リヨン美術館:古代エジプトから19世紀美術まで豊富なコレクションを誇る美術館

リヨン美術館はフランスのリヨンにある美術館で、1803年に開館しました。古代エジプトから19世紀までのイタリアやフランス、オランダ、フランドルの作品を所蔵しており、フランス国内でも規模の大きな美術館として各地から人々が訪れています。そんなリヨン美術館の歴史と所蔵品について詳しく解説していきます。

■リヨン美術館とは

リヨン美術館はフランスのリヨンにある美術館で、1803年に開館しました。リヨンはフランスの南東部に位置する都市で、オーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏の首府、メトロポール・ド・リヨンの県庁所在地にあたります。164万人以上が住む大都市で、都市圏としてはパリに次いでフランス第二の規模となっています。また金融センターのひとつであり、多くのフランスの銀行の本店がおかれていることでも知られています。1989年以降は国際刑事警察機構の本部がおかれ、国際的にも重要な位置を占めています。

そんなリヨンにあるリヨン美術館が設立されたきっかけは、フランス革命後に発せられたジャン・アントワーヌ・シャプタルの政令にあります。この政令は、国内の15の都市に美術館を設立することで、フランス国内の芸術振興を図ろうとしたものでした。それらの都市の一つに選ばれたリヨンでは、革命時に押収された教会や貴族たちのコレクションに加え、フランス軍が没収した各地の品々をもとにリヨン美術館が開館しました。

1803年には一般に公開されるようになり、1914年には自然史博物館が、1935年には併設されていた美術学校が別の場所へ移されることとなります。また1921年にはリヨンの歴史に関する作品がガダーニュ博物館に移され、コレクションの整理が進みました。現在では30万人近くが訪れる美術館となっており、世界的にも注目を集めています。

■リヨン美術館のコレクション

リヨン美術館は70の展示室を有する大規模な美術館であり、展示室には古代エジプトや古代ギリシアの美術品をはじめ、19世紀に至るまでのイタリアやフランス、オランダ、フランドルといった地域出身の画家たちの作品が所蔵されています。またピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌをはじめとしたリヨン派の作品を所蔵していることでも知られており、リヨン出身の画家たちの作品の研究拠点ともなっています。

そんなリヨン美術館のコレクションには、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な所蔵品をご紹介します。

(Public Domain /‘Aretino and Charles V’s Ambassador’ by Jean-Auguste-Dominique Ingres. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

・《皇帝カール5世の使者を迎えるピエトロ・アレティーノ》 1848年 ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル

本作品は1848年にジャン=オーギュスト=ドミニク・アングルによって制作された作品で、ヴェネツィアで活躍したルネサンスの作家ピエトロ・アレティーノが描かれています。

ドミニク・アングルは1789年にフランスのモントーパンに生まれた画家です。幼いころから芸術に関心を抱き、11歳のときにはトゥールーズの美術アカデミーに入学。1797年には新古典主義の巨匠ジャック=ルイ・ダヴィッドのアトリエに入門し、1801年には《アキレウスのもとにやってきたアガメムノンの使者たち》で当時若手画家の登竜門であったローマ賞を受賞しました。ローマ賞の受賞者は国費でのイタリア留学が許されていましたが、当時フランス国内は混乱の中にあり、アングルは1806年になってようやくローマに滞在することになります。アングルは留学期間が終了してもフランスに帰ることなく、1824年までイタリアに滞在していました。

(Public Domain /‘The Vow of Louis XIII’ by Jean-Auguste-Dominique Ingres. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

ルイ13世の誓願

1824年のサロンではモントーバンのノートルダム大聖堂祭壇画《ルイ13世の誓願》を出品したことにより大成功をおさめ、アングルはダヴィッドの後継者として熱烈に歓迎を受けることとなります。当時のフランスではロマン主義が台頭しており、新古典主義の画家たちには指導者が必要でした。ダヴィッドの直接の指導を受けたアングルはそれにぴったりの人物だったのです。その翌年にはレジオンドヌール勲章を受章し、アカデミー会員にも推薦されます。1834年にはフランス・アカデミーの院長をつとめ、1855年のパリ万国博覧会においてはアングルの大回顧展が開催されています。アングルは1867年に86歳の生涯を閉じることとなりますが、1862年には代表作の一つである《トルコ風呂》を制作しており、最晩年に至るまで制作にあたっていました。

本作品はそんなアングルによる作品で、ルネサンスの作家であるピエトロ・アレティーノが、賄賂を贈ろうとするカール5世の大使と対峙する姿が描かれています。リヨン美術館に所蔵されているものは1848年に制作されたものですが、1815年にも同じテーマの作品が制作されており、モントーバンのアングル美術館に下絵が保存されています。

1541年、神聖ローマ皇帝かつスペイン国王であったカール5世はアルジェ遠征に失敗していたため、権力者への鋭い非難で知られていたアレッティーノに恐れをなし、賄賂として金の鎖を贈るための大使を派遣していました。作中では、アレッティーノには軽蔑的な表情が見られ、彼がこの賄賂を歓迎していないことが明らかです。このようなアレッティーノの横柄さが大使の怒りを刺激したのか、彼は左手で剣を握り、もう片方で拳を握りしめています。また、よく見ると背景の右側には若い女性が、左にはアレッティーノの友人ティツィアーノの自画像が掛けられています。

(Public Domain /‘The Sacred Grove, Beloved of the Arts and the Muses’ by Pierre Puvis de Chavannes. Image via WIKIMEDIA COMMONS)
シカゴ美術館に所蔵されている他バージョンの《芸術とミューズにとって愛しい聖なる森》

・《芸術とミューズにとって愛しい聖なる森》 1844年 ピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ

本作品はピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌによって1844年に制作された作品で、芸術の女神たちと造形美術の化身たちが描かれています。

ピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌは1824年にフランス、リヨンに生まれた画家です。当初は技師となるつもりであったものの、病気にかかったことで勉学を中断せざるを得なくなり、イタリアに旅したことをきっかけとして画家の道を志すようになります。ロマン派の巨匠であるウジェーヌ・ドラクロワや古典的な作風で知られるトマ・クチュールに師事したのち、1850年にサロンデビューするものの、8年連続で落選。しかし、当時ナポレオン3世によるパリ大改造計画のため公共建築の建造計画が進められており、シャヴァンヌは公共建築の壁画を依頼されるようになっていきました。

本作品は聖なる森の薄明かりの中で、9人のムーサが横になったり、座ったり、立ったり、飛んだりしながら、静かな夕暮れの光の中で瞑想や歓談を楽しむ様子が描かれています。古典的なポルチコの建物の前には、建築、彫刻、絵画の化身となっている人物がいます。神話における宗教的重要性を持つ神聖な森は、時代を超えた芸術の理想的な場所として描かれてきたのがわかる作品です。

■おわりに

リヨン美術館はフランス、リヨンにある美術館であり、フランス国内でも有数のコレクションを誇る美術館です。そのコレクションの中には古代エジプトや古代ギリシアの美術品に加え、19世紀までのイタリアやフランス、オランダ、フランドルといった画家たちの作品が含まれており、ピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌの壁画を鑑賞できるのもこの美術館ならではといえるでしょう。

リヨンはパリとTGVでつながっていることもあり、とてもアクセスのよい場所にあります。パリを訪れた際には、ぜひ足を延ばしてみてはいかがでしょうか。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

関連記事一覧