コンデ美術館:ルーブルに次ぐ近代絵画コレクションを有する美術館

コンデ美術館(シャンティイ城)はパリから40kmほど北のオワーズ県、シャンティイにある美術館です。国王ルイ・フィリップの息子であるアンリ・ドルレアンが亡くなり、残されたコレクションとシャンティイ城がフランス学士院に遺贈されたことが、開館のきっかけとなっています。またコンデ美術館のコレクションはフランス国内ではルーブルに次ぐ近代絵画のコレクションを有しており、フランスでも有数の美術館であるといえるでしょう。以下ではそんなコンデ美術館の歴史と所蔵品について詳しく解説していきます。

コンデ美術館とは

コンデ美術館はパリから40kmほど北のシャンティイにある美術館です。1897年、国王ルイ・フィリップの息子であるオマール公アンリ・ドルレアンが亡くなると、シャンティイ城とアンリ・ドルレアンがその生涯を通じて集めていた先祖代々のものや、様々な戦争やその他の革命の際に散逸したヨーロッパの美術品がフランス学士院に遺贈されることとなります。そのコレクションを元に、シャンティイ城は1898年、コンデ美術館として開館することになりました。

コレクションの館外貸し出しは禁止されており、展示室の改造もできないため、コンデ美術館でしか見ることができない作品ばかりです。その結果、年間約25万人が訪れています。毎年開催されている企画展では、普段は展示室以外の場所に保存されている作品の一部を見ることができます。

コンデ美術館のコレクション

コンデ美術館のコレクションはフランス国内の美術館としては有数の物であり、約2万点の所蔵品の中にはイタリア絵画やフランス絵画、そして2500点の素描や1500点もの写本が含まれています。特に《ベリー公のいとも豪華なる時祷書》が所蔵されていることで有名です。そんなコンデ美術館のコレクションには、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な所蔵品をご紹介します。

(Public Domain /‘Louis, Grand Condé’ by Justus van Egmont. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

《コンデ公ルイ2世の肖像画》 1654年-1658年 ユストゥス・ファン・エフモント

本作品はユストゥス・ファン・エフモントによって1654年から1658年に描かれた作品で、ブルボン朝のフランス貴族で軍人でもあったコンデ公ルイ2世を描いた作品です。コンデ公はフランスブルボン家の支流にあたり、ルイ2世は4代目のコンデ公にあたります。コンデ公ルイ2世は、19歳で三十年戦争に従軍し、21歳でフランス宰相リシュリューからフランドル方面の司令官に任命されます。その際ロクロワの戦いで、2万6千ものスペイン軍により少ない兵力で打ち勝ち、フライブルグの戦いやランスの戦いなどさまざまな戦争で武勲を立てており、軍人としては才能にあふれた人物であったと言えるでしょう。1646年には父が亡くなったため、コンデ公とモンモランシー公位を継承しますが、あまりに多くの武功を立てたため、フランス宮廷に恐れられることもありました。

本作品においてコンデ公ルイ2世は豪華な衣装に軍の指揮をするための棒を手にしており、軍人としての側面を強調しています。

(Public Domain /‘The Very Rich Hours of the Duke of Berry Folio 1, verso: January’ by Limbourg brothers. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

《ベリー公のいとも豪華なる時祷書》 15世紀

本作品は中世フランスの王族、ベリー公ジャン1世が作らせた華麗な装飾写本で、コンデ美術館が所蔵している作品の中でももっとも有名な作品の一つと言えます。時祷書とは中世の写本の一種で、聖務日課書を短縮したものです。聖務日課書とは修道院で伝えられた礼拝について書かれた本であり、修道院の日課を日常の生活に取り入れたい一般のキリスト教徒のために作られたものでした。

ベリー公ジャン1世は、多くの写本を作らせたことで知られており、《ベリー公のいとも豪華なる時祷書》は15世紀の初めランブール兄弟が依頼を受けたことによって、制作が始まりました。しかし1416年ベリー公とランブール兄弟が亡くなったために一時中断し、15世紀の末になって完成することとなります。

時祷書は、ジャン1世の死後サヴォイア公カルロ1世に継承され、フィリベルト2世、マルグリット・ドートリッシュなどの手に渡るものの、しばらく行方が分からなくなっていました。その後ジェノヴァの銀行家であるスピノラ家が所有していることが判明、フランス王ルイ・フィリップの子、オマール公アンリが1855年にジェノヴァで購入し、その後フランス学士院に寄贈されていたもののシャンティイ城に所蔵され、現在に至っています。

(Public Domain /‘The Very Rich Hours of the Duke of Berry Folio 3, verso: March’ by Limbourg brothers. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品では「新年の祝宴」や「小麦の刈り入れ」などその月ごとに行われる行事がラピスラズリの群青を中心とした鮮やかな色彩で描かれています。その上部には太陽や星々が描かれ、夜空の動きが表現されています。

また使用されたラピスラズリは古代から利用された鉱物で、顔料であるウルトラマリンの原料として珍重されてきました。そんなラピスラズリが惜しげもなく用いられていることからも、ベリー公が多くの富を有しており、どれほどこの時祷書に熱意を注いでいたのかをうかがい知ることができます。

(Public Domain /‘Ahasuerus Chooses Esther’ by Filippino Lippi. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

《アハシュエロス王に選ばれるエステル》 1480年 フィリッポ・リッピ

本作品はフィリッポ・リッピによって1480年に描かれた作品で、旧約聖書の『エステル記』の主人公であるユダヤ人女性エステルを描いた作品です。フィリッポ・リッピは1469年にイタリア・フィレンツェに生まれた画家で、ボッティチェリの師としても知られています。同時代に活躍したフラ・アンジェリコが敬虔な修道士であった一方、リッピは修道女と駆け落ちするなど奔放な生活を送ったことで知られており、作品には修道士には似つかわしくないともいえる女性のなまめかしい表現も見られます。

本作で描かれているのは旧約聖書の「エステル記」の主人公であるエステルで、ペルシャ王アハシュエロスの妃となった女性を描いたものです。ペルシャ王アハシュエロスの治世の時、王妃であるワシュティが命令に従わなかったことから、王は新しい王妃を探し始めます。エルサレムから連れてこられた捕囚であるモルデガイは、両親を亡くした若いいとこであるエステルを引き取っていました。そのエステルは王宮に集められた美しい娘たちの一人となり、王のもとに召され、王妃になることになります。

作中では宮殿の中央に腰かけたアハシュエロス王が臣下に囲まれながら、若い娘たちを見定めている様子が描かれています。女性たちはそれぞれ美しい衣に身を包んでおり、どこか緊張したような表情を浮かべている者もいれば、王に気に入られなかったことに落ち込んでいるのか沈んだ表情を浮かべている者もいます。

中央の女性、つまりエステルは濃いピンクの衣を身にまとい、玉座の前で王に挨拶をしており、王はそれを見て両手を広げ驚きポーズをとっています。おそらく「姿も顔立ちも美しい女性」と語られるエステルの美しさに驚いた様子を表現しているのでしょう。

(Public Domain /‘The Massacre of the Innocents’ by Nicolas Poussin. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

《幼児虐殺》 1631年-1632年 ニコラ・プッサン

本作品は二コラ・プッサンによって1631年から1632年に描かれた作品で、新約聖書のマタイによる福音書で語られる「幼児虐殺」を主題として描いたものです。ユダヤの支配者であったヘロデ大王は星を見てイエス・キリストが生まれたことを知り、また東方の三博士たちが「新しい王」について尋ねてきたことで、自分の地位が脅かされるのではないかと恐怖心に苛まれるようになります。いっそ殺してしまおうと思った王は、ベツレヘムで2歳以下のすべての男の子を殺害するように命じてしまいます。

赤いマントを翻した男性が大きく剣を振りかぶり、足元の子どもを今にも殺害しようとしています。子どもの表情はまさに苦痛に歪んでおり、その苦しみを表現するかのように両手を上げています。それを止めようとする黄色のドレスの女性は子供の母親なのでしょうか、必死に男性を止めようとしています。

おわりに

コンデ美術館はルーブルに次ぐ近代絵画のコレクションを有する美術館であり、シャンティイ城の建物自体の美しさも楽しめる素晴らしい場所と言えます。フランスを訪れた際には、ぜひ立ち寄ってみてはいかがでしょうか。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

関連記事一覧