ヴェルサイユ宮殿美術館:フランスの王侯貴族の姿を垣間見る美術館

ヴェルサイユ宮殿美術館は1682年にフランス王ルイ14世の宮殿として建てられた宮殿を活用した美術館であり、バロック時代やロココ時代の華やかな宮廷文化を垣間見ることができる場所です。特に歴史的にも有名な《鏡の間》や太陽王ルイ14世やマリー・アントワネットゆかりの品などは、フランスの歴史を振り返る意味では欠かすことができない品々といえるでしょう。そんなヴェルサイユ宮殿美術館と所蔵品、展示品について詳しく解説していきます。

ヴェルサイユ宮殿美術館とは

ヴェルサイユ宮殿美術館はもともとフランス国王ルイ13世の狩猟用の館として建設されました。その後1668年になるとその息子のルイ14世が館を拡張し、フランス宮廷の本拠地としました。建築家マンサールや画家のル・ブラン、造園家のル・ノートルが手掛けたことで知られ、当時としてはもっとも豪華な宮殿として華やかなフランス文化の発信地となりました。

王室や式典、会議をするための場所、軍事病院などの役割を経て、19世紀末から20世紀初頭にかけては宮殿の修復作業が行われます。これは、2度の世界大戦によって中断されたこともありますが、現在に至るまで続いています。何度もその価値を見直されてきた宮殿であるからこそ、長い歴史を持つものの美しい状態で現在まで保存されているのです。

ヴェルサイユ宮殿美術館のコレクション

ヴェルサイユ宮殿というとその豪華な建築や《鏡の間》などが有名ですが、6000点の絵画、1500点の彫刻など中世から現代までの傑作が所蔵されており、宮殿はもちろん、庭園や王妃マリー・アントワネットの離宮などにも展示されています。その数は、合わせて6万点以上にものぼるそうです。

そんなヴェルサイユ宮殿美術館の所蔵品の中には、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な展示品をご紹介します。

《鏡の間》 1678年 ジュール・アルドゥアン=マンサール

《鏡の間》は1678年にジュール・アルドゥアン=マンサールが手掛けた室内装飾です。マンサールは1646年に生まれた建築家で、ルイ14世の主席建築家として活躍した人物です。同じく建築家であった大おじのフランソワ・マンサールに師事し、ルイ14世の愛人であるモンテスパン公爵夫人の城を設計し大変な評判となったことから、1675年には王室建築家に任命されます。ヴェルサイユ宮殿の造営に携わることとなり、光をドラマチックに用いる建築スタイルを用いました。ルイ14世は彼のスタイルを大変気に入ったため、マンサールはファサード、鏡の間、王室礼拝堂、ノートルダム教会などさまざまな建築を手掛けることとなりました。

そんなマンサールの代表的な作品といえる《鏡の間》はヴェルサイユ宮殿のなかでももっとも有名な場所といえるでしょう。長さは73メートル、幅は10.5メートルという長い回廊には17もの窓によって自然光が取り入れられ、357枚という並外れた枚数の鏡が設置されることによってまばゆい光の空間となっています。またシャルル・ルブランの工房で制作された1000㎡近い絵画が一面を彩っており、すべての作品がルイ14世の功績を表していることから、太陽王ルイ14世の絶対王権を示しているようにも見えます。

《鏡の間》はバロック様式の設計がなされており、17世紀には宮廷の人々が行き来する場所として「大回廊」と呼ばれていました。また王たちが外交上の儀式や婚礼で用いたことでも知られており、特にルイ16世がマリー・アントワネットと結婚式を挙げたことは有名です。その後フランス革命において混乱の中心となったものの、1919年に第一次世界大戦が終結したのちにヴェルサイユ条約が調印されたものもこの場所でした。建造当初から近代にかけて、重要な場所であり続けたのです。

(Public Domain /‘Louis XV in Coronation Robes’ by Hyacinthe Rigaud. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

《フランス王ルイ15世の肖像》 1730年 イアサント・リゴー

本作品はスペイン帝国のペルピニャン出身の画家イアサント・リゴーが描いた作品で、フランス国王ルイ15世を描いたものです。

イアサント・リゴーは1659年、フランス南部の都市ペルピニャンに生まれました。父の工房で修行を積んだ後、1671年からモンペリエのアントワーヌ・ランクに師事して画家としての腕を磨き、4年後にはリヨンに移ります。リヨンでは、フランドル絵画、オランダ絵画、イタリア絵画、特にルーベンス、アンソニー・ヴァン・ダイク、レンブラント、ティツィアーノの作品に親しむようになりました。1681年にはパリに移り、一年後にローマ賞と呼ばれる名誉ある奨学金を獲得しましたが、シャルル・ル・ブランのアドバイスにより、奨学金の対象となっていたローマへの渡航は行いませんでした。リゴーは1710年に王立絵画彫刻アカデミーに入学し、その頂点に立ちますが、1735年に引退しました。

本作品で描かれているルイ15世は太陽王ルイ14世のひ孫にあたる人物で、教養深い人物として知られていました。もともとルイ14世には直系の王位継承者が6人いたものの、天然痘に罹患したことにより次々と死去、王太子ルイの3男として生まれたアンジュー公ルイがフランス王位継承権第一位となり、1715年、ルイ14世の死去に伴ってわずか5歳のルイ15世が即位することとなります。

ルイ15世は大変な美男子で、きちんとした教育も受けていましたが、その一方で政治にはあまり関心がなかったといわれています。また私生活は奔放で、ポンパドゥール夫人やデュ・バリー夫人といった愛人を多く抱えたことでも有名です。本作で描かれるルイ15世は20歳ごろの姿です。体全体にハイライトが当てられており、バロック時代の絢爛豪華な表現を引き継ぎつつも、ルイ15世の治世で花開くことになるロココ時代を思わせる優美な表現が目立ちます。

(Public Domain /‘Marie-Antoinette with the Rose’ by Élisabeth Vigée Le Brun. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

《マリー・アントワネット》 1783年 エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ・ルブラン

本作品は1783年にヴィジェ・ルブランによって描かれた作品で、王妃マリー・アントワネットを描いた作品です。ヴィジェ・ルブランは18世紀を代表する女性画家として知られており、マリー・アントワネットの肖像画家として活躍しました。またヨーロッパの王侯貴族たちからも支援を受け、10の都市でアカデミーの会員になったことでも知られています。

本作品は胸元に大きなリボンをあしらった落ち着いた色のドレスの身に纏い、薔薇を手にする王妃マリー・アントワネットの姿が描かれています。もともと、当時流行っていたドレスを着た姿で描かれたものが発表されましたが、民衆が彼女の豪華な生活を非難したため、シンプルな衣装でのこの新たな絵画が制作されることになりました。

おわりに

ヴェルサイユ宮殿美術館はフランス宮廷の中心地であったとともに、第一次世界大戦の後にはヴェルサイユ条約の締結の場となるなど、歴史的に非常に重要な場所であり続けました。そうしたヴェルサイユ宮殿で作品を鑑賞することは、歴史をより直接的に感じ取る貴重な経験になるでしょう。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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