の建築家ピエール・レスコが手がけたとされています。もともとは、パリ市議会の議長であったジャック・デ・リニュリのために建てられました。

1578年には、ブルトンの紳士の寡婦フランソワーズ・ド・ラ・ボームの所有となり、1650年代には、クロード・ボワズレーヴの手に渡ります。彼はフランスのバロック建築の第一人者であったフランソワ・マンサールに増築を託し、中庭を囲む連続した正方形の屋根が作られました。

1664年から1695年まではセヴィニエ侯爵夫人、1777年までは国王の秘書を務めたブリュネ・ド・ランシー、そして最後にはプレ・ド・サン=モール家が居住していました。

革命後の1866年、ジョルジュ・オスマンの助言でパリ市が購入し、建築家ヴィクトル・パルマンティエによって修復されます。当初オスマン政権は、パリ市の歴史的コレクションをパリ市庁舎に保管したいと考えていました。この計画はパリ・コミューンの下の火事でほぼ完全に頓挫しましたが、1871年以降、全く新しい基盤の上に再始動することとなります。そんな計画においてコレクションの保管先に選ばれたのが、急速に変化していく旧パリの建築物の中でも特に優れていたカルナヴァレ博物館だったのです。

■カルナヴァレ博物館のコレクション

カルナヴァレ博物館では古代の遺跡やかつてのパリの風景、古い建築物の模型などさまざまな所蔵品を通して、パリの長い歴史を伝えています。中庭では、太陽王ルイ14世の壮大な彫刻が来館者を出迎えてくれます。

約2,600点の絵画、20,000点の線画、30万点の彫刻と15万点の写真、2,000点の現代彫刻と800点の家具、数千点の陶器、多くの装飾品、数千点のコイン、模型やレリーフ、看板、有名なお土産、また数千点の考古学的な収蔵品が展示されています。首都の歴史を担った人物の肖像画や、パリで起こった出来事、特に首都を揺るがした数々の革命を描いた作品や、あらゆる社会階級の日常生活の場面がわかる展示を見ることができます。

そんなカルナヴァレ博物館のコレクションから特に有名な所蔵品について、詳しく解説していきます。

・《球戯場の誓い》 1791年 ジャック=ルイ・ダヴィッド

(Public Domain /‘The Tennis Court Oath’ by Jacques-Louis David. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1791年にジャック=ルイ・ダヴィッドによって描かれた作品で、フランス革命の直前の1789年6月20日に三部会の第三身分議会の議員たちがヴェルサイユ宮殿の球戯場に集まり、憲法制定まで解散しないことを誓い合った事件のことを指します。

当時のフランス王国においては戦争と飢饉によって財政が破たんしており、聖職者である第一身分と貴族である第二身分にも課税を行うしか術は残されていませんでした。新しい課税制度を制定するためにルイ16世は三部会を収集したものの、第一身分議員が第三身分議員の国民議会に合流することを決定し、これを脅威と感じた強硬派たちが国民議会の議場を閉鎖。締め出された国民議会の議員たちはヴェルサイユ宮殿の球戯場を新しい議場として、「王国の憲法が制定され、強固な基盤の上に確立されるまでは、決して解散せず、四方の状況に応じていかなる場所でも会議を開く」と誓い合います。

本作品はダヴィッドが国民議会の支援を受けて制作した作品であり、熱狂に渦巻く議員たちの姿が描かれています。議長のジャン=シルヴァン・バイイがテーブルの上に立ち、宣誓の文面を読んでおり、手前には、オノーレ・ミラボー、アントワーヌ・バルナーヴなど、フランス革命初期の中心的指導者たちもいます。代議員のポーズや伸ばした腕は同画家のホラティウス兄弟の誓いを想起させます。登場人物は誰一人として背を向けることなく、まるで劇場の舞台のように自分の役を演じているようです。

・《解体が始まったバスチーユ監獄》 1789年 ユベール・ロベール

(Public Domain /‘The Bastille in the Early Days of Its Demolition’ by Hubert Robert. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1789年にユベール・ロベールによって描かれた作品で、フランス革命の舞台となったバスチーユ監獄を描いたものです。バスチーユ監獄はシャルル5世の治世化に建てられ、もともとは政治犯や精神病者を収容した牢獄として使用されていました。フランス革命が勃発した際には民衆によって襲撃され、これをきっかけとしてフランス革命が勃発します。バスチーユ襲撃は7月14日の朝に行われ、4万人から5万人ともいわれる人々が廃兵院におしかけ、武器と弾薬を引き渡すように要求して3万2000丁の銃と大砲を奪うという事件が発生。また市民側と国王側の交渉も長引いたこともあって、民衆の不満は爆発、バスチーユ襲撃へとつながっていきます。

ユベール・ロベールはロココ期にフランスとイタリアで活躍したフランス人画家で、風景画を専門とし、文学や庭園など当時広く普及していたノスタルジックな嗜好を反映することを得意としていました。彼はまた、パリの建設現場の記録家でもありました。彼はバスティーユ監獄の「廃墟」を理想的に描き、巨大な建物として描きました。実際のところ、監獄は絵の中で描かれているような高さではなく、意図的に肥大化させられています。そのため、巧みなコントラストのある構造と照明の使用によって印象が強められているのです。暗い部分と明るい部分が交互に描かれており、暗闇が革命の輝かしい夜明けによって追い払われることを暗示しています。

■おわりに

カルナヴァレ博物館はオスマンのパリ改造計画にあたって破壊される寸前だった古きパリの事物を保存するために設立された博物館です。博物館の所蔵品は古代から現代にいたるまでのパリの歴史を振り返ることができるように展示されており、特にフランス革命期のダヴィッドやロベール・ユベールの作品、またルイ16世やマリーアントワネットの遺品などは、当時の革命の息吹をリアルに感じ取ることができます。

カルナヴァレ博物館はパリ3区のアクセスしやすい場所にあり、ルーブル美術館やオルセー美術館に比べるとその規模は小さくなりますが、パリの歴史を学ぶうえでは一番ぴったりの場所といえるでしょう。パリに訪れた際には、ぜひカルナヴァレ博物館にも足を延ばしてみてはいかがでしょうか。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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