ポン・タヴェン美術館:ポン・タヴェン派の画家たちの歴史を語り継ぐ美術館

ポン・タヴェン美術館はフランスの北西部の都市、ポン・タヴェンにある美術館です。ポン・タヴェンはポスト印象派の巨匠ポール・ゴーギャンをはじめとする画家たちが住み、この地方ならではのテーマで作品を描いたことで知られています。また、そうした画家たちはポン・タヴェン派と呼ばれました。ポン・タヴェン美術館はそんなポン・タヴェン派の作品を所蔵・展示している美術館です。以下ではポン・タヴェン美術館の歴史やコレクションについて、詳しく解説していきます。

ポン・タヴェン派とは

そもそもポン・タヴェン派とは、どういった画家を指すのでしょうか。ポン=タヴェンはフランスのブルターニュ、フィニステール県の地域です。1862年にパリからカンペール行きの鉄道が開通し、ブルターニュ地方への観光客が増加したのにともなって、観光客も増加していきました。1886年にはフィラデルフィアから来たアメリカ人画学生たちが訪れたのを筆頭に、その後もアメリカやイギリス、フランスの画家たちが集まっていきます。約15年の間に、ポン・タヴェンには画家たちの一大コミュニティができあがっていました。

このころ、伝統を重視するアカデミズム絵画はもちろん、クロード・モネやルノアールらが活躍した印象派の表現さえも古い表現と考えられるようになっており、画家たちは新しい表現を模索していました。一方、ポン・タヴェンではブルトン語という独自の言語が用いられており、カトリック信仰もさかんであったことから、独自の文化を築いていました。こうした環境は画家たちが新しいインスピレーションを得るためには格好の場所だったのです。

そんなポン・タヴェン訪れた画家たちの中には、ポール・ゴーギャンやエミール・ベルナールも含まれていました。2人は《草地のブルターニュの女たち》や《説教の後の幻影》といった作品を制作し、1889年に行われたパリ万国博覧会では、会場の片隅にあるカフェ・ヴォルピーニで「印象主義および統合主義グループ」と自称する展覧会を開催。エミール・シェフネッケル、ルイ・アンクタン、シャルル・ラヴァル、ジョルジュ=ダニエル・ド・モンフレイなどが参加し、平面的な色彩で画面を構成する統合主義の作品を発表しました。

ポン・タヴェン美術館とは

ポン・タヴェン美術館はこうしたポン・タヴェン派の作品を所蔵・展示している美術館です。美術館の建物は、もともとジュリア・ギグーが経営していたホテルで、現在ポン・タヴェン広場にはその功績をたたえてジュリアのブロンズ像がおかれています。ギグーはポン・タヴェンで生まれた女性で、コンカルノーにあるホテルで1870年まで10年間ほど勤めていました。その後、美術館の前身である「Hôtel des Voyageurs」のオーナーの後任となり、前のオーナーが亡くなったのを機に、彼女はホテルを手に入れます。利用客の大半は、1850年代からポン・タヴェンを訪れていたアメリカ人やイギリス人の画家たちで、ホテルについての評判は急速に広がっていきました。

1915年以降、ギグーの健康状態が悪化。1917年に姪がホテルを引き継ぎましたが、世界恐慌による打撃やライフスタイルの変化、他の地域に利用客が流れていってしまったことから、1938年にホテルは閉館を余儀なくされます。
ギグーの死後、ホテルの所有権はポン=タヴェン市に移ることとなりました。1953年、ポール・ゴーギャンの没後50年の節目に、市庁舎の結婚式場となっていた元ホテルで、初の大規模な絵画展が開催されました。この機会に、ルーヴル美術館は「La belle Angèle」という絵画を貸し出しています。その後1984年までは、1階の敷地はアーティストに貸し出されていました。

それから長い月日を経てポン=タヴェン市はかつてギグーが増築したホテル・ジュリア別館を美術館にすることに決定。ホテル時代の面影を残しながらも、近代的な展示スペースに改修されました。

ポン=タヴェン美術館のコレクション

ポン=タヴェン美術館ではポール・ゴーギャンやエミール・ベルナールといった統合主義を代表する画家に加え、アメリカやイギリス、オランダ、そしてスカンジナビアといった外国出身の画家たちの作品も豊富に所蔵しています。ポン=タヴェン美術館ではこうしたポン=タヴェンを拠点として活動した画家たちの作品を多数目にすることができ、新しい表現を生み出そうとした芸術家たちの息吹が感じられるような展覧会が数多く行われています。

そんなポン・タヴェン美術館のコレクションには、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な所蔵品をご紹介します。

(Public Domain /‘Portrait de Marie Lagadu’ by Paul Sérusier. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

《マリー・ラガドゥの肖像》 1889年 ポール・セリュジエ

本作品は1889年にポール・セリュジエによって描かれた作品です。ポール・セリュジエは1864年にフランス、パリに生まれました。セリュジエはパリの名門高校で哲学や古典語などを学んだ後、1885年にパリの私立美術学校アカデミー・ジュリアンに入学。1888年にはポン=タヴェンを訪れて、作品活動にいそしむこととなります。ちなみに、彼がポン・タヴェンを訪れていた時期、エミール・ベルナールやポール・ゴーギャンも同地を訪れていました。セリュジエはゴーギャンから直接指導を受け、その後はピエール・ボナールやモーリス・ドニ、ポール・ランソンたちとともに「ナビ派」として活動していくことになります。

モデルのマリー・メリエンはポン=タヴェンの有名な宿の使用人で、セリュジエが何度も肖像画を制作していた人物です。この作品では、彼女は典型的な仕事場の頭飾りを身につけています。タイトルにもある通り、ラガドゥ(ブルトン語で「黒い目」)の愛称で呼ばれ、ゴーギャンの作品でもモデルを務めていました。

(Public Domain /‘Étude pour le Blé noir’ by Émile Bernard. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

《黒麦のための習作》 1888年 エミール・ベルナール

本作品は1888年にエミール・ベルナールによって描かれた作品で、クロワゾニズムが極限まで用いられています。エミール・ベルナールは1868年フランスのリールに生まれ、1884年にはフェルナン・コルモンの画塾で学んだものの、1886年にはパリを去り、ノルマンディーやブルゴーニュを旅することになります。このころ点描による作品を制作したこともあったものの、徐々にクロワゾニズムの作品を制作するようになり、統合主義を代表する画家として作品を発表するようになっていきました。

クロワゾニズムとは評論家エドゥアール・デュジャルダンによる造語で、素地に金属線を磔、粉末ガラスを満たしてから焼く「クロワゾネ」を思い起こさせることからつけられたものです。ポスト印象派の画家たちの作品は輪郭線で区切られ、色彩は単色に切り詰められているのが特徴で、ベルナールはそんなクロワゾニズムの発明者として知られています。

本作品はそうしたクロワゾニズムを発明する過程で制作された作品で、ブルゴーニュの民族衣装に身を包んだ二人の女性たちが麦を収穫している姿が描かれています。畑が血のように赤く染まっていますが、これはブルトンの黒麦(ソバ)の収穫時期になるとよく見られる風景で、実はそれほど誇張されていません。ベルナールは、田舎の風景を簡略・様式化し、黒い線で色を区切り、影や遠近法の要素を排除して描きました。

おわりに

ポン・タヴェン美術館は新しい表現をもとめて集まったポン・タヴェン派の画家たちをはじめとする芸術家たちの作品を所蔵・展示している美術館です。美術館の建物も画家たちが集まった当時のホテルを利用したものであり、彼らが活躍した時代の空気を感じながら鑑賞できる美術館となっています。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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