ウジェーヌ・ドラクロワ美術館:ドラクロワのアトリエ兼住居を活かした美術館

ウジェーヌ・ドラクロワ美術館とは1971年に開館した美術館で、ドラクロワが1857年から1863年までアトリエ兼自宅にしていた邸宅を美術館として公開したものです。ドラクロワ美術館には絵画やデッサンに加えて直筆の手紙などが展示されており、ドラクロワが制作していた当時の雰囲気を味わうことができます。そんなウジェーヌ・ドラクロワ美術館の歴史と主な所蔵品について、詳しく解説していきます。

(Public Domain/‘Self-portrait’ by Eugène Delacroix. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

■ウジェーヌ・ドラクロワとは

ウジェーヌ・ドラクロワは1798年、フランスのパリ近郊のシャラントンに生まれました。父親は外交官を務めたシャルル・ドラクロワですが、本当の父親はウィーン会議にフランス代表として出席したことでも知られるタレーラン・ペリゴールであるという説もあります。

(Public Domain/‘La Barque de Dante’ by Eugène Delacroix. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

ドラクロワは新古典主義の画家ピエール=ナルシス・ゲランのもとに入門し、1822年には《ダンテの小舟》でサロンに入選。1824年には《キオス島の虐殺》を出品したことで大きな議論を巻き起こしました。《キオス島の虐殺》は1822年に実際に起きた事件を題材としたもので、そのあまりにリアルな表現から賛否両論であったものの、結局作品は政府買い上げとなり、ドラクロワの代表作となりました。

(Public Domain/‘La Liberté guidant le peuple’ by Eugène Delacroix. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

また1830年に起きた7月革命に際しては《民衆を導く自由の女神》を制作。フランスの激動の時代を代表とする画家として旧フランス・フランの100フラン紙幣にも描かれたこともあり、フランスを代表する画家として現代にいたるまで支持されています。

■ウジェーヌ・ドラクロワ美術館とは

ドラクロワは1863年に65歳で亡くなるまで、制作活動を続けました。絵画作品はもちろん、リュクサンブール宮殿やパリ市庁舎など政府関係の建築の内部装飾の仕事も多く手掛けたドラクロワでしたが、そんなドラクロワの政策の拠点になったのが現在のウジェーヌ・ドラクロワ美術館となった建物です。

ドラクロワ美術館はサン・ジェルマン・デ・プレ教会裏手の静かな小径にあり、エントランスを入り階段を上った2階がドラクロワの住まいでした。ドラクロワが制作活動を行ったアトリエはもちろん、サロンや図書室、ドラクロワが永眠した寝室などもそのまま保存原稿されており、ドラクロワが活躍した時代にタイムスリップしたかのような雰囲気を味わうことができます。

そんなドラクロワのアトリエは住人が何度も入れ替わり、アトリエの解体が計画されたこともありました。しかしドラクロワを信奉するモーリス・ドニやポール・シニャックといった画家たちのコミュニティ「ドラクロワ友の会」が解体計画を阻止、その後美術館として公開することになり、現在はルーブル美術館付属の施設として年間6万人近い人々が訪れています。

■ドラクロワ美術館の所蔵品

ウジェーヌ・ドラクロワ美術館にはドラクロワ自身の作品はもちろん、ドラクロワと関連のある画家の作品も展示されています。1932年の設立以来収集されたコレクションは1000点以上に及んでおり、絵画や素描、版画にくわえ手書き原稿なども所蔵されています。そんなドラクロワ美術館の所蔵品とは、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な所蔵品について、詳しく解説していきます。

《青いベレー帽をかぶった若い男の肖像》 1824年

本作品は1824年に描かれた作品で、モデルにはドラクロワが最も愛した甥チャールズ・ド・ヴェルニアックであるといわれてきました。しかし実際のところ、スコットランドにルーツを持つイギリス人画家であるニュートン・フィールディングであることが後に判明しています。フィールディングの兄であるタレスとリチャード・パークス・ボニントンはドラクロワの友人であり、1821年から1826年にかけては版画や水彩画作品で共同制作を行った仲でした。

暗いグレーの背景を前に描かれる男性は黒いコートに白のシャツを身にまとっており、特徴的な形の青いベレー帽をかぶっています。どこか幼さが残る風貌でありながら、その瞳は静けさをたたえており、どこか哲学者のような雰囲気も漂わせています。また少し膨らんだ鼻やぽってりとした唇の形が非常に特長的です。このような黒を効果的に用いながら人物の内面性を描くタッチは、ドラクロワならではといえるでしょう。

《オーギュスト・リチャード・ド・ラ・オティエールの肖像》 1828年

(Public Domain/‘Portrait of Auguste-Richard de La Hautière’ by Eugène Delacroix. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1828年に描かれた作品で、フランスの社会主義者でジャーナリストや弁護士としても活躍したオーギュスト・リチャード・ド・ラ・オティエールを描いた作品です。リチャード・ド・ラ・オティエールは1828年にラテン語詩で2位の順位を獲得し、それをきっかけにこの作品が描かれたといわれています。

リチャード・ド・ラ・オティエールの背後の空には大きく揺れ動く大気が描かれており、山並みと思われる緑で描かれた部分も木々が描かれているのかははっきりしません。そんな背景の前に描かれるリチャード・ド・ラ・オティエールは黒の上着に白のベあおいスト、そして黄色に緑の模様がかかったスカーフを占めており、頬は赤く、それでいて美しい金髪の若者として描かれています。しかしその視線は左にそらされており、まるで鑑賞者しいては彼を描こうとするドラクロワの視線から目を離しているかのようです。これは思春期のさなかにあったリチャード・ド・ラ・オティエールの若さを表現したものではないかといわれています。

《砂漠のマグダラのマリア》 1845年

本作品は1845年に制作された作品で、キリスト教の聖人であるエジプトのマリアを描いた作品と考えられます。エジプトのマリアは12歳で両親のもとを離れたのち、アレクサンドリアに赴き淫蕩の生活を送ったといわれる女性で、その後エルサレム巡礼に赴き、砂漠で修業を行ったとされる人物です。

本作品は全体的に揺らめくようなタッチで描かれており、背景にはおそらく洞窟と思われる岩壁が描かれています。右端からはうっすらと外からの光が差し込んでいますが、それに目を向けているかのようにマリアは目を右上に向けています。マリアの髪は非常に豊かで美しく描かれているものの、マリアの顔は老いにさしかかった、あるいは日々の苦行で疲れ果てたような表情を浮かべており、聖人とはとても思えないような表現になっています。人間の感情や内面性を表現するのに秀でていたドラクロワならではの表現といえるでしょう。

■おわりに

ウジェーヌ・ドラクロワ美術館は、《民衆を導く自由の女神》や《キオス島の虐殺》といったフランス絵画史を代表する作品を描いたウジェーヌ・ドラクロワのアトリエ兼住居を美術館として改装した建物であり、ドラクロワやドラクロワに関連する芸術家の作品はもちろん、ドラクロワが実際に暮らしていた寝室や図書室、サロンといった場所も楽しむことができる美術館です。

美術館で作品を目にする際に気になるのは、「この画家はどのような人生を送ったのだろう」「この画家はどのような生活を送っていたのだろうか」ということだと思います。ドラクロワ美術館ではドラクロワの作品はもちろん、ドラクロワの生活空間も楽しめるという意味で、非常にまれな経験ができる美術館であるといえるでしょう。

参照:Wikipediaウジェーヌ・ドラクロワ

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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