モンマルトル美術館:モンマルトルの文化と歴史を紹介する美術館

モンマルトル美術館はフランス、パリ18区にある美術館です。19世紀から20世紀にかけてのモンマルトルの文化と歴史を紹介しており、またモンマルトルを舞台に活躍した画家たちの展覧会も随時行われています。そんなモンマルトル美術館の歴史とコレクションについて、詳しく解説していきます。

モンマルトル美術館とは

モンマルトル美術館があるモンマルトルはパリ市の城壁の外側に位置していたため、税金が安く、酒類がパリよりも安く手に入ったことから、酒場やキャバレーが立ち並ぶ繁華街として繁盛していました。そうした背景もあってか家賃も安かったため、19世紀かけて20世紀初頭にかけて多くの芸術家たちが移り住み、数多くの傑作が生まれました。また1904年には芸術家の共同アトリエ兼住宅「バトー・ラヴォワール」が建ち、パブロ・ピカソやアメデオ・モディリアーニ、コンスタンティン・ブランクーシといった20世紀を代表する芸術家たちがモンマルトルを拠点に制作活動を行いました。そう言った意味でも、モンマルトルは芸術家の街だったのです。

その一方でモンマルトルは12世紀からモンマルトル修道院のブドウ園があり、収穫祭など独自の文化が花開いたこともあって、1960年には歴史考古学会「古きモンマルトル」はこうしたモンマルトルの文化遺産を保護、研究する目的でモンマルトル美術館が設立されます。その後はモンマルトルにまつわる6000点以上もの作品や100000点以上の史料を収集し、常設展や企画展を行っています。

モンマルトル美術館の建築

モンマルトル美術館は開館した1960年にはモンマルトルの丘でもっとも古い館の一つであったべレール邸に設立されました。ベレール邸は17世紀に建てられた建築物で、古き良きモンマルトルの名残を残した建物でしたが、美術館自体が経営難に陥っていました。2011年にベはレーヌ邸の隣にあるドゥマルヌ邸の所有者とパリ市が契約し、1,200万ユーロをかけて改修したのち新しく美術館として開館しました。

ドゥマルヌ邸は《タンギー爺さん》で知られる画商ジュリアン・フランソワ・タンギーやクロード・ド・ラ・ローズらが住んでいたことで知られており、モンマルトルの建物のなかでも芸術家たちが特に親しんだ場所でもありました。その後ユトリロやその母親シュザンヌ・ヴァラドンのアトリエや寝室、今を再現する展示室を増築し、2014年に正式に開館。以降はモンマルトルをテーマとしたユニークな展覧会が行われており、世界中のアートファンの注目を集めています。

モンマルトル美術館のコレクション

モンマルトル美術館のコレクションはモンマルトルの文化や歴史に則って収集され、20世紀を代表する画家たちの作品も含まれています。またモンマルトルは繁華街として知られたということもあり、そうした店のポスター作品なども鑑賞可能です。そんなモンマルトル美術館のコレクションには、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な作品をご紹介します。

(Public Domain /‘Soon, the Black Cat Tour by Rodolphe Salis’ by Théophile Steinlen. Image via WIKIMEDIA COMMONS)


《ルドルフ・サリスの「ル・シャ・ノワール」の巡業》 1896年 テオフィル・アレクサンドル・スタンラン

本作品はスイス生まれのアール・ヌーヴォーの画家、テオフィル・アレクサンドル・スタンランによって制作された作品で、パリ18区にあった文芸キャバレー「ル・シャ・ノワール」のために制作されました。

本作品を描いたスルタランは1895年ローザンヌで生まれ、ローザンヌ大学で学んだ後、フランス東部の織物工場でデザインの練習生の仕事を得て、芸術家としてのキャリアをスタートさせました。スルタランはモンマルトルの芸術家コミュニティで活動するようになり、アドルフ・ウィレットの紹介で「ル・シャ・ノワール」に足を運ぶようになります。

ル・シャ・ノワールはモンマルトルにできたフランス発のキャバレーであり、巡業も数多く行われていました。1881年にルドルフ・サリによって設立されるとたちまち有名になり、パリの名士たちが交流する場となりました。またサリははじめてキャバレーにピアノを設置し、数多くの歌手や詩人たちが多くの作品を生み出していきました。こうした意味ではシャ・ノワールは、19世紀末のボヘミアンの象徴であり、モンマルトルの象徴ともいえるキャバレーだったのです。本作品はそうしたル・シャ・ノワールの宣伝のために制作されたもので、店名である「黒猫」を大きくモチーフとして用いており、赤と黄色の色彩が印象的です。

(Public Domain /‘Divan japonais’ by Toulouse-Lautrec, Henri de. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

《ル・ディヴァン・ジャポネ》 1893年 アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック

本作品は1893年にアンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックによって描かれたポスターで、当時パリで流行していたカフェ・コンセールのために描かれた作品です。アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックは伯爵家に生まれたものの、幼いころに骨折してから足の発育が停止し、胴体こそ大人の姿である者の、足の大きさだけは子供のままという状態で成人しました。

外見のコンプレックスからロートレックは同じく苦しい社会の中を生きる娼婦や踊り子たちに目を向けるようになり、モンマルトルのキャバレーに出入りするようになっていきました。またロートレックは幼いころから絵画の才能を示しており、レオン・ボナの画塾やモンマルトルにあったフェルナン・コルモンの画塾で学んでいます。ロートレックは作品の対象として徐々に娼婦たちを描くようになり、ロートレックは徐々にモンマルトルの画家としての地位を確立していきました。

本作品のタイトルである「ル・ディヴァン・ジャポネ」とは「日本の長いす」という意味です。当時フランスではジャポニスムが大流行しており、芸術家たちもまた極東日本の芸術に関心を寄せていました。ロートレックもその一人で、多数の浮世絵を収集していたことがわかっています。人気の踊り子ジャヌ・アブリルを描いたとされる中央の黒いドレスの女性や、音楽評論家のエドゥアール・デュジャルダンをモデルとした男性が描かれています。斜めに横切っている灰色の部分はオーケストラであり、一番奥で舞台に立つ女性は歌手であったイヴェット・ギルベールです。

おわりに

モンマルトル美術館はモンマルトルの文化や歴史に関する品々を収集、展示する美術館であり、6000点以上の収蔵品から構成されたユニークな展覧会が随時行われています。またモンマルトルはバトー・ラヴォワールがあったということもあり、パブロ・ピカソやアメデオ・モディリアーニといった20世紀を代表する画家たちが新しい表現を模索した場所でもありました。モンマルトル美術館ではそうしたモンマルトルの画家たちにも着目し、20世紀のパリのアートシーンをテーマに数々の展覧会を行っています。

モンマルトル美術館はパリ18区、コルトー12番地にあり、美術館の入り口にはモンマルトルに住んだ芸術家たちの名前を刻んだプレートが掲げられています。パリを訪れた際には、ぜひ訪ねてみてはいかがでしょうか。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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