トゥールーズ=ロートレック美術館:ロートレックの生涯にわたる作品を鑑賞できる美術館

トゥールーズ=ロートレック美術館はフランス南部のタルヌ県アルビにある美術館で、トゥールーズ=ロートレックの残した1000点近くの作品を所蔵しています。そのほかにもピエール・ボナールやモーリス・ユトリロの作品も所蔵しており、非常に豊かなコレクションを形成しています。そんなトゥールーズ=ロートレック美術館の歴史と所蔵品について詳しく解説していきます。

トゥールーズ=ロートレック美術館とは

1901年にロートレックが亡くなった後、作品の保管者であった彼の両親は美術館への寄贈を考えていました。パリの美術館には受け入れを拒否されてしまったため、彼の母親、アデル・ドゥ・トゥールーズ=ロートレックは、アルビ市に作品の寄贈を提案しました。数年間の美術館設立の構想の末、使われていない宮殿の敷地を自由に使えるようにしたことで、町議会は寄贈を受け入れます。第一次世界大戦の影響で計画が遅れましたが、1922年7月30日にようやく最初の展示室がオープンしました。


美術館の建物はアルビの歴史的中心部、聖セシリア大聖堂の近くに位置する、世界でも類を見ない赤レンガ建築です。もともと13世紀に建てられた強力な要塞で、1905年には政教分離法によりアルビの司教たちの住居となりました。現在、展示室は1階と2階に広がっており、その中でもデッサン室には、壊れやすいデッサンやリトグラフなどが収蔵されています。

(Public Domain /‘Henri de Toulouse-Lautrec’ by Paul Sescau. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

トゥールーズ=ロートレックとは

美術館の名前にもなっているトゥールーズ=ロートレックとはどのような人物だったのでしょうか。トゥールーズ=ロートレック、本名アンリ・マリー・レイモン・ド・トゥールーズ=ロートレック=モンファは1864年フランスのタルヌ県、アルビに生まれました。実家は伯爵家であり、祖先は9世紀のシャルルマーニュ時代にまでさかのぼることができる由緒正しい家柄でした。

ロートレックは幼いころには「小さな宝石」と呼ばれて可愛がられていたものの、弟が幼くして亡くなると両親が不仲となり、8歳のときには母親とパリに移り住むようになります。芸術の都パリはすぐにロートレックを魅了し、絵を描き始めるようになります。母親は息子の絵の才能を確信し、父親の友人の画家からレッスンを受けるようになりました。しかし、13歳と14歳の時にロートレックは足を骨折。その後足が成長することはなく、成人した時の身長は152cmにしかなりませんでした。この症状は現在では、両親がいとこ同士であったことによる遺伝子疾患であると考えられています。ロートレックは次第に父親に疎まれるようになり、孤独な日々を過ごすようになっていきました。

(Public Domain /‘In Cormons atelier’ by Unknown author. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

1882年になってパリに出ると、レオン・ボナやフェルナン・コルモンの画塾で学び、そして徐々に夜の世界に魅了されるようになっていきます。ロートレックはその見かけから身体障碍者としての差別を受けており、夜の世界に生きる娼婦や踊り子といった女性たちに親近感を抱いていました。女性たちも彼を受け入れるようになり、徐々にロートレックは彼女たちをモデルとして作品を描くようになっていきます。

ロートレックの作品は日本美術の影響を取り入れた非常に画期的なものであったため、一躍その名前はパリじゅうに知れ渡ったもの、ロートレックに対する差別が止むことはありませんでした。そのためそのストレスを晴らすべくアブサンなどの強い酒を好んだためアルコール中毒になり、また奔放な性生活から梅毒の症状も悪化し、ロートレックは次第に衰弱していきました。家族によって強制的にサナトリウムに入院させられたことで回復するものの、1901年には脳出血で死去。36歳という短い生涯を閉じることとなります。

トゥールーズ=ロートレック美術館のコレクション

トゥールーズ=ロートレック美術館のコレクションは多数のリトグラフや油彩画、素描などロートレックの幼少期から晩年に至るまでの作品を所有しており、彼の生涯にわたる作品の変遷を目にすることができます。またロートレックが学校の授業中にノートに描いた落書きや故郷の風景を描いた作品などは、この美術館でなくては鑑賞できない作品といえるでしょう。そんなトゥールーズ=ロートレック美術館のコレクションには、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な所蔵品をご紹介します。

(Public Domain /‘Self-portrait in front of a mirror’ by Henri de Toulouse-Lautrec. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

《鏡の前の自画像》 1882年 アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック

本作品はロートレックによって1882年に制作された作品で、鏡に映る自身を描いています。ロートレックが描く作品のモデルは娼婦や踊り子など夜の世界を舞台とする女性たちがほとんどで、自画像はほとんど残されていません。本作品はそんな数少ない自画像のうちのひとつで、ロートレックの印象風景を表していると考えられる作品です。

ロートレックは鏡に映る自身に視線を送っているものの、その表情は塗りつぶされ、明らかではありません。鏡の前には燭台やコップと思われる品々が描かれており、ロートレックの下半身は隠されています。ロートレックは幼いころに骨折し、その後下半身が成長することはありませんでした。上半身は大人、下半身は子どもという非常にアンバランスな身体は、ロートレックにとって大きなコンプレックスでもありました。本作品ではロートレックの上半身のみが描かれており、成人した大人の男性が描かれています。一見してありきたりな自画像に見えるものの、ロートレックを生涯悩ませた身体的特徴を考えると、そうしたコンプレックスがこの作品に反映されているのかもしれません。

(Public Domain /‘Yvette Guilbert salue le public’ by Henri de Toulouse-Lautrec. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

《聴衆に挨拶をするイヴェット・ギルベール》 1894年 アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック

本作品は1894年にロートレックによって制作された作品で、モンマルトルのナイトクラブの歌手であったイヴェット・ギルベールを描いています。イヴェット・ギルベールはパリにあるプランタン百貨店のモデルであったものの、1888年にヴァリエテ劇場でデビュー、1890年にはムーラン・ルージュで主演を務めるようになっていました。

本作において、イヴェット・ギルベールの姿はロートレックらしい大胆な筆致で描かれています。彼女は、舞台衣装で最も印象的であった黒の手袋を身に付け、緑色のドレスの端を持ち上げています。また、唇は赤く塗られ、八の字眉で描かれていますが、これには日本の版画の影響が考えられます。

おわりに

トゥールーズ=ロートレック美術館はフランス南部のアルビにある美術館であり、アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックの1000点以上の作品を所蔵している美術館です。主要な作品はもとより、風景やロートレックが非常に好んでいた馬を描いた作品、またノートに残された落書きなど、ロートレックの人となりを知ることができる作品が所蔵されているのもこの美術館の魅力といえるでしょう。

ロートレックの芸術に存分に浸れるトゥールーズ=ロートレック美術館。フランスを訪れた際には、ぜひ訪ねてみてはいかがでしょうか。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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