グルノーブル美術館:13世紀から現代にいたるまでの芸術を楽しめる美術館

グノーブル美術館はフランス、グルノーブルのイーゼル川沿いに位置する美術館です。1798年に設立された歴史ある美術館である一方、フランスにおける近代美術のコレクションでも知られており、カミーユ・ピサロやワシリー・カンディンスキー、パウル・クレーといった画家の作品で知られています。そんなグルノーブル美術館の歴史や所蔵している作品について、詳しく解説していきます。

グルノーブル美術館とは

グルノーブルはフランスの南東部に位置する都市で、イーゼル県の県庁所在地にあたります。パリからはTGV(高速鉄道)を使って3時間程で着く場所にあり、周囲を大きな岩山に囲まれています。古くは3世紀ごろにケルト系のアッロブロゲ―ス族が移住していたといわれる歴史ある地区であり、1968年には第10回冬季オリンピックが行われるなど、ウィンタースポーツが盛んな土地でもあります。

グルノーブル美術館はそんなグルノーブルのイーゼル川沿いにある美術館で、1798年に設立されました。フランス初の近代美術館の一つで、古代美術の最も美しいコレクションの一つを保存しています。美術館の建物は1900年にパリ万博で用いられたものをグルノーブルに移設したもので、1218年に建てられたフランシスコ会修道院の跡地にあり、16世紀末には軍用地としての役割も果たしていました。

敷地内には、57の常設展示室と広大な彫刻庭園があります。エジプト・ギリシャ・ローマの古代美術から現代美術まで含むコレクションは、ほとんどの芸術分野を網羅しています。仮設展示場では、10万人以上の来場者を集める展覧会を開催することができ、フランスの芸術生活の重要な中心地となっています。

グルノーブル美術館のコレクション

グルノーブル美術館では、美術品を通して古代から21世紀までの西洋の歴史を途切れることなく追うことができます。特に、世界的に見てはやくから近代美術の収集にあたっていたことで知られており、1920年の時点では世界でも有数の近代美術コレクションで名を馳せていました。このころ、モダン・アートの殿堂たるニューヨーク近代美術館はまだ開館しておらず、グルノーブル美術館は近代美術の収集に関して先駆けた存在であったといえます。

そんなグルノーブル美術館のコレクションには、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な作品をご紹介します。

(Public Domain /‘St Jerome’ by Georges de La Tour. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

《聖ヒエロニムス》 1624年-1650年ごろ ジョルジュ・ド・ラ・トゥール

本作品はジョルジュ・ド・ラ・トゥールによって1624年から1650年ごろに描かれた作品で、キリスト教の聖人ヒエロニムスを描いた作品です。

ジョルジュ・ド・ラ・トゥールは1593年にフランスのロレーヌ地方に生まれた画家で、1639年にはパリに出てフランス国王ルイ13世から「国王付画家」の称号を得て、画家としての地位を築き上げていきました。ラ・トゥールの作風の特長としては「キアスクーロ」という技法がよく知られています。キアスクーロはイタリア語で「明-暗」という意味を表す言葉であり、明暗のコントラストを強く表現することで、画面に劇的な表現を生み出す効果があります。こうした作風はカラヴァッジョから影響したと考える説もありますが、ラ・トゥールの作品にはカラヴァッジョの作品と異なる静謐な空気が漂っており、ラ・トゥール独自の表現といえるでしょう。

本作品に描かれている聖ヒエロニムスはキリスト教の聖人で、聖書のラテン語訳であるウルガータ訳を行った翻訳者としても知られています。聖ヒエロニムスはダルマティアで生まれ、修辞学と哲学の勉強のためにローマに留学し、古典の研究に没頭したものの、重病にかかり神学の研究に実をささげることを決意します。ギリシア語やヘブライ語など語学の才能を持ち、古典の素養も備えていた聖ヒエロニムスの貢献により、聖書研究は大きく発展したといわれています。

作中では聖ヒエロニムスは赤い衣を身にまとっているものの、老いた身体で力なく膝をついており、その瞳は十字架に向けられています。下にはおそらく聖書と思われる書物と頭蓋骨が描かれており、シリアの砂漠で隠遁生活を送っていた際の聖ヒエロニムスではないかと考えられます。ラ・トゥールらしく背景と聖ヒエロニムスには柔らかなキアスクーロが用いられており、またほっそりとした光輪が聖ヒエロニムスの頭上に描かれていることからも非常に神聖な場面であることがわかります。聖ヒエロニムスは苦痛の中にありながらも、柔らかなまなざしが十字架に向けられており、信仰心の高さが感じ取れる作品となっています。

(Public Domain /‘Self-portrait.’ by Henri Fantin-Latour. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

《自画像》 1859年 アンリ・ファンタン=ラトゥール

本作品は1859年にアンリ・ファンタン=ラトゥールによって描かれた作品で、画家の20代のころの姿を描いた作品です。ラトゥールは1836年にグルノーブルに生まれ、イタリア人画家で絵画教師でもあった父テオドール・ファンタンに師事し、1854年にはパリのエコール・ド・ボザールに入学します。パリでは、ルーヴル美術館に所蔵されていた巨匠の作品の模写に多くの時間を費やしました。また、ウィスラーやマネなど、後に印象派を代表する若手の画家たちと親交を深めましたが、ラトゥール自身の作品は保守的なものであったと言われています。

本作品はそんなラトゥールの20代のころの作品で、筆を持つ自身を描いた作品です。このころから静物画や花の絵などで高い評価を受けるようになっており、ラトゥール自身も画家としての自分に自信を持ち始めていた時期でした。霧がかったような暗い背景に溶け込むかのように描かれている画家は白いシャツと黒のタイ、そして左手には絵筆を持っており、どこか挑戦的な横顔をこちらに向けています。そのまなざしはラトゥールが目指したアカデミズムへの対抗心の表れなのかもしれません。

(Public Domain /‘Femme au col blanc ; Portrait de Lunia Czechowska’ by Amedeo Modigliani. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

《白い襟の女》 1917年 アメデオ・モディリアーニ

本作品はアメデオ・モディリアーニによって1917年に描かれた作品です。モディリアーニは1884年にトスカーナ地方の都市リヴォルノに生まれた画家で、1906年にパリにわたりバトー・ラヴォワールの画家たち、つまりパブロ・ピカソやギヨーム・アポリネール、ディエゴ・リベラなどと交流を結び、モンパルナスを中心に制作活動を展開しました。モディリアーニは1917年アカデミー・コロラッシでジャンヌ・エビュテルヌと知り合い同棲をはじめ長女が生まれたものの、薬物依存や飲酒、貧困などに苦しめられ、35歳で結核性髄膜炎により亡くなります。ジャンヌもまたモディリアーニの死後二日後に飛び降り自殺をして亡くなってしまいます。

本作品はそんなモディリアーニとジャンヌがちょうどであったころに描かれた作品で、モディリアーニの作品らしく女性のフォルムは細長くのばされ、目はガラスをはめ込んだかのように塗りつぶされています。モディリアーニの作品においてはその多くにおいてジャンヌがモデルとなっており、おそらく本作品もジャンヌをモデルとして描いたものと考えられるでしょう。

おわりに

グルノーブル美術館は古代から現代までの幅広いコレクションを所有している美術館で、特に近代美術のコレクションには定評があります。フランスを訪れた際には、ぜひ覗いてみてはいかがでしょうか。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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