マルメゾン城美術館:皇妃ジョセフィーヌの館

マルメゾン城美術館はフランスのパリ西部にある美術館で、ナポレオン1世の皇妃ジョセフィーヌの住まいであったことで知られています。フランスの政府機能を担うこともあったものの、現在城の内部は国立博物館となっており、ナポレオン時代の作品や内部装飾を鑑賞することができます。そんなマルメゾン城美術館の歴史と所蔵品について詳しく解説していきます。

■マルメゾン城美術館とは

マルメゾン美術館のあるマルメゾンはイル・ド・フランス地域圏のオー=ド=セーヌ県の都市で、古くはシャルル2世時代建てられたサン=ドニ修道院で知られています。その後フロンドの乱ではルイ14世とアンヌ・ドートリッシュ、ジュール・マザランの避難所となりました。また、ルイ14世の愛妾マントノン夫人が貧しい子供たちに教育を受けさせる活動を行った地としても知られています。

そんなマルメゾンに建てられたマルメゾン城は、18世紀の終わりになると、ナポレオン・ボナパルトの妻であったジョセフィーヌ・ド・ボアルネによって購入されます。パリから16キロほど離れた場所にあるこの地は、政治家のジャン・シャノリエの助言に基づいて購入したものであり、ジョセフィーヌはこの地で造園に熱意を傾けました。しかし、ナポレオンの不在時にこの城を勝手に購入したこともあって、以来ナポレオンとジョセフィーヌの中は修復できないものとなっていきます。

(Public Domain /‘The Empress Joséphine’ by Pierre-Paul Prud’hon. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

マルメゾン城はジョセフィーヌのための館となったものの、テュイルリー宮殿とともに執政政府時代の政府機能を担ったこともあって、ナポレオンも滞在することがありました。しかし、それも1809年にナポレオンとジョセフィーヌが離婚するまでのことで、ジョセフィーヌは離婚後、500フランの年金とともにマルメゾン城を所有し続け、1814年5月29日にこの地で没しています。

ジョセフィーヌの死後は、長男のウジェーヌ・ド・ボアルネがマルメゾン城を相続し、その後は銀行家ヨナス・ハーゲルマンへと売却、1842年にはスペイン王妃マリア・クリスティーナの手に渡り、普仏戦争後は兵舎として使用されていました。現在、内部は国立美術館となり、総裁政府時代から第一帝政時代までの内部装飾や絵画作品などを鑑賞することができます。

■マルメゾン城美術館のコレクション

マルメゾン城美術館のコレクションには、ナポレオン時代の作品はもちろん、皇妃ジョセフィーヌが過ごした際に使用した数々の品も含まれています。そんなマルメゾン城美術館のコレクションには、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な所蔵品をご紹介します。

(Public Domain /‘Napoleon Crossing the Alps’ by Jacques-Louis David. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

・《サン=ベルナール峠を越えるボナパルト》 1801年 ジャック=ルイ・ダヴィッド

本作品は1801年にジャック=ルイ・ダヴィッドによって制作された作品で、1800年グラン・サン・ベルナール峠経由でアルプスを越えようとするナポレオンの姿が描かれています。

ジャック=ルイ・ダヴィッドは1748年フランスのパリに生まれた画家です。ジョセフ=マリー・ヴィアンのもとで修業したのち、1774年に《アンティオコスとストラトニケ》でローマ賞を受賞。この賞は当時の若手画家たちの登竜門であり、受賞者は国費でローマに留学することが許されていました。ダヴィッドも1775年から1780年までの5年間、イタリアで二コラ・プッサンやカラヴァッジョ、カラッチといった17世紀の巨匠たちの作品の研究に没頭することとなり、このイタリア時代の経験はのちの彼の作品に大きな影響をもたらすこととなるのです。

(Public Domain /‘Death of Marat’ by Jacques-Louis David. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

・マラーの死

ダヴィッドはフランス革命の際にはジャコバン党員として政治に参加し、画家としては《マラーの死》や当時の宗教祭典であった「最高存在の祭典」の演出を担当するなど、革命政府の中で重要な役割を果たしました。その後はナポレオン付きの画家として数々の肖像画を制作したものの、ナポレオンの失脚と共にダヴィッドもまた失脚することとなり、1816年には亡命先のブリュッセルで亡くなっています。

そんなダヴィッドが描いた本作品は、アルプスを越えるナポレオンの姿を描いたもので、今日ではナポレオンの姿を描いたもっとも有名な作品の一つとして知られています。スペイン王カルロス4世との和睦の際に、外交関係を再び築くためのプレゼントとして描かれたもので、ナポレオンからはヴェルサイユ製造のピストル、ドレスや宝石、甲冑などが贈られ、カルロス4世からはスペイン馬16頭、フランシスコ・デ・ゴヤによる国王夫妻の肖像画、そしてダヴィッドが描いたナポレオンの肖像画が含まれていました。注文の際さらに3枚の作品を描くように要求し、それぞれの作品はサン=クルー城、アンヴァリッド、ミラノのチザルピーナ王宮に飾られることとなります。

本作品においてナポレオンは、第一統領の制服を着て馬とともに駆ける非常に勇ましい姿で描かれていますが、実際のアルプス越えは晴れの日にラバに乗ってガイドに案内された時でした。しかし、ナポレオンは本作品をプロパガンダとして利用することを望んでおり、荒馬を冷静に乗りこなす姿を描くようにダヴィッドに命じたのです。その凛々しい姿と現実の乖離には、ナポレオンの偶像が表現されていることがわかります。

(Public Domain /‘Portrait of Empress Joséphine’ by Robert Lefèvre. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

・《フランス皇后ジョセフィーヌ》 1805年ごろ ロバート・ルフェーヴル

本作品は1805年ごろにロバート・ルフェーヴルによって制作された作品で、ナポレオン・ボナパルトの皇妃ジョセフィーヌの姿が描かれています。

ロバート・ルフェーヴルは1755年にノルマンディーのバイユーで生まれた画家です。当初は法律家である父親に倣って法律家見習いとして働いていたものの、やがて画家になることを目指すようになります。1784年にはジャン=パブティスト・ルニョーの弟子となったのち、1791年にはサロンに作品を出品。肖像画家として評判を得るようになっていきました。フランス第一帝政下では皇妃ジョセフィーヌをはじめとした第一帝政の皇族たちの肖像画を描いたことで知られています。ナポレオンが失脚したのちも、ルイ18世の肖像画を描きレジオンドヌール勲章を受章するなど画家としては順調であったものの、7月革命の際には公職も支援者も失うこととなってしまいました。そして最期には、パリの自宅で自殺するという選択をし、生涯を終えています。

本作品に描かれているジョセフィーヌ・ド・ボアルネはナポレオン・ボナパルトの妻であり、本作品が描かれた1805年にはすでにフランス皇后となっていました。ジョセフィーヌは宝石がちりばめられたドレスに身を包み、髪飾りも豪奢なものをまとっています。このころジョセフィーヌは40代半ばであり、本作品には年齢に見合った姿が描かれていることがわかります。ダヴィッドが描いた《ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠》では20歳前後としてかなり若く描かれているものの、本作品はジョセフィーヌの単身像ということもあり、このような描かれ方になったのではないかと考えられます。

■おわりに

マルメゾン城美術館はナポレオン・ボナパルトの妻ジョセフィーヌ・ド・ボアルネが居城とし、最期まで過ごすこととなった場所です。城の内部にはナポレオン時代から変わらない内部装飾が施されており、ナポレオンやジョセフィーヌをモデルとした作品を目にすることができます。フランス滞在の折には、ぜひ足を延ばしてみてはいかがでしょうか。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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