大英博物館:約800万点の所蔵品を誇る博物館

大英博物館はイギリス・ロンドンにある博物館で、1759年に開館しました。世界最大の博物館の一つであり、古今東西の美術品や考古学的史料など約800万点が所蔵されていることで有名です。そんな大英博物館の歴史と所蔵品について詳しく解説していきます。

■大英博物館とは

大英博物館はイギリスの首都ロンドンにある博物館で、1759年に開館しました。ロンドンはテムズ川河畔に位置する一大都市です。観光地として有名で、大英博物館の来館者の約56%も外国人観光客といわれています。そのため大英博物館には各国語版の案内書が販売されています。

そんな大英博物館開館のきっかけとなったのは、古美術収集家で医師でもあったハンス・スローンのコレクションが遺贈されることになったことです。スローンは1660年にアイルランドのアルスターに生まれた医師であり、上流階級をクライアントとして成功した人物でした。アン女王やジョージ1世、ジョージ2世に仕えたことで知られており、1719年からは王立内科医教会の会長を16年勤めています。

そんなスローンは幼いころから博物学的な品々を収集する癖があり、医師としての仕事にあたりながら、大量の植物や珍品を収集していました。1741年に引退してからもウィリアム・コーテンやジェイムズ・ペティヴァー、ヘルマン・ブールハーフェといった収集家の博物学的なコレクションを次々と入手し、コレクションは膨大なものになっていきました。スローンは1753年1月11日に亡くなりますが、遺書には蔵書や版画、植物、メダルなどの収集品を遺贈する代わりに、議会が遺族に2万ポンドを支払うよう書かれていました。この条件は受け入れられ、1759年にはスローンの蔵書とジョージ2世の蔵書を核として、ブルームズベリーに大英博物館が開館します。また、当初のコレクションの大部分はロンドン自然史博物館に受け継がれていきました。

■大英博物館のコレクション

大英博物館は世界最大の博物館の一つであり、その収蔵品も約800万点と膨大な規模になっています。その中には美術品や書籍、考古学的な史料や標本、硬貨、オルゴールなどの工芸品などが含まれており、常設展示だけでも1日ですべてを目にするのはほぼ不可能だといわれています。

そんな大英博物館のコレクションには、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な所蔵品をご紹介します。

・《ロゼッタ・ストーン》 紀元前196年ごろ

ロゼッタ・ストーンはエジプトのロゼッタで1799年に発見された石板で、紀元前198年にプトレマイオス5世によってメンフィスで出された勅令が刻まれた石碑の一部です。もともとは神殿に納められていたと考えられていますが、ローマ時代か中世の時代に運び出され、ロゼッタ近郊のジュリアン要塞を建造するための資材として使用されていたと考えられています。その後1799年にナポレオン・ボナパルトがエジプト遠征を行った織、フランス軍兵士ピエール=フランソワ・ブシャール大尉によって発見され、大きな話題となりました。

碑文には古代エジプトの神性文字と民衆文字、ギリシア文字の三種類が記述されています。そのため研究者はもちろん一般の人々の関心の的にもなり、古代エジプトの言葉を解読できる手がかりとして注目が集まりました。1803年にはギリシア語の部分が完全に翻訳され、それから20年経ってジャン=フランソワ・シャンポリオンによって古代エジプトの神性文字と民衆文字の解読が完了。それまで解読されることのなかった神聖文字が解読されたとあって、大きな話題となりました。

ロゼッタ・ストーンは古代の言語の解読という歴史的な偉業につながった一方で、国家同士の争いの種でもありました。一時期フランスが所有していたものの、ナポレオン戦争中にはイギリスへと所有権が移り、2003年からはエジプトが正当な所有者であることを指摘して返還を求めています。国際的にもエジプトの指摘の妥当性が認められているものの、イギリスはいまだに返還に応じていません。ロゼッタ・ストーンはこのように、博物館のコレクションの負の側面も帯びているのです。

(Public Domain /‘King at war leading soldiers Standard of Ur’ by Unknown author. Image via WIKIMEDIA・COMMONS)

《ウルのスタンダード》 紀元前2600年ごろ

ウルのスタンダードは紀元前2600年ごろのシュメールの古代都市、ウルの遺跡から出土した工芸品です。遺跡には王や王妃の墓だけでなく、殉葬されたと思われる60人近くの人々の墓もあったといい、当時の王権の大きさがうかがえます。そんな遺跡で発見されたウルのスタンダードは当初バラバラの状態で発見され、のちに箱状に復元されました。発見者であるイギリスの考古学者レオナード・ウーリーはこれらを現在の旗や軍旗にあたるスタンダードであるとの説を発表し、現在でもその説に則って「ウルのスタンダード」と称されていますが、実際のところどのように用いられたのかは定かではありません。

高さ21.6cm、幅49.5cm、奥行4.5cmの横長の箱で、前後左右ともにラピスラズリや赤色石灰岩、貝殻などのモザイクでウルの王や家臣、動物たちが描かれています。これらは当時のウルの人々の姿を表す貴重な史料として、今も研究が続けられています。

(Public Domain /‘Standard of Ur, 26th century BC, “War” panel’ by Unknown author. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

ウルのスタンダードのうち、大きな面の一方にはウルの王が敵を打ち負かす「戦争の場面」が描かれており、その反対側には王が家臣と宴会を楽しむ「平和の場面」が描かれています。「戦争の場面」の下段には4頭の動物が牽く戦車が表され、上段中央には王や高官、また連行されてきた敵兵の姿などが表されています。

(Public Domain /‘”Peace side” of the Standard of Ur’ by Unknown author. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

「平和の場面」の中段から下段にはヤギや羊、魚、穀物など各地からの献上品を運ぶ列が描かれており、列に参加している人々はいずれも胸の前で手を組み、恭順のしぐさをしています。上段左から3番目の人物はカウナケスと呼ばれる羊の皮の腰巻をまとっており、装飾品も細かく表現されていることから、ウルの王であると考えられています。

このように、ウルのスタンダードには戦争と平和という相反する二つの事象が描かれていますが、これは国家に恵みをもたらすことと戦争に勝利することという王の重大な責務が表現されていると考えられています。

・《カニシカ王の舎利容器》 西暦127年ごろ

カニシカ王の舎利容器はクシャーナ朝のカニシカ王統治時代に製造された仏教遺物で、ペシャワール郊外のシャージーデリー遺跡発掘の際、カニシカ王のストゥーパの地下に埋もれた小部屋から発見されました。1910年にはイギリスの発掘隊によってビルマに運び出され、現在舎利容器自体はペシャワール博物館に保管されています。大英博物館に所蔵されているのはそのレプリカで、当時の仏教文化を研究するうえで重要な手掛かりとなっています。

舎利容器とは釈迦の遺骨を納めるための容器のことで、発見された当時は釈迦の3つの骨片が入っていたといわれています。またカローシュティー文字で銘文が刻まれており、「カニシカプラ(現ペシャーワル)のマハーラージャ、カニシカにより説一切有部の尊師らにこの価値ある香箱は奉納される」、という内容であることが分かっています。

容器の側面にはクシャーナ朝の王とイランの神、そしてブッダと菩薩、天使に祝福された花の装飾などがちりばめられており、ヘレニズム時代を感じさせる表現となっています。

■おわりに

大英博物館は世界最大の博物館の一つであり、その所蔵品は古今東西膨大な数に及びます。ロンドンを訪れた際には、ぜひ足を延ばしてみてはいかがでしょうか。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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