リール宮殿美術館:フランス有数の規模を誇る美術館

リール宮殿美術館はフランス、リールにある美術館で、1809年に開館しました。コレクションの総数は7万点以上とフランス有数の規模を誇っており、ラファエロやドナテッロに加え、レンブラントやゴヤ、ロートレックなど、ヨーロッパ各地の傑作を所蔵しています。そんなリール宮殿美術館の歴史と所蔵品について詳しく解説していきます。

■リール宮殿美術館とは

リール宮殿美術館のあるフランス、リールはフランス北部の都市で、ベルギーと国境を接するオー=ド=フランス地域圏の首府であるノール県の県庁所在地にあたります。中世にはフランドル伯の領地となり、毛織物産業が栄えたことで経済的に発展しました。15世紀にはユグノー戦争、1667年にはネーデルランド継承戦争などの争いの地となったこともあったものの、19世紀には大陸封鎖令によって繊維工業が発展し、ヨーロッパ有数の都市となっていきました。

そんなリール宮殿美術館が開館したきっかけは、19世紀初めに発せられたナポレオン1世の勅令にあります。19世紀初め、ナポレオン1世はフランス各地に芸術を普及させるため、15都市を選定して美術館の建設を命じました。それらの都市の一つに含まれていたリールには、教会や貴族たちから押収した美術品の数々が移送され、画家のルイ・ジョセフ・ワトーやその息子のフランソワ・ワトーによって整理されました。

こうしてリール宮殿美術館は、1809年に開館することになります。当時は教会の建物を使用していたものの、その後市の施設に移されることとなり、1885年には現在に至るまで使用されている建物の建造が開始。その際には当時のリール市長であったゲリー・レグランが主導となり、パリ出身のエドゥアール・ベラールとフェルナン・エティエンヌ=シャルル・デルマが設計を担当しました。建築は華やかなベル・エポック風となっており、またリール市中心部に位置していることから、市民の憩いの場となっています。

■リール宮殿美術館のコレクション

リール宮殿美術館は美術館全体の面積は22000平方メートル、収蔵品は7万点をこえており、展示規模でも所蔵品数でもフランス有数の美術館となっています。そのコレクションの中には、ラファエロやドナテッロといったイタリア・ルネサンスの作品、レンブラントをはじめとしたオランダ黄金時代の作品、そしてダヴィッドやクールベ、ロートレックといったフランス近代絵画を代表する画家たちの作品が含まれています。そんなリール宮殿美術館のコレクションには、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な所蔵品をご紹介します。

(Public Domain /‘Belisarius Begging for Alms’ by Jacques-Louis David. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

・《施しを受けるベリサリウス》 1781年 ジャック=ルイ・ダヴィッド

本作品は1781年にジャック=ルイ・ダヴィッドによって制作された作品で、ビザンティン皇帝ユスティニアヌスに仕えた将軍ベリサリウスが描かれています。

ジャック=ルイ・ダヴィッドは1748年フランスのパリに生まれた画家で、ジョセフ=マリー・ヴィアンのもとで修業したのち、当時若手画家の登竜門であったローマ賞を受賞。ローマ賞受賞者は国費でイタリア留学できる制度になっていたため、1775年からダヴィッドもローマに滞在しています。イタリアにおいてはプッサンやカラヴァッジョ、カラッチといった17世紀の巨匠たちの作品の研究に努め、徐々に画風が18世紀のロココ絵画から新古典主義的なものへと変化していきました。

(Public Domain /‘the Tennis Court Oath’ by Jacques-Louis David. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

・球戯場の誓い

1789年にフランス革命が勃発するとジャコバン党員として政治にも関与するようになり、《球戯場の誓い》や《マラーの死》といった革命時代を代表する作品を制作することになります。その後《ナポレオン1世の戴冠式と皇妃ジョセフィーヌの戴冠》などを制作し、ナポレオンの画家として活躍したものの、1815年にナポレオンが失脚するとダヴィッドも同じく失脚。1816年にはブリュッセルに亡命することになり、1825年には77年の生涯を閉じています。

本作品はイタリアから帰国したダヴィッドが1781年のサロンで展示した作品で、皇帝ユスティニアヌスに仕えた将軍ベリサリウスを描いています。ベリサリウスは東ローマ帝国の将軍で、1世紀も前に失われたはずの旧西ローマ帝国に属していた地中海の領土の多くを再征服することに尽力した人物です。しかし、晩年はユスティニアヌスから叛逆の罪に問われ、最終的には釈放されたものの、両目を抉り取られ乞食にまで落ちぶれたという伝説があります。

慈悲のイメージを体現している女性、子供、老人の三人に焦点が当てられており、老人は目の見えない晩年の将軍ベリサリウスであることがわかります。背景の兵士は、胸の前で両手を垂直に上げ、驚きの表情を見せています。舞台は古代ローマ風の設定で、過酷な状況の描写の背後には、地味で厳格な建築が配置されています。後に「新古典主義」と呼ばれるようになる彼のスタイルは古代からの美徳をテーマに、美術の中に広まっていくのです。

(Public Domain /‘After Dinner at Ornans’ by Gustave Courbet. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

・《オルナンの食休み》 1849年 ギュスターヴ・クールベ

本作品はギュスターヴ・クールベによって1849年に制作された作品で、クールベの故郷であるオルナンの人々の姿が描かれています。

ギュスターヴ・クールベは1819年にスイス国境に近いフランシュ・コンテの村オルナンに生まれた画家です。21歳のときにはパリに出てソロボンヌ大学法学部で学んだものの、クールベ自身は画家になることを熱望しており、アカデミー・シェイスに通う他、ルーブル美術館で巨匠たちの作品を模写して過ごしていました。1844年には《黒い犬を連れた自画像》がサロンに入選。その後は《画家のアトリエ》や《オルナンの埋葬》といった写実主義の作品を制作し、フランス近代絵画に大きな影響を及ぼしていくこととなります。

本作品は新古典主義の巨匠ドミニク・アングルとロマン主義の巨匠ウジェーヌ・ドラクロワによって評価された作品で、それがきっかけとなって国家買い上げとなり、リール宮殿美術館に所蔵されることとなった作品です。

登場人物がほぼ等身大の大きさで描かれていることから、歴史画の慣例を踏襲していることがわかりますが、描かれている光景の無意味さ、日常の平凡さが印象的な作品です。クールベは、彼の生まれ故郷であるオルナンでの日々の一コマを主題にしましたが、少しも美化することなく、ありのままのリアリズムを持って、家族や友人の姿を描いています。

右側に描かれている、画家の幼馴染であったヴァイオリニストのアルフォンス・プロマイエに対して、登場人物たちの視線が集まっています。家主である友人のユルバン・キュノーは頭をもたげながら聞いており、後ろ姿の同じく友人であるオーギュスト・マルレはパイプに火をつけています。左端のクールベの父レジスは食事の後の居眠りをしてしまっているようです。厚着の服装、右下の乾いた葉っぱ、ダークな色使いからは、どれも秋の雰囲気が醸し出されています。

■おわりに

リール宮殿美術館はナポレオン1世の命令によって芸術啓蒙のために建てられた美術館です。そのコレクションはイタリア・ルネサンス絵画からフランドル絵画、スペイン絵画やフランス近代絵画など多岐にわたっており、フランスでも有数のコレクションを誇っています。国境に位置しているものの、TGVでパリから1時間とアクセスのよい場所にあるので、フランスを訪れた際にはぜひ足を延ばしてみてはいかがでしょうか。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

関連記事一覧