テート・モダン:近現代美術の殿堂

テート・モダンはイギリス・ロンドンのサウス・バンク地区にある美術館で、2000年に開館しました。国立美術館ネットワーク「テート」の一部であり、アンディ・ウォーホルやジャクソン・ポロックといった近現代芸術の巨匠たちの作品を所蔵しており、世界中から人々が訪れる場所となっています。そんなテート・モダンの歴史と所蔵品について詳しく解説していきます。

テート・モダンとは

テート・モダンは国立美術館ネットワーク「テート」の一部をなす美術館です。テートとは、砂糖の精製に関する特許で財を成したサー・ヘンリー・テートのコレクションをもとに開設された組織のことですが、当初、寄贈を打診したナショナル・ギャラリーに場所の余裕がないとして却下されたことから開館の動きが始まりました。同時代の優れた作品がコレクションに含まれていたこともあって、イギリス国内で同時代絵画を展示する美術館を設立する機運が高まっていったのです。

また、当時フランスでは同時代の作品を展示するリュクサンブール美術館が開館し、国内外から愛好家が押し寄せていました。こうした動きもあって、国立のイギリス美術の展示施設を新しく建設することが決定し、ナショナル・ギャラリーの分館として「ナショナル・ギャラリー・オブ・ブリティッシュ・アート」が1897年ロンドン南部のミルバンク地区に設立されることとなります。

やがて、コレクションにはゲインズバラやホガース、ターナー、ラファエル前派といったイギリスの画家たちの傑作や、チューダー朝以降の歴史的な作品も含まれていきます。その一方で、コレクションの拡大に伴い、展示場所と収蔵庫不足の問題にも悩まされるようになっていました。

そのため、1980年以降はリバプールとセント・アイヴスに分館を開館し、またテート・ギャラリーの新館をロンドンに設立したうえでミルバンクの本館をイギリス美術のギャラリーに、また新館を近現代美術のギャラリーにすると決定され、2000年にテート・モダンが開館することになります。この年、テート・ギャラリーとその分館は国立美術館の連合体である「テート」に改組されることとなり、今日までイギリスを代表する美術館として存在感を示してきました。

テート・モダンの建築

テート・モダンは1891年から1981年まで発電所として操業していたバンクサイド発電所の建物を再利用しています。1995年には1億3400万ポンドをかけて改装工事が行われ、2000年1月には工事が完了。改装工事後もタービン・ホールや変電所などはそのままに残されており、発電所時代の面影が見られます。

特にタービン・ホールは現在でもテート・モダンのシンボル的な存在となっており、毎年10月から3月まで現代アーティストに依頼して制作されたインスタレーションの展示が行われます。これは、もともと大型発電機がおかれていた7階分に相当する高さと3400平方メートルに達する広々とした空間で行われ、非常に人気があります。タービン・ホールで行われた展示の中には、ルイーズ・ブルジョワ、アイ・ウェイウェイ、ティノ・セーガルといった現代のアートシーンを代表するアーティストたちの作品が含まれており、毎年注目されています。

テート・モダンのコレクション

テート・モダンのコレクションは20世紀前半から現代の作品を所蔵しており、その中にはマルセル・デュシャンやパブロ・ピカソ、アンリ・マティスといった画家たちの作品が含まれています。そんなテート・モダンのコレクションの中には、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な所蔵品をご紹介します。

《ボリス・アンレップスタジオにて、ブルヴァールアラゴ通り65番地》1949年ピエール・ロワ

本作品は1949年にピエール・ロワによって制作された作品で、ロワの作家仲間であったボリス・アンレップの胸像とロワが所有していたパリにあるスタジオ4を描いています。

ピエール・ロワは1880年にフランスのナントに生まれた画家で、シュルレアリスムの作品を残したことで知られています。はじめは建築を学んでいたものの、パリに移ってアカデミー・ジュリアンのジャン=ポール・ローランスのもとで学び、ジョルジョ・デ・キリコやアンドレ・ブルトンといったシュルレアリスムの画家たちと知り合うようになります。1925年には第一回シュルレアリスム絵画展に参加し、以降作品を精力的に制作し続け、1950年にミラノで亡くなっています。

Public Domain / ‘Russian artist, Boris Anrep’ by Unknown author. Image via WIKIMEDIA COMMONS

本作品で描かれているボリス・アレップは、ロシアのサンクトペテルブルク出身の人物です。法医学の教授であった父親を持ち、法律学校で学んでいたものの、画家を紹介されたことで芸術に興味を持ち始めました。1908年からはパリに渡って美術を学び、イタリアやイギリスで多くの画家から刺激を受けます。最終的にはモザイク画家となり、いくつもの大聖堂のモザイク画を手掛けました。

ロイは、遠近法の操作といういつものスタイルを用いて、大きなスケール感を生み出しました。胸像はスタジオの中にそびえ立っているように見え、厳粛に描かれていますが、ズームしたような奇妙な遠近法が使われています。

《画家の家族》1926年ジョルジュ・デ・キリコ

本作品は1926年にジョルジュ・デ・キリコによって制作された作品で、夫婦と幼子と思われるマネキン、そしてその背景にはキャンバスが描かれています。

Public Domain /‘Portrait of Giorgio de Chirico’ by Carl Van Vechten. Image via WIKIMEDIA COMMONS

ジョルジョ・デ・キリコは1936年にギリシャのテッサリア、ヴォロスに生まれた画家です。ドイツ・ミュンヘンの美術アカデミーに入学したのち、フィレンツェに移住し、「形而上絵画」と呼ばれる新しい表現を形作ったことで知られています。形而上絵画とは「実際には見ることができないものを描く絵画」とされており、シュルレアリスムの画家たちに強い影響を与えました。

本作品はイタリア・ルネサンスの画家ミケランジェロの《聖家族》をモチーフに描かれた作品で、キリコの形而絵画の特長を如実に表しています。画家が巨匠たちの芸術への関心に照らし合わせて自身の作品を再構築していた時期に描かれたもので、戦前の彼の作品とは対照的に、作中のマネキンは肉付き良く描かれています。また、人物の様子からは伝統的な聖家族の場面を彷彿とさせます。

《夫婦》1930年ジョージ・グロス

本作品は1930年にジョージ・グロスによって描かれた作品で、ドイツの中産階級の夫婦を描いた作品です。

Public Domain /‘George Grosz, Berlin, 1930’ by Anonymous. Image via WIKIMEDIA COMMONS

ジョージ・グロスは1893年にドイツのベルリンに生まれた画家です。ドレスデンの王立美術院で学んだ後、複数の風刺雑誌に関わるようになり注目を集めますが、ナチスの台頭を避けて1933年にはアメリカに亡命。アメリカに同化しようとするあまり、徐々に風刺的な表現は失われていき、以降は中産階級の上品な女性を生徒とする画塾を開いて指導にあたりました。

本作品はそんなグロスによって描かれた作品で、1920年代から1930年代にかけて中産階級をテーマとして描いていたドローイングと水彩画のシリーズのうちのひとつと考えられています。素朴な水彩画で描かれた夫婦は語り合っているようであり、グロス作品には珍しい穏やかさを感じさせる作品となっています。

おわりに

テート・モダンは2000年に開館した近現代専門の美術館であり、毎年画期的なテーマの展覧会が開催されています。ロンドンを訪れた際には、ぜひ足を延ばしてみてはいかがでしょうか。

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