テート・リバプール:倉庫を再開発して開館した異色の美術館

テート・リバプールはイギリス、マージサイド州リバプールにある近現代美術館で、1988年に開館しました。国立美術館ネットワーク「テート」に属する美術館であり、ヘンリー・ムーアなどイングランド北部にゆかりのあるアーティストの作品を所蔵していることで定評があります。そんなテート・リバプールの歴史と所蔵品について詳しく解説していきます。

テート・リバプールとは

テート・リバプールは国立美術館ネットワーク「テート」に属する美術館です。テートとはイギリス政府の持つイギリス美術コレクションや近現代美術コレクションを所蔵・管理する組織で、砂糖の精製に関する特許で財を成したサー・ヘンリー・テートが収集したコレクションを1889年に寄贈しようとしたことがきっかけとなり設立されました。当初コレクションはナショナル・ギャラリーへの寄贈が検討されたものの、ナショナル・ギャラリーにはすでに新しいコレクションを所蔵するための場所の確保が難しくなっていました。

当時隣国フランスでは同時代の作品を所蔵するリュクサンブール美術館が開館し、国内外から注目を集めていたということもあり、イギリス美術を所蔵する美術館開館を求める世論が高まっていました。開館までには紆余曲折があったものの、サー・ヘンリー・テートのコレクションにナショナル・ギャラリーのイギリス美術コレクションを加え、1897年には「ナショナル・ギャラリー・オブ・ブリティッシュ・アート」としてロンドン南部のミルバンク地区に開館。1955年からは独自の組織「テート・ギャラリー」として活動することになります。

その後イギリス絵画のコレクションを積極的に収集し、1916年にはサー・ヒュー・レーンの収集した海外作品の遺贈を受け入れたことで外国の近現代美術作品もコレクションに入ったため、それまでの施設では展示場所も収蔵庫も不足することになってしまいます。そのため、1980年代以降にはリバプールとセント・アイヴスに分館を開館しました。

また、ナショナル・ギャラリーやヴィクトリア&アルバート美術館などの他の国立美術館との役割分担を検討するようになり、2000年には新館であるテート・モダンが開館。それ以降は4つの美術館を統合する組織として「テート」と改組されることとなります。

テート・リバプールはそんなテートに属する美術館で、イギリス、マージサイド州リバプールの港湾再開発地区アルバート・ドックに1840年代に建てられた倉庫を改造し、1988年に開設されました。この倉庫は1840年代に建てられたものでしたが、イギリスを代表する建築家のひとりであるジェームス・スターリングがモダン建築に生まれ変わらせたもので、建造当初のなごりを残しつつも、非常に近代的な展示空間となっています。

また、テート・リバプールでは地元住民や専門家を対象とした教育プログラムや、子どもがコレクションから作品を選んでカタログを作るプログラム「ヤング・テート」などがユニークな取り組みとして評価されています。ロンドンのテート・モダンと比べると観光客にとってはアクセスしにくい場所にあるテート・リバプールですが、こうした試みを行うことでより魅力的な美術館を目指しているのです。

テート・リバプールのコレクション

テート・リバプールではテートのコレクションを他のテートの美術館と協力しながら展示しており、特にヘンリー・ムーアなどのイングランド北部にゆかりのあるアーティストの作品に定評があります。そんなテート・リバプールのコレクションには、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な所蔵品をご紹介します。

《ロブスター・テレフォン》1936年サルバトール・ダリ

本作品は1936年にサルバトール・ダリによって制作された作品で、黒電話に石膏で作られたロブスターを接着しています。

Public Domain / ‘Salvador Dalí 1939’ by Van Vechten,Carl. Image via WIKIMEDIA COMMONS

サルバトール・ダリは1904年にスペインのカタルーニャ地方、フィゲーラスに生まれた画家です。幼いころから絵画に興味を持ち、1922年にマドリードの王立サン・フェルナンド美術アカデミーに入学すると、フェデリコ・ガルシーア・ロルカやルイス・ブニュエルなどと出会い交流を深めていきます。

1927年にはパリに赴き、パウロ・ピカソやトリスタン・ツァラ、アンドレ・ブルトンといったキュビスムやシュルレアリスムの中心人物たちと知り合い、ダリの表現は徐々にシュルレアリスムに近づいていきました。1929年には正式にシュルレアリスムのグループに参加し、独自の表現での作品制作に励むようになっていきます。第二次世界大戦中にはアメリカに移住したこともあったものの、1948年にはスペインに帰国し、1989年には85歳でその生涯を閉じることとなりました。

本作品はシュルレアリスムにおける古典的な名作とされており、黒電話とロブスターという生きている自然の対象と人類の発明を組み合わせることで、これまでにない表現をつくりあげています。ロブスターも電話も、ダリにとっては強い性的な意味合いを持っていました。

サルバドール・ダリの自伝『わが秘められた生涯』には、この作品について

「レストランでローストロブスターを注文したときに、ロースト電話が出されない理由がわかりません。(No entiendo por qué, cuando pido una langosta asada en un restaurante, nunca se me sirve un teléfono asado)」

と記述されています。

《ベッド》1980年-1981年アンソニー・ゴームリー

アンソニー・ゴームリーは1950年にロンドンのハムステッドに生まれたアーティストです。1968年から1971年にかけてケンブリッジ大学トリニティ・カレッジで考古学や人類学、美術史の学位を取得したのち、スリランカにわたって仏教を3年間学んでいます。

1974年にロンドンに戻ると、セントラル・セント・マーチンズ・カレッジ・オブ・アート・アンド・デザインおよびゴールドスミス・カレッジに通い、1977年から1979年までスレイド美術大学、ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンで彫刻の大学院課程を修了しています。

ゴームリーは、人体というものは記憶と変化が巻き起こる「場所」であると考えており、自身の身体をモデルとしてさまざまな作品に取り組んできました。本作品もそうした作品の一つで、大量の食パンの塊の中心部分にはゴームリー自身の身体の形がそのまま食べてぬかれており、空になっています。本作品では身体のかたちそのままに食パンに食べたあとを残すことで、ゴームリーの食の記憶が刻み付けられています。

食パンという身近なモチーフを用いることで、鑑賞者はその時間をリアルに感じ取ることができるのです。また、パンといえばキリスト教圏において、イエスの身体を象徴するモチーフとして扱われてきました。ゴームリーの父親は厳格なカトリック教徒で、ゴームリー自身もキリスト教の全寮学校に寄っていたこともあり、宗教的な思想も反映されていると考えられています。

おわりに

テート・リバプールはテート・モダンやテート・ブリテンに比べると、アクセスしにくに場所にはありますが、風光明媚なリバプールの地と共に北イングランドにゆかりのあるアーティストの作品を存分に楽しめる場所にもなっています。イギリスを訪れた際には、ぜひ足を延ばしてみてはいかがでしょうか

関連記事一覧