
アンジェ美術館:フランスにおける最初期の美術館のひとつ
アンジェ美術館はフランスのアンジェにある美術館で、1801年に開館しました。14世紀から現代までの絵画作品を所蔵しており、その中にはドミニク・アングルやクロード・モネなどそれぞれの時代を代表する画家たちの作品が含まれています。そんなアンジェ美術館の歴史と所蔵品について詳しく解説していきます。

アンジェ美術館とは
アンジェ美術館はフランス中西部、ロワール河畔のアンジェにある美術館です。アンジェは紀元前より交通や戦略上の要所として重要視されており、街にはいまなお中世に建てられた城塞が残っています。
アンジェ美術館の建物は、1486年から1493年の間にブルターニュの財務官を務め、アンジェ市長でもあったオリヴィエ・バローによって建てられたものです。17世紀から18世紀にかけて何度も増改築が行われ、大きな変化を遂げてきました。1801年、ルーヴル美術館をモデルにした博物館がオープンしましたが、1803年には撤退が決まってしまいます。しかし、アンジェ市の意向により、絵画、自然史の研究資料、図書館はそのまま保存されました。
その後、ダヴィッド・ダンジェやランスロット・テオドール・ド・クリッセ、ギョーム・ボディニエなどの寄贈により 規模が拡大、1950年にはリニューアルオープンを果たします。その後も改造や移転を繰り返し、最近では、1999年から2004年の間に、徹底的な改造と増築が行われました。現在、常設展示のためのスペースには500平方メートルほどの広さがとられています。

アンジェ美術館のコレクション
アンジェ美術館のコレクションは、14世紀から現代までの絵画や彫刻から成されており、その中にはロココ時代の画家アントワーヌ・ヴァトーやジャン・オノレ・フラゴナール、新古典主義の巨匠ドミニク・アングル、フランソワ・ジェラールなどそれぞれの時代を彩った画家たちの作品が含まれています。そんなアンジェ美術館のコレクションには、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な作品をご紹介します。

《パオロとフランチェスカ》 1819年 ドミニク・アングル
本作品はドミニク・アングルによって描かれた作品で、ダンテの「神曲」地獄篇のパオロとフランチェスカの物語を描いた作品です。ドミニク・アングルはフランス南西部のモントーバンに生まれた画家で、トゥールーズの美術アカデミーに入学したのち、新古典派の巨匠ジャック=ルイ・ダヴィッドのアトリエに入門しました。1801年には若手画家たちの登竜門として知られるローマ賞を受賞。フランス国内の混乱もあってイタリア留学は遅れたものの、1806年にはようやくローマを訪れ、1824年まで美術アカデミーに滞在しています。その後1824年のサロンに出品したノートルダム大聖堂の祭壇画《ルイ13世の誓願》は圧倒的な支持を集め、44歳のアングルはダヴィッドの後継者として熱狂的に迎えられることとなりました。
本作品はそんなアングルによって描かれた作品で、1814年から1819年にかけて7つのバージョンが制作されました。描かれているのはダンテ・アリギエーリの叙事詩「神曲」の地獄篇に登場する人物で、情熱的に愛し合うパオロとフランチェスカ、それを陰で見つけるパオロの兄ジョヴァンニです。
ラヴェンナに生まれ育ったグイード・ダ・ポレンタの娘であるフランチェスカ・ダ・リミニは、政治的な理由でマラテスタ家の長男ジョヴァンニに嫁ぎますが、義弟である眉目秀麗なパオロと恋に落ちてしまいます。ある時、フランチェスカとパオロは、2人で本を読んでいるうちに互いに惹かれ合い、不意にパオロがフランチェスカを抱き寄せます。その直後、密会を物陰から盗み見ていたジョヴァンニにより、2人は殺されてしまうのです。
知られている7つのバージョンのうち、アンジェ美術館のものが最も成功した作品であると考えられています。その理由は、同画家の「ユピテルとテティス」を彷彿とさせる首の曲線が高く評価されているからです。また、家具や衣服の細部の表現は、明らかに北欧のルネサンス絵画を彷彿とさせます。

《待ちうけられる愛の宣言》 1716年ごろ ジャン=アントワーヌ・ワトー
本作品は1716年ごろジャン=アントワーヌ・ワトーによって描かれた作品で、18世紀フランスのロココ文化がうかがえます。ジャン=アントワーヌ・ワトーは1684年フランス北西部のベルギー国境に近いヴァラシエンヌに生まれ、1702年にはパリに移り複製絵画の製造業者のもとで宗教画や風俗画のコピーを制作する仕事をしていました。1717年には《シテール島への巡礼》でアカデミー入会が認められたものの、1721年には結核にかかり36歳という若さでその生涯を閉じてしまいます。
ワトーの作品はロココ時代の貴族の姿を描いた作品が多く、「雅宴画」として新しいジャンルを築くに至りました。主に田園に集い愛を語り合う若い男女たちを描いたもので、《シテール島への巡礼》はそんな雅宴画を代表する一作であるといわれています。
本作もまた雅宴画のひとつで、人々が音楽を楽しむ姿が描かれています。登場人物は画面右にまるでピラミッドのようにまとめられており、左奥の風景とコントラストを作り出しています。奥にはフルートを演奏する男性が描かれ、それに聞き入るようにみなうっとりとした表情をしています。ただその中で浮かない顔をしているのが一番手前に描かれた男性です。男性の心にあるのはフルートの音色ではなく、タイトルにも示唆されている通り、愛の告白を受け入れられるかどうかということなのでしょう。男性はじっと手元の花を見つめ、どのような言葉をかけるか思いにふけっています。
《果物、瓶と陶器》 1764年ごろ ジャン・シメオン・シャルダン
本作品はジャン・シメオン・シャルダンによって1764年ごろに制作された作品で、果物や陶器、ガラスの瓶などを描いたいわゆる静物画に属する作品です。

ジャン・シメオン・シャルダンは1699年にパリに生まれ、ロココ時代に活躍した画家として知られています。1720年にコアペルのもとで静物画を描く助手をつとめたのち、1728年には王立絵画彫刻アカデミーの正会員となり、また1757年にアルーブル宮殿にアトリエ兼住居を授かっています。当時絵画は歴史画や宗教画に重きが置かれており、風俗画は重要視されていませんでした。そんな中風俗画家であるシャルダンがこのような待遇を受けたということは、当時から彼の作風が高い評価を受けていたことを意味しています。実際にフランス国内の王侯貴族はもちろん、ロシアのエカチェリーナ2世もサンクト・ペテルブルグのアカデミー装飾のための作品を注文しており、シャルダンは国内外で高い評価を受けていました。
本作品では中央にオレンジやりんごといった果物が描かれ、右には白い陶器のコップが、右側にはガラスの瓶が描かれています。このガラスの瓶は当初中央に描かれていたものの、のちに左側に移して描かれたことが分かっており、シャルダンが配置と構図を慎重に調整していたことがわかります。

おわりに
アンジェ美術館は長い歴史を持ち、14世紀から現代にかけての名作を所蔵している美術館です。アンジェはパリから距離があるものの、中世の名残を感じながら芸術鑑賞にひたるにはぴったりの街です。ぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。
※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。