ピカソ美術館:バルセロナで楽しむピカソ芸術

ピカソ美術館はスペイン、バルセロナにある美術館で、1963年に開館しました。ピカソの幼少期の作品から青の時代の作品、またディエゴ・ベラスケスの《ラス・メニ−ナス》を題材とした連作などが所蔵されており、パリにあるピカソ美術館とはまた違った観点でピカソ芸術を楽しむことができます。そんなピカソ美術館の歴史とコレクションについて詳しく解説していきます。

■ピカソ美術館とは

ピカソ美術館はスペインのバルセロナにある美術館で、1963年に開館しました。ピカソの友人であり、秘書も務めたジャウメ・サバルテスの個人コレクションに加え、バルセロナ市所蔵のピカソ作品がきっかけとして開館することになり、パリにあるピカソ美術館とはまた異なる観点でピカソ芸術を楽しめる美術館となっています。

■パブロ・ピカソとは

パブロ・ピカソは1881年スペインのアンダルシア州マラガに生まれた画家です。父親が美術学校の教師や美術館の館長を務めていたこともあって、ピカソは幼いころから芸術に関心を抱くようになり、7歳のころには父親からドローイングや油彩画の訓練を受けるようになっていました。このころからピカソは神童的な才能を発揮し、13歳の時には1カ月かかる入学課題を1週間で仕上げ、試験管を驚かせます。その後マドリードにあるサンフェルナンド王立アカデミーに進学し、画家としての道を歩みだしました。

その後1900年には親友であるカサへマスと共にパリを初めて訪れ新しい表現を模索していたものの、カサへマスが自殺で亡くなったことにより、作風は青を基調とした表現となり、「青の時代」が始まります。しばらく盲人や娼婦、乞食などの苦しく生きる人々を題材とした作品を描いていたピカソでしたが、フェルナンド・オリヴィエという恋人を得ると、作風は色鮮やかに変化。「バラ色の時代」が到来します。その後アフリカ彫刻の影響を強く受けた「アフリカ彫刻の時代」やジョルジョ・ブラックとともに創始したキュビスム、新古典主義やシュルレアリスムなどピカソの表現は目まぐるしく変化していきました。

そうして数多くの作品を制作していたピカソでしたが、1973年には南仏ニース近くにあるムージャンの自宅で肺水腫により死去。その芸術性は後世の画家たちに多大な影響を与えました。

■ピカソ美術館のコレクション

ピカソ美術館はジャウメ・サバルテスの個人コレクションとバルセロナ市所蔵のピカソ美術館に加え、個人のコレクターの作品を所蔵するようになり、現在では充実したピカソ芸術のコレクションを有しています。そんなピカソ美術館のコレクションには、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な所蔵品をご紹介します。

・《ラス・メニーナス》 1957年 パブロ・ピカソ

本作品は1957年に制作された作品で、スペインの宮廷画家ディエゴ・ベラスケスの傑作《ラス・メニ―ナス》が題材となっています。

(Public Domain /‘The Maids of Honour’ by Diego Velázquez. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

《ラス・メニーナス》は1656年にスペイン黄金時代の画家ディエゴ・ベラスケスによって制作された作品で、フェリペ4世のマドリードの宮殿の大きな一室を描いたものです。中央には幼いマルガリータ王女が描かれており、その周りにはおつきの女官や侍女、2人の小人と犬が描かれています。その奥には本作品を描いたベラスケス自身が描かれており、さらに奥に描かれている鏡には国王夫妻の上半身が描かれています。つまり、この作品はベラスケスが国王夫妻の肖像画を描いている場面を描いたものであり、ベラスケスの視線は国王夫妻に向けられていながらも鑑賞者にも向けられている、という不思議な空間構成がなされているのです。

《ラス・メニーナス》は西洋美術史上の傑作として数多くの画家たちが模写を行ってきましたが、ピカソはこの作品を題材として新しく自らの表現で作品を制作しました。ピカソの《ラス・メニーナス》は題材の45の解釈を描いた作品、鳩を9つ描いた作品、3つの風景画と妻であったジャクリーヌの1つの肖像画で構成されている連作で、全作品が現存している唯一のピカソの連作となっています。

モノクロで表現されている本作品は、マルガリータ王女の姿や国王夫妻の姿などがキュビスム風に変更して描かれており、ベラスケスの姿もまるで空中に浮遊しているような形で描かれています。こうした表現はピカソが独自の表現方法でベラスケスの作品を消化しようとした結果であり、色彩やキュビスムの方法で伝統的な絵画を表現しようとした画期的な試みといえるでしょう。

・《科学と慈愛》 1897年 パブロ・ピカソ

本作品は1897年に制作された作品で、15歳のピカソによって描かれた作品です。ピカソは幼いころから神童的な画力を発揮しており、本作品からもその才能の高さをうかがい知ることができます。

19世紀後半に非常に流行した、社会的リアリズムの描き方が見られる作品です。当時、産業革命の拡大により、ブルジョワジーが強化され、彼らは新しい社会的地位を誇示する必要がありました。エミール・ゾラのような作家の影響を受けて、社会的リアリズムを好むこの新しいブルジョワジーのための作品を描き始めた画家もいたようです。人々の科学や医療への関心はヨーロッパ中に広まり、1880年から1900年にかけて全盛期を迎え、社会的リアリズムのサブジャンルである病院画が生まれたのです。

構図は古典的な構造を踏襲しており、大きなサイズで、すべての登場人物が患者に焦点を定めるように配置されています。医師の姿は、画家の父であるホセ・ルイス・ブラスコで、現代医学と進歩を表していると言われています。一方、病人と子供は、ピカソが10ペセタでモデルとして雇った近所の乞食とその息子です。尼僧は、ピカソが友人や若い人を利用して、当時バルセロナに住んでいたマラガ出身の尼僧一家の友人のコスプレを依頼したとされています。また、彼女は生活保護の救済を表しています。

■おわりに

バルセロナのピカソ美術館はジャウメ・サバルテスの個人コレクションとバルセロナ市所蔵のピカソ作品をもととして開館した美術館であり、その後は生前のピカソや家族、友人たちから作品の寄贈を受け、コレクションを拡大していきました。現在ではパリのピカソ美術館にも劣らない充実したコレクションを所有しています。

加えてピカソ美術館はフランス南部の地中海沿いの都市アンティーブにもあり、《生きる喜び》や《ユリシーズとセイレーン》といったピカソ作品を所蔵しています。ピカソ作品を存分に楽しみたいという方は、パリ、バルセロナ、そしてアンティーブのピカソ美術館を訪れてみてはいかがでしょうか。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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