ロダン美術館:オーギュスト・ロダンの傑作を鑑賞できる美術館

ロダン美術館はフランス、パリの7区にある美術館で、フランスを代表する彫刻家であるオーギュスト・ロダンと彼自身がコレクションした美術品を鑑賞できます。ロダンの彫刻6600点に加え、デッサン7000点が保存、展示されており、ロダンの芸術に浸れる一番の場所といえるでしょう。そんなロダン美術館の歴史と主な所蔵品について詳しく解説していきます。

(Public Domain /‘Auguste Rodin 1893’by Nadar. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

■オーギュスト・ロダンとは

オーギュスト・ロダンは1840年にフランス、パリに生まれた彫刻家です。パリの労働者階級の家庭で過ごし、特に芸術に親しむ環境にはなかったものの、10歳の時にはじめて絵を描いたことで絵画に興味を持ち、14歳のときには地元の工芸学校に入学。その後エコール・デ・ボザールに入学を志願するものの、拒否されてしまいます。度重なる入学拒否にもかかわらず、ロダンは芸術家になるという夢を捨てきれませんでした。室内装飾の職人として働きながら、異なる道を模索することになります。

1863年にはそんなロダンに追い打ちをかけるかのように、姉マリアが失恋で精神を病んで体調を崩し、亡くなります。姉マリアに恋人を紹介したのはロダン自身であったことから罪悪感に苛まれ、自身も姉と同じく修道会に入会。しかしロダンを指導するはずだった司教から諭され、芸術家としての道を再び模索するようになります。

ロダンはその後お針子のローズと出逢い、未婚のまま長男をもうけます。普仏戦争の影響で職を求めベルギーに移住することになったロダンは、ブリュッセル証券取引所の建設などに携わりました。その後は家族で訪れたイタリア旅行でドナテッロとミケランジェロの彫刻に深い感銘を受け、十数年ぶりに本格的に彫刻家としての活動を再開することになりました。

ボザールに入学できなかったコンプレックスを払拭したロダンは、次々に傑作を生み出します。実際の人間から型を取ったのではないかと疑われるほどに真に迫った表現の彫刻作品《青銅時代》や《カレーの市民》、《地獄の門》などを制作し、彫刻家としての地位を高めていきました。しかし、そのさなか若き才能あふれる教え子のカミーユ・クローデルと不倫関係に陥りますが、結局はクローデルと別れローズのもとに戻るなど、プライベートでは問題が続きました。その後1917年には死期の迫ったローズと結婚の手続きを取り、その16日後にローズは73歳で死去。同じ年にロダンも77歳で亡くなります。

■ロダン美術館

ロダン美術館はそんな近代彫刻の父オーギュスト・ロダンの作品を所蔵している美術館です。フランスのパリ7区、セーヌ川左岸のアンヴァリッドに隣接する場所にあり、ロダンが1908年から亡くなるまでの10年間を過ごした場所でもあります。もともとは邸宅として建てられた建物で、その後は寄宿学校として使われたり、礼拝堂が設置されたりしてきました。

1904年に不動産に売りに出されると、ジャン・コクトーやアンリ・マティスなど数々の芸術家が買い手の候補となりますが、1908年にロダンが購入し、以降アトリエとして使用されていました。1911年からはロダンとフランス国家の間で建物の購入についての交渉が開始し、生涯自身のコレクションが保管されると言う条件のもと、ロダンによる寄贈が決定しました。

1926年に歴史的建造物に指定されてからは、美術館としての役割をより明確に主張するために、大規模な改修と修復作業が行われてきました。

■ロダン美術館の所蔵品

ロダン美術館ではロダンの彫刻6000点、デッサン7000点の他、ロダンが収集した絵画や古代彫刻のコレクションも所蔵しています。こうしたコレクションからはロダンが彫刻作品を制作する際の制作プロセスや、作品の背景を伺うことができ、ロダン芸術の世界をじっくりと楽しめる空間となっています。

そんなロダン美術館の所蔵品には、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な所蔵品を中心にご紹介します。

・《地獄の門》

本作品はロダン作品の中でももっとも大きく、かつ世界的に知られている作品のひとつで、13世紀から14世紀にかけて活躍したイタリアの詩人ダンテの叙事詩「神曲」の地獄篇第3歌に登場する地獄への入り口の門を表現した作品です。「神曲」の地獄篇は、主人公のダンテが古代ローマの詩人ウェルギリウスに導かれて地獄をめぐるという内容であり、作品全体には地獄に落ちる人々がきわめてリアルな姿で表現されています。

またその上部には有名な《考える人》が設置されています。《考える人》は地獄の門の上で熟考するダンテを表現したものであるという説もあれば、地獄の中にカミーユとローズの間にできた息子が彫られていることから、自らの行いに苦悩しているロダンの姿そのものであるという説もあります。

(Public Domain /‘Portrait ofPère Tanguy’by Vincent van Gogh. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

・《タンギー爺さん》1887年フィンセント・ファン・ゴッホ

本作品は1887年にフィンセント・ファン・ゴッホによって描かれたもので、ロダンが収集したコレクションのひとつとされています。ポスト印象派の巨匠フィンセント・ファン・ゴッホは1886年オランダを離れ、パリに住む画商である弟テオと同居をはじめます。パリで生活する中でゴッホは印象派や点描派、そして日本美術にも影響を受けることとなり、その影響の大きさを示すかのように広重や北斎の浮世絵は本作の背景に描かれています。

「タンギー爺さん」ことジュリアン・フランシス・タンギーはパリで画材店を営んでいた人物で、ゴッホの初期作品を扱った画商でもありました。タンギーは陽気な性格で貧しい画家たちを中心に非常に慕われていた人物で、ゴッホはそんなタンギーの性格を表すかのように画面全体を明るい筆致で描いています。背景に描かれている浮世絵はタンギーの店の商品であったといわれており、点描に近いタッチで描かれたタンギーと平坦な色合いの浮世絵がひとつの作品の中に表現され、ジャポニスムと近代パリの融合を示す作品となっています。

「タンギー爺さん」を描いた作品はこのほかに2点現存しており、もう一点はギリシアの起業家で世界的な富豪としても知られたスタブロス・ニアルコスのコレクションに入っているといわれていますが、真偽のほどは定かではありません。それぞれの作品では同じタンギーを描いているものの、徐々にタッチが変化しており、ゴッホがパリ時代にさまざまな表現を模索していたことが伺えます。

■おわりに

ロダン美術館は1728年から1730年にかけて建設されたビロン館と19世紀末に建てられた小さなチャペルからなる美術館で、ロダンの彫刻6600点、デッサン7000点に加え、ロダン自身が収集した絵画や古代彫刻のコレクションを鑑賞することで、ロダンの芸術に浸ることができる場所となっています。またビロン館自体はロダンが晩年を過ごした館であることから、ロダンが過ごした時代を楽しめるのもロダン美術館ならではの特長といえます。

ロダン美術館では常設展示のほかに随時企画展が行われ、ロダンの彫刻をさまざまな観点から楽しむことができます。ロダン美術館には毎年50万人もの人々が訪れており、ロダン芸術を楽しめる場所であることに加え、フランスを代表する美術館とも言えるでしょう。ロダン美術館はアクセスのよい場所にあるので、パリを訪れた際にはぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。

本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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