ルーアン美術館:印象派の充実したコレクションを所蔵している美術館

ルーアン美術館はフランスのルーアンにある美術館で、1801年に開館しました。フランス革命を経て、革命政府が文化政策の一環として各地につくった公立美術館の一つであり、イタリアやフランドル、スペイン、フランスの画家たちの作品を所蔵しているほか、フランス国内では第2位の印象派コレクションを所蔵していることでも有名です。そんなルーアン美術館の歴史と所蔵品について詳しく解説していきます。

■ルーアン美術館とは

ルーアン美術館はフランスのルーアンにある美術館で、1801年に開館しました。ルーアンはフランス西部に位置する都市で、ノルマンディー地域圏の首府、セーヌ=マリティーム県の県庁所在地にあたります。中世から大司教座がおかれ、百年戦争で捕虜となったジャンヌ・ダルクが火刑に処された地として知られるほか、クロード・モネが連作のモチーフとしたルーアン大聖堂があるなど、芸術家に大変ゆかりのある街です

そんなルーアンにあるルーアン美術館が開館するきっかけとなったのは、フランス革命にあります。当時、芸術振興のために各地に美術館を設立する計画が持ち上がり、ルーアンは美術館を設立する街のひとつに含まれていました。ルーアン美術館のコレクションは国家のコレクションや街の裕福なコレクターからの寄贈などによって揃えられることとなり、現在、60の展示室で絵画や彫刻、デッサンや装飾美術の作品が鑑賞できます。

■ルーアン美術館のコレクション

ルーアン美術館のコレクションにはイタリアやフランドル、スペイン、フランスの画家たちの作品が含まれており、またデッサンのコレクションも3000点近くにおよぶなど、ヨーロッパ絵画史を俯瞰するうえでは各時代の傑作をバランスよく所蔵しています。そんなルーアン美術館のコレクションには、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な所蔵品をご紹介します。

(Public Domain /‘Christ at the Column’ by Caravaggio. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

・《円柱のキリスト》 1606年-1607年 ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ

本作品は1606年から1607年にかけてミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョによって制作された作品で、磔刑に処せられる前に鞭を打たれているキリストの姿が描かれています。

カラヴァッジョは1571年イタリアのロンバルディア州、ミラノに生まれた画家です。ティツィアーノの弟子だった画家に師事したのち、ミラノで修業を積み、ローマで教会や邸宅の内部装飾の仕事を行うようになりました。当時のローマでは対抗宗教改革のため、マニエリスムに代わる表現が求められており、強烈な明暗法キアスク―ロを用いたカラヴァッジョの表現は、まさに求められていたものだったのです。

しかしその一方でカラヴァッジョは自宅で暴れて拘置所に送られ、乱闘では若者を殺害するなど私生活では安定することがなく、ローマ教皇からは死刑宣告を受けるほどでした。ローマを逃げ出したカラヴァッジョは1608年にマルタで、また1609年にナポリで乱闘騒ぎを引き起こし、その翌年には熱病にかかりトスカーナ州のモンテ・アルジェンターリオで死去。38歳の若さでその生涯を閉じることになります。

本作品は1606年から1607年にかけてカラヴァッジョがナポリに到着してから描かれたもので、キリストの拷問の直前に、鞭を打とうとする処刑人とキリストを柱に縛り付けるのに忙しそうにしている処刑人の様子が劇的に描かれています。

キリストが鞭に打たれる直前の瞬間が表現されており、2人の処刑人は彼を柱に固定し、もう1人は鞭を高く上げています。このシーンの核となるのは、暴力の前の緊張の瞬間なのです。小さな画面に最小限の人物を描くことで、カラヴァッジョはこれを可能にしました。

(Public Domain /‘Rue Saint-Denis am Nationalfeiertag’ by Claude Monet. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

・《サン=ドニ街 1878年6月30日の祝日》 1878年 クロード・モネ

本作品は1878年にクロード・モネによって制作された作品で、パリ・コミューンの後政治体制が第三共和政となったあとの初めての国民の祝日を祝うサン・ドニの街の様子が描かれています。

クロード・モネは1840年にフランスのパリに生まれた画家です。幼いころから絵画に興味を持っており、1865年にはサロンに入選。しかし1869年と1870年のサロンでは続けて落選し、その後はアカデミズムに受け入れられることはありませんでした。1848年には仲間たちと共にサロンとは独立した展覧会を開催し、この展覧会はのちに第一回印象派展と呼ばれることとなります。このときモネが出品した《印象・日の出》は当時の批評家たちから酷評にあうものの、印象派の名前の由来となり、伝説的な作品となっていきました。1883年にはセーヌ川沿いのジヴェルニーに居を移し、その後86歳で亡くなるまで制作を続けました。

本作品で描かれている、歓喜に沸くパリの人々で溢れかえった通りは、高い位置から遠近感を持って描かれています。たくさんのフランス国旗が印象的な作品で、「VIVE LA FRANCE」(フランス万歳)、「VIVE LA REP」(共和国万歳)などの部分的に描かれています。愛国心を全面に出している様子から、当時のフランス国民の喜びが伝わってくるようです。

(Public Domain /‘Gray Horse’ by Théodore Géricault. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

・《葦毛色のアラブ種馬》 1812年 テオドール・ジェリコー

本作品は1812年にテオドール・ジェリコーによって制作された作品で、ジェリコーが得意とした馬が主題となっています。

テオドール・ジェリコーは1791年北フランスのルーアンに生まれた画家です。ジェリコーの生家は資産家で、父親は弁護士であったため、ジェリコーは画家以外の安定した職業に就くことを望まれました。しかし、ジェリコー本人は画家になることをあきらめきれず、1808年には画家カルル・ヴェルネに弟子入りし、修業を積むことになります。当時の画壇では神話画や宗教画に重きが置かれていたものの、ジェリコーは身の回りの事物を描くことに興味関心を抱いており、特に馬に関しては並々ならぬ興味を抱いていました。

1812年には《突撃するこの絵猟騎兵士官》でサロンの金賞を受賞します。この作品は激しい動きを見せる馬に乗った士官が号令をかける一瞬を描いたもので、ジェリコーが得意とする馬の生き生きとした表現が存分に生かされていました。1819年には実際の事件を主題とした《メデューズ号の筏》をサロンに出品、その衝撃的な主題は賛美両論を巻き起こします。制作にあたって、実際に筏に乗っていた生存者の話を聞いたり、病院に行って瀕死の病人の肌をスケッチしたりしていたため、ジェリコーが描いたこの作品は、あまりにリアルなものでした。その後も制作活動を続けたものの、1823年には落馬や馬車の事故がもとで脊椎結核が悪化し、32歳の若さで死去。死の間際には「まだ、なにもしていない」という言葉を残したといわれています。

本作品はそんなジェリコーによって描かれた作品で、ジェリコーが得意とした馬の横顔が正確に表現されています。美しいグレーと白のまだら模様の毛なみに光が降り注ぎ、暗い背景の中で、睨みを利かせた馬の幻想的な姿が印象的です。黒と白の明暗をはっきりさせた作品で、馬の表情や足の表現はジェリコーの観察力の高さを示しています。

■おわりに

ルーアン美術館はフランス革命の後の文化政策の一環で設立された美術館であり、イタリアやスペイン、フランドルの巨匠たちの作品に加えて、フランスでも二番目の規模の印象派のコレクションを所蔵している美術館です。

ルーアンはパリから離れているものの、列車で2時間程度と比較的アクセスが良い土地にあります。モネが描いたルーアン大聖堂と印象派の作品が鑑賞できるということもあり、印象派のファンの方にはぜひ訪れて頂きたい美術館といえます。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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