ザッキン美術館:ロシア出身の彫刻家オシップ・ザッキンの作品を楽しめる美術館

(Public Domain /‘Zadkine in 1914’ by Unknown author. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

ザッキン美術館はフランス、パリ6区にある美術館です。ロシア帝国出身の彫刻家であるオシップ・ザッキンの作品を所蔵・展示している美術館で、ザッキンが1928年からアトリエ兼住宅としていた建物がパリ市に遺贈され、1982年にザッキン美術館として開館しました。所蔵規模としては大きくはないものの、ザッキンが暮らしていた建物で作品をじっくり楽しめる美術館であり、アートファンにはとても人気があります。そんなザッキン美術館とはどのような美術館なのでしょうか。ザッキンの生涯や作品についても詳しく解説していきます。

■オシップ・ザッキンとは

オシップ・ザッキンは1890年現在のベラルーシにあたる、ロシア帝国のヴィツェプスクに生まれました。父親は地方大学で語学を教える教師であり、比較的裕福な家庭で育ったといわれています。1905年には母親の実家のあったイギリスのサンダーランドの工芸美術学校で造形学を専攻します。その際ロンドンの大英博物館に展示されていた古典彫刻に深い感銘を受け、その後彫刻家を志すようになります。

1909年にはフランス・パリにわたり、パブロ・ピカソやアメデオ・モディリアーニ、藤田嗣治といったエコール・ド・パリを代表する芸術家たちと交流し、徐々にキュビスムの影響を受けた彫刻を制作するようになっていきました。その一方で、アフリカの彫刻作品にも影響を受け、生命力に満ちた彫刻作品を多数制作しました。

第一次世界大戦が起きた1916年にはフランス政府の呼びかけに応じて外国人部隊に入隊し、ロシア人衛生隊に配属されたものの、毒ガスを浴びせられて入院。1917年には除隊し、パリ7区のルスレ通りに部屋を借り、鉛筆や木炭、水彩などさまざまな技法のデッサンを描き、エッチングを制作。この時に制作された作品は「フランス軍ロシア人衛生隊配属の第一外国人部隊の兵士オシップ・ザッキンのエッチング20点」として画集になっています。

1920年にはアルジェリア出身の画家ヴァランティーヌ・プラックスと知り合い、翌年には結婚。1941年には戦争から逃れるためにアメリカに渡ったものの、戦後はすぐに帰国しパリを拠点に精力的に制作活動を行いました。1950年にはヴェネツィア・ビエンナーレで彫刻大賞を受賞し、1962年からはパリのエコール・デ・ボザールの教授を務めるなど、パリを代表する芸術家として知られています。

■ザッキン美術館とコレクション

1928年ザッキンはルスレ通りから6区のアサス通りに引っ越しますが、ザッキンはアメリカに亡命した1941年から1945年までの期間を除き、生涯にわたってこの住まいを住居兼アトリエとしました。その際妻であるヴァランティーヌも制作に励み、数多くの作品が生み出されました。1981年にヴァランティーヌが亡くなると、遺産はすべてパリ市に遺贈されることとなり、その後パリ市が美術館に改築、1982年4月19日にはパリ市美術館のひとつとして開館しました。6つの展示室のほか、庭にもブロンズ像が設置されており、屋内外で作品を楽しめる展示となっています。そんなザッキン美術館のコレクションには、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な作品をご紹介します。

・《破壊された都市》 1947年

本作品はザッキンが1947年に制作した作品で、1953年5月15日にロッテルダム港で発表された同名のモニュメントの小さなバージョンです。このモニュメントは、ロッテルダム市が第二次世界大戦の犠牲者に敬意を表し、ザッキンに制作を依頼しました。

1940年5月にドイツ軍の爆撃で破壊されたロッテルダムを見たとき、ザッキンが受けた衝撃が元になって制作されました。彼は回想録の中で、「ロッテルダムの街のイメージと破壊された街並みのイメージが私を悩ませた。パリに戻ってからは、混乱と恐怖が入り混じったものを表現しようと、粘土で彫像の模型を作っていました(L’image de la ville et des rues annihilées de Rotterdam me poursuivait. Rentré à Paris, je modelais en terre un projet de statue qui tentait d’exprimer le désarroi et l’horreur mêlés)」と、その時に感じた衝撃の激しさを語っています。

激しくねじれた動き、分断された体の線、人間の心臓が引き裂かれたような中央の空洞、凹面と凸面の間の光の戯れ、頭部の歪みは、ピカソの『ゲルニカ』に匹敵する恐怖の叫びの表現です。これらの要素は、悲劇の感覚を最高潮へと導く効果があります。人間の痛みを象徴するこの像によって、観客の感情を刺激し、観客を魅了する何かを発散し、彼ら自身の魂の中の意外な道を開くという彼にとって至高の目標が達成された作品であると言われています。

・《オルフェウス》 1948年

本作品は1948年にザッキンが制作した作品で、ギリシア神話の吟遊詩人オルフェウスにインスピレーションを受けて制作した作品です。オルフェウスは竪琴の名手で、オルフェウスが演奏すると森の動物たちはもちろん、木々や岩までもがその音色に耳を傾けたといわれています。

オルフェウス神話で特に有名なのが冥府下りで、オルフェウスの妻エウリュディケが毒蛇に噛まれて亡くなると、オルフェウスは妻を取り戻すために冥府に下ります。オルフェウスが冥界で竪琴を奏でると、冥王ハデスとその妃ペルセポネーは涙を流し、「冥界から抜け出すまでの間、決して後ろを振り返ってはならない」という条件のもと、オルフェウスの願いを聞き届けます。オルフェウスはエウリュディケとともに地上に向かったものの、冥界からあと少しというところで後ろを振り返ってしまい、そこで妻と最後の別れとなってしまいます。

誇らしげな鳥ようなの横顔を持つオルフェウスは、竪琴と弦の束とともに立っています。右手には楽器を持ち、左手は敬礼をしているかのように見えます。ザッキンはこの彫刻を完成させた後、形がそっくりの木片を発見し、それを死ぬまでアトリエで保管していたそうです。

■おわりに

オリップ・ザッキンはロシア帝国のヴィツェプスクに生まれ、パリにわたったのちキュビスムの彫刻家として活躍した人物です。その彫刻作品はキュビスムという新しい時代の表現とギリシアやアフリカといった古代や原始美術にもインスピレーションを合わせたもので、どうしても幾何学的になりがちなキュビスム彫刻を生命力あふれる形で表現しています。

ザッキン美術館はそんなザッキンの作品を屋内外で展示している美術館であり、400点あまりの彫刻作品と300点以上のデッサンが所蔵されています。折々に特別展が展示されており、普段は表に出すことができないデッサンや素描作品を目にすることもできます。美術館というと大きな建物で数多くの作品を鑑賞すると思いがちですが、このように画家が実際に制作し、生活を営んだ場所でその作品を鑑賞するというのはなかなかない経験です。パリを訪れた際には、ぜひザッキン美術館を訪れてはいかがでしょうか。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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