ブザンソン美術館:考古学的史料から20世紀のヨーロッパ芸術を楽しめる美術館

ブザンソン美術館はフランスのブザンソンに位置し、1694年に開館しました。主に考古学的史料から20世紀のヨーロッパの芸術作品を所蔵しており、特にジョヴァンニ・ベリーニやルーカス・クラナッハの作品を所有していることで有名です。そんなブザンソン美術館の歴史とコレクションについて、詳しく解説していきます。

■ブザンソン美術館とは

ブザンソン美術館があるブザンソンはフランス東部にある都市で、ドゥー県の県庁所在地にあたります。町は蛇行するドゥー川に沿うように発展し、ガリア・ローマ時代から重要な役割を果たしてきました。またフランス最初の緑の都市と宣言されたこともあって、街の生活水準は非常に高いレベルで維持されており、2008年にはユネスコ世界遺産に登録されています。

そんなブザンソンにあるブザンソン美術館は、ルーブル美術館より1世紀近くも前に作られた、フランスで最も古い公立美術館の一つで、1694年に開館しています。コレクションは地元出身の神父による絵画や彫刻の寄贈からはじまり、その後も国王の建築家や美術評論家からの寄贈を受け、現在は考古学、絵画、素描の3つのカテゴリに分けて展示されています。

■ブザンソン美術館の建築

現在のブザンソン美術館の建築は、地元の建築家ピエール・マルノットによって設計されたもので、1834年から建築が始められました。内装も地元の建築家であるアルフォンス・デラクロワが手がけています。1843年、市は建物の1階に美術館を設置したほか、美術学校やコンサートホールとしても使い始めました。その後、寄付金を募っていくうちに美術館の範囲が拡張され、最終的には19世紀末に全館が美術館として使用されるようになりました。

1967年から1970年にかけては、ル・コルビュジエの弟子であるルイ・ミケルによって手狭であった建物が改装されました。2015年にも改修工事が行われ、展示面積の拡大中庭を保護する大きなガラス屋根の改修、来場者の動線の改善、受付ホールの改修、新店舗の建設、セキュリティシステムの導入など、大幅にリニューアルがされています。

■ブザンソン美術館のコレクション

ブザンソン美術館は14世紀から20世紀のヨーロッパの芸術作品のコレクションで有名です。ガロ・ロマン時代の遺跡から発掘された考古学的な史料から20世紀のギュスターヴ・クールベやピエール・ボナールといった画家たちの作品、現代アートまで展示しており、幅広い時代の作品を鑑賞できる美術館になっています。そんなブザンソン美術館のコレクションには、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な所蔵品をご紹介します。

(Public Domain /‘Deposition of Christ’ by Bronzino. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

《十字架降下》 1540年-1545年 アーニョロ・ブロンズィーノ

本作品は1540年から1545年にかけてアーニョロ・ブロンズィーノによって制作された作品で、磔刑に処せられたキリストが十字架から降ろされる「十字架降下」の場面が描かれています。

アーニョロ・ブロンズィーノは1503年にフィレンツェ近郊に貧しい肉屋の息子として生まれました。やがてラファエリーノ・デル・ガルボの弟子となり、1515年からはポントルモの工房で働き始めて名をあげ、修道院の内部装飾の仕事をはじめとしてさまざまな作品を手掛けていきました。フィレンツェ公コジモ1世とエレオノーラ・ディ・トレドの結婚の祝宴のための装飾を手掛けたのちには、メディチ家の宮廷画家となり、メディチ家によって創設された綴れ織り工場のために多数の下絵を描いています。

(Public Domain /‘Venus, Cupid, Folly and Time’ by Bronzino. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

ブロンズィーノはメディチ家の人々を描いた肖像画も有名ですが、宗教画にも定評がる画家です。彼の宗教画にはラファエロやミケランジェロといった過去の巨匠から学んだことが含まれつつ、強烈なエロティシズムが見られます。1540年から1545年に描かれた《愛の寓意》はそうした作品の一つに数えられる作品で、愛の女神ヴィーナスやキューピッドたちの身体が豊満に描かれており、その身体のねじりはラファエロやミケランジェロといった画家たちからの影響が伺えます。

本作品はそんなブロンズィーノが描いた作品で、「ヨハネによる福音書」に記されている十字架降下の場面を描いたものです。もともとはトスカーナ大公コジモ1世の妃であるエレオノーラ・ディ・トレドによって注文されたものであるため、イエスの磔刑を見守る場面に登場する女性たちの一人、クロパの妻マリアとしてエレオノーラが描かれています。

下部に人々が集中しており、聖母マリアの腕に抱かれているイエスの身体は中心に斜めで描かれています。緑色の服を着た一人の女性が聖母の肩越しにキリストを覗き込んで描かれており、手のしぐさと作品の中央に位置しているために目立っていますが、彼女がクロパの妻マリアとして描かれたエレオノーラであると考えられています。

(Public Domain /‘Peasants from Flagey back from the Fair’ by Gustave Courbet. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

《市場から戻ったフラジェイの農民》 1850年-1855年 ギュスターヴ・クールベ

本作品は1850年から1855年にかけてギュスターヴ・クールベによって描かれた作品で、市場からフラジェイの村に戻る農民たちの姿を描いたものです。

ギュスターヴ・クールベは1819年にフランスのオルナンに生まれた画家です。21歳のときにはパリに出てソロボンヌ大学の法学部に入学するものの、クールベ自身は画家になることを希望しており、アカデミー・シェイスやルーブル美術館で巨匠たちの作品を模写して過ごしていました。1844年には《黒い犬を連れた自画像》がサロンに入選し、その後も1849年には《オルナンの食休み》がドミニク・アングルとウジェーヌ・ドラクロワの二人に評価されたことで国家買い上げとなり、クールベの名前は知れ渡るようになっていきました。しかし1855年に出品した《オルナンの埋葬》はオルナンという地方の町の葬儀を描いたものであるのにもかかわらず、歴史画レベルのキャンバスの大きさであったことから大きな批判を浴びてしまいます。当時は歴史画が絵画ヒエラルキーの頂点にあり、地方の葬儀が大々的に描かれるというのは考えられないことでした。クールベは《オルナンの埋葬》をはじめとして見たものをそのまま描く「写実主義」のもと数多くの作品を出品し、近代絵画に大きな流れを作っていきます。

本作品は1850年から51年のサロンに出品された作品で、市場からフラジェイの村に帰る農民たちを描いた作品です。《オルナンの食休み》、《石割人夫》と並んで、1850年から1851年にかけてのサロンで批判的な騒ぎを巻き起こした作品の1つに数えられます。

家畜を売買するために馬に乗って市に出向く男性たち、商品を背負いながら紐で雌豚を歩かせる男性、頭に籠を乗せた女性など、一見卑しい人物が、威厳をもって描かれています。クールベのあまりにも正直で正確な農村生活の描写は、多くの人から醜いと思われていました。しかし、彼は伝統的な芸術の嗜好のために修正を必要としないこの地域社会への愛情を強く抱いていたため、現実を一切美化せず描きました。

■おわりに

ブザンソン美術館はルーブル美術館よりも100年近く前に設立されたフランス最古の美術館で、考古学的資料から現代アートまでさまざまな作品を所蔵しています。フランスを訪れた際には、ぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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