ランビネ美術館:ヴェルサイユやフランス革命の史料に定評のある美術館

ランビネ美術館はフランスのヴェルサイユにある美術館で、1932年に開館しました。もともとは上流階級の個人住宅として建設され、その後ヴェルサイユ市に遺贈されたことにより、美術館として開館することになりました。そんなランビネ美術館の歴史と所蔵品について詳しく解説していきます。

■ランビネ美術館とは

ランビネ美術館のあるヴェルサイユはフランス北部のイル=ド=フランス地域圏に位置するコミューンで、イヴリーヌ県の県庁所在地にあたります。パリから20kmほど南西に位置しており、ヴェルサイユ宮殿をはじめとした歴史的建造物が数多くあることから、世界中の観光客が訪れる地となっています。

そんなヴェルサイユにあるランビネ美術館はもともと1750年に王の建設管理局の建築家によって設計されました。当時の流行を反映した3人の子どもたちが表現されたペディメントを冠す優美なファサードは大変質の高いもので、建物そのものも芸術作品としての価値が感じられるものとなっています。この館を代々所有していたランビネ家は1929年にヴェルサイユ市に遺贈。1932年には美術館として開館し、2010年には大規模な改修工事を経てリニューアルオープンしました。

■ランビネ美術館のコレクション

ランビネ美術館のコレクションは16世紀から20世紀の絵画や彫刻作品が所蔵されているほか、ヴェルサイユ市の歴史やフランス革命の際の史料なども展示されています。所蔵品にはランビネ家のコレクションも含まれており、この建物を購入したことで知られるヴィクトール・ランビネや市に遺贈したナタリー・ランビネといったランビネ家の人々の肖像画も鑑賞することができます。また個人邸宅として用いられていたことを活かし、18世紀の上流階級の人々の寝室や居間などを再現したフロアもあり、ユニークな展示空間となっています。

そんなランビネ美術館のコレクションには、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な作品をご紹介します。

・《1668年のヴェルサイユ宮殿 ルイ14世と近衛騎兵の一団》 17世紀 アダム・フランス・ファン・デル・メーレン派

本作品はアダム・フランス・ファン・デル・メーレン派によって17世紀に制作された作品で、ルイ14世と近衛兵の一団、そしてまだ庭園も造られていないヴェルサイユの土地が描かれています。

(Public Domain /‘Portrait of a Gentleman’ by Nicolas de Largillière. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

アダム・フランス・ファン・デル・メーヘンは1632年、ブリュッセルに生まれた画家です。アントワープの学校で学んだ後、ブリュッセルのピーテル・スネイエルスのもとで修業し、戦闘の場面を描くことを特に得意としていました。独立後は歴史画や風景画を描き、故郷であるブリュッセルの画家ギルドにも登録しています。メーヘンの名声は国境を越えてフランスにも伝わるようになり、ルイ14世の財務総監であったジャン=バティスト・コルベールによって宮廷に招かれます。1673年には王立絵画彫刻アカデミーに登録、その後1690年にパリで亡くなっています。

メーヘンは馬の描写にすぐれていたことから、戦争を主題とした作品を描くことに優れていました。ルイ14世の宮廷画家となった折には、トルハウスの戦いやブザンソン包囲戦といった戦いを主題とした作品を制作しています。

そんなメーヘン、あるいは弟子が描いたと思われる本作品は、ルイ14世とその近衛兵の一団が描かれており、当時のヴェルサイユの様子を伝える作品となっています。ヴェルサイユ宮殿は1624年ルイ13世の狩猟の館として建てられたため、作品で描かれているような森と質素な館のみがある土地でした。しかし1661年になるとルイ14世が建築家ルイ・ル・ヴォーを招き、ヴェルサイユ宮殿の改装を計画。その後マンサールの手によって鏡の館や礼拝堂、オペラ劇場などが建設され、王室にとって重要な建物となっていきました。

本作品では右手奥にルイ13世が立てた狩猟の館が描かれ、右側には近衛兵とルイ14世が描かれています。こうしたヴェルサイユの様子はとても現在のヴェルサイユ宮殿からは想像もできないもので、絢爛豪華なヴェルサイユ宮殿を築き上げたルイ14世の力の強さを感じさせます。

(Public Domain /‘La mort de Marat, le 13 juillet 1793.’ by Jean-Jacques Hauer. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

・《マラーの死、1793年7月13日》 1794年 ジャン=ジャック・オエ

本作品はジャン=ジャック・オエによって1794年に制作された作品で、フランス革命を推進した指導者であるマラーの暗殺の場面を描いています。ジャン=ジャック・オエは1751年にマインツのガウ=アルゲスハイムに生まれた画家で、マラーを暗殺したシャルロット・コルデーを描いたことで有名です。

(Public Domain /‘Portrait of Charlotte Corday’ by Jean-Jacques Hauer. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

シャルロット・コルデーは1786年、ノルマンディー地方ヴィムティエ近郊サン=サチュルナン=デ=リニュリに貧乏貴族の娘として生まれました。13歳のときには母と死別し、修道院に入ったものの革命政府により修道院が閉鎖されたため、シャルロットは叔母のブルトヴィユ夫人のもとに身を寄せます。その際革命を進めるジャコバン派を忌み嫌うようになり、ジャコバン派と対立するジロンド派を支持。フランスのためにマラーの殺害を計画するようになります。

(Public Domain /‘Death of Marat’ by Jacques-Louis David. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

ジャン=ポール・マラーは1743年スイスのヌーシャルテルの中流家庭に生まれた人物で、ロンドンで開業医となったのち、王弟アルトワ伯のもとで働いていましたが、その後革命に身を投じテュイルリー宮殿襲撃事件や九月虐殺といった事件を引き起こします。こうした過激な活動は徐々に人々の恨みを買うものとなっていきました。その後持病が悪化すると自宅にこもって療養するようになったものの、1793年に面会に来たシャルロット・コルデーによって暗殺されてしまいます。その後ジャック=ルイ・ダヴィッドも同じく《マラーの死》を描き、ジャコバン派のマクシミリアン・ロベスピエールによって神格されたことにより、ジロンド派はさらに弾圧されることとなります。

本作品では浴槽に横たわりながらこと切れているマラーが描かれ、そのマラーを暗殺したシャルロット・コルデーがナイフを持った姿で描かれています。ダヴィッドの作品に比べるとマラーは皮膚病に苦しむ人物として描かれており、ダヴィッドのマラーは神格化されていることがわかります。それに対しシャルロット・コルデーはシルクハットのような帽子をかぶった非常に勇ましい姿で描かれており、「暗殺の天使」とも呼ばれた美貌が強調されています。

革命の中ではマラーが英雄と見なされることもあれば、シャルロット・コルデーが救国のヒロインとされることもありました。本作品はそうした歴史の評価のあいまいさを後世に伝えています。

■おわりに

ランビネ美術館はフランス、ヴェルサイユにある美術館で、充実した絵画や彫刻のコレクションはもちろん、上流階級の人々の部屋を再現したユニークな展示や、革命時代の史料など豊富なコレクションで定評があります。フランス革命の舞台となったヴェルサイユを訪れた際に、こうしたランビネ美術館のコレクションに触れる機会があれば、さらにフランス革命に関する理解が深まることでしょう。

ランビネ美術館はパリからアクセスも良く、世界中から数多くの観光客が訪れる地でもあります。ヴェルサイユを訪れた際には、ぜひ足を延ばしてみてはいかがでしょうか。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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