ヴィクトリア&アルバート博物館:400万点の膨大なコレクションを誇る美術館

ヴィクトリア&アルバート博物館はイギリス、ロンドンにある博物館の一つで、1852年に開館しました。各国の工芸やデザインに関連する品々を所蔵しており、国内でも5番目に来館者の多い博物館となっています。そんなヴィクトリア&アルバート博物館の歴史と所蔵品について詳しく解説していきます。

ヴィクトリア&アルバート博物館とは

ヴィクトリア&アルバート博物館はイギリス、ロンドンにある博物館の一つです。1851年に近代の工業技術とデザインの祭典として行われたロンドン万国博覧会の収益や展示品をもとに開館し、当初は産業博物館と呼ばれていました。

万国博覧会では欧州諸国の産業製品が展示されましたが、それらに対して英国の産業製品のデザインの質は著しく低く、博覧会後にはイギリス全体におけるデザインの質を高める必要性が指摘されていました。そのため、デザインに対する啓蒙を図る施設として、産業博物館は「装飾美術館」と名を改めました。

その後、1857年にはサウス・ケンジントンに移転したことでサウス・ケンジントン博物館と再度名を改めることとなります。また、デザインの啓蒙という構想に則って収集されたコレクションは、ロンドンはもとよりイギリス国民全体に開かれることとなり、世界でも有数のデザインと工芸のコレクションを誇る博物館として注目されてきました。1899年にはヴィクトリア&アルバート博物館と改名され、現在に至っています。

ヴィクトリア&アルバート博物館のコレクション

ヴィクトリア・&アルバート博物館のコレクションは工芸やデザインを中心に400万点近いコレクションとなっており、その中には絵画や彫刻、写真、中世から近代の武器やおもちゃ、テディベアなども所蔵されています。

コレクションの幅が広いことから、展示室の数も非常に多く、1日ですべての展示室を回るのは難しいでしょう。そんなヴィクトリア&アルバート博物館のコレクションには、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な所蔵品をご紹介します。

《ネプチューンとトリトン》1622年-1623年ジャン・ロレンツィオ・ベルニーニ

本作品は1622年から1623年にジャン・ロレンツィオ・ベルニーニが制作した作品で、ギリシア神話のネプチューンとその息子トリトンをモデルとしています。

ジャン・ロレンツィオ・ベルニーニは1598年にナポリに生まれた画家です。教皇パウルス5世のためにサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂の洗礼堂に《聖母被昇天》の大理石の浮彫を制作したことで頭角を現しました。その後は《アポロンとダフネ》やサンタ・マリア・デッラ・ヴィットーリア教会堂コルナロ礼拝堂の《聖テレジアの法悦》を制作し、バロックの時代を代表する彫刻家となっていきました。
ベルニーニはそのほかにも教会や教皇から依頼を受けて数多く作品を制作し、古代遺跡が数多く残されていたローマはベルニーニの手によって壮麗な都へと変貌していきました。そんなベルニーニの功績をたたえる「ベルニーニはローマのために生まれ、ローマはベルニーニのために作られた」という言葉も残されています。

本作品はそんなベルニーニによって制作された作品で、もともとはアレッサンドロ・ペレッティ・ディ・モンタルト枢機卿の邸宅の庭の噴水に設置される彫刻として依頼されたものでした。のちにイギリス人のトーマス・ジェンキンスによって購入されたのち、画家ジョシュア・レイノルズの手にわたり、最終的には1950年にヴィクトリア&アルバート博物館のコレクションに加わることとなります。

本作のモデルとなっているのは、ギリシア神話のネプチューンとその息子トリトンで、ネプチューンが荒れた海からアエネイアスの艦隊を助け出しているシーンを表現しています。ギリシア神話においてネプチューンは船を引き裂くために海の底からやってくるとされているものの、ベルニーニは神話を再解釈し、矛を下に向けている様子を表現することで、ネプチューンの上位性をより強調付けるようにしました。

Public Domain / ‘Stonehenge’ by John Constable. Image via WIKIMEDIA COMMONS

《ストーンヘンジ》1835年ジョン・コンスタブル

本作品は1835年にジョン・コンスタブルによって制作された作品で、イギリスの遺跡ストーンヘンジを描いています。

ジョン・コンスタブルは1776年にロンドンの北東にあたるサフォーク州のイースト・バーゴルトに生まれた画家です。1799年にはロイヤル・アカデミー付属美術学校の見習い生に、翌年には正規の学生となり、1802年にはアカデミーの展覧会に初めて出品しています。

ロマン主義的で劇的な場面を描いた同時代の画家ウィリアム・ターナーに対し、コンスタブルの作品は故郷サフォーク周辺の身近な風景を描いたものでした。しかし、野外での制作や光の変化を作品に取り入れようとしたことなどは、のちの印象派に先駆ける表現として今日では高く評価されています。

本作品はそんなコンスタブルによる作品で、イギリスの遺跡ストーンヘンジを描いています。このころのコンスタブルは人生の悲しい時期にいました。妻のマリアや親友のジョン・フィッシャーが亡くなり、二人の息子が家を出ていたのです。作品に漂うどこか陰鬱な雰囲気は、画家自身の心持ちを反映しているのかもしれません。

Public Domain / ‘Sappho On The Rocks’ by Gustave Moreau. Image via WIKIMEDIA COMMONS

《サッフォー》1871年-1872年ギュスターヴ・モロー

本作品は1871年から1872年にかけてギュスターヴ・モローによって制作された作品で、古代ギリシアの女流詩人サッフォーの自殺の場面を描いています。

ギュスターヴ・モローは1826年フランス、パリに生まれた画家で、象徴主義の画家として知られています。印象派の画家たちとほぼ同時代に活躍したものの、聖書やギリシア神話を主題として作品を制作し、その幻想的な表現は世紀末の画家や作家たちに多大な影響を与えました。

本作品で描かれているのは古代ギリシアを代表する女流詩人サッフォーで、渡船夫のファオンに恋をしたために苦悩し、崖の頂上に座り込む姿が描かれています。サッフォーはプラトンによって「十番目のムーサ」と呼ばれるほど才気あふれた女性であり、若い娘たちのための学校を作るなど若い女性たちのための活動も行っていました。しかし、恋人に捨てられた悲しみにくれたサッフォーはレウカディアンの崖から飛び降りて自ら命を絶ってしまいます。

本作品においてサッフォーは色鮮やかなガウンを着ており、どこか芝居がかったポーズで崖に座り込んでいます。このポーズとガウンの表現はモローが購入した浮世絵から取られたものと考えられており、ジャポニスムの影響が強くみられます。

おわりに

ヴィクトリア&アルバート博物館は工芸やデザインに関する膨大なコレクションを有する博物館であり、そのコレクションの規模は世界でも有数のものとなっています。ロンドンを訪れた際には、ぜひ足を延ばしてみてはいかがでしょうか。

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