ケンウッド・ハウス:美しい邸宅と芸術作品が楽しめる美術館

ケンウッド・ハウスはイギリスのロンドンにある、17世紀前半に建造された貴族の邸宅を用いた美術館です。フェルメールの《ギターを弾く女》やレンブラントが晩年に制作した《自画像》などの名画を所蔵することで知られており、美しい建築と傑作が同時に楽しめる美術館として人気があります。そんなケンウッド・ハウスの歴史と所蔵品について詳しく解説していきます。

ケンウッド・ハウスとは

ケンウッド・ハウスはイギリス、ロンドンのハムステッド・ヒース公園の北端にある美術館で、17世紀前半に建てられました。18世紀半ばになるとイギリスで著名な判事であった初代マンスフィールド伯爵・ウィリアム・マレーがケンウッド・ハウスとその周辺の土地を購入し、屋敷の改築をロバート・アダムに依頼します。
アダムは新古典主義の建築家で、貴族の住宅を多く手掛けていた人物です。1764年から1779年にかけて外装、内装ともに完全に改修が行われ、1755年に作られた豪華な温室とバランスを取るため、東側には図書室が増築されました。

20世紀になるとイギリスの相続税制度が改変されたため、マンスフィールド伯爵家はケンウッド・ハウスを子どもたちに相続させることが難しくなり、ケンウッド・ハウスの売却を決めます。
1922年には屋敷の家具や家財が売り払われることとなりました。ケンウッド・ハウスは貴重な森林や緑地でも知られており、人々はそうした貴重な場所が失われることを危惧して募金活動も行われましたが、十分な資金は集まりませんでした。

1925年になるとギネスビール社の初代会長としても知られる初代アイヴィー伯爵エドワード・セシル・ギネスがケンウッド・ハウスとそれに付随した土地を購入します。ギネスは優れた絵画コレクターとしても知られており、当時のケンウッド・ハウスはすでに家財道具がすべて売却されていたことから、コレクションを展示する場所として最適だったのです。

こうしてギネスのコレクションが展示される場所となったケンウッド・ハウスでしたが、1927年にはギネスは死去。ケンウッド・ハウスはコレクションと共に国に遺贈されることとなり、1928年に一般公開されました。現在では約15万人が毎年訪れており、世界中からアートファンが集う場所となっています。

ケンウッド・ハウスのコレクション

ケンウッド・ハウスのコレクションはエドワード・ギネスが蒐集したコレクションを核としています。規模は大きくないものの、17世紀のフランドル絵画や18世紀および19世紀のイギリス絵画の中でも西洋絵画史に残る傑作を所蔵しており、その中でもフェルメールやレンブラントの作品には定評があります。そんなケンウッド・ハウスのコレクションには、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な所蔵品をご紹介します。

Public Domain / ‘Youngwoman playing a guitar’ by Johannes Vermeer. Image via WIKIMEDIA COMMONS

《ギターを弾く女》1670年-1672年ヨハネス・フェルメール

本作品は1670年から1672年に制作された作品で、オランダ黄金時代を代表する画家ヨハネス・フェルメールによって描かれました。ヨハネス・フェルメールは1632年にネーデルランド連邦共和国のデルフトに生まれた画家です。

1653年には聖ルカ組合に親方画家として登録されており、このころには独立するのに十分な技術を身に付けていたものと考えられています。当時親方画家として登録するためには6年の下積みが必要でしたが、この下積み期間については史料が乏しく、フェルメールが誰に師事し、どのような修行時代を送ったのかは分かっていません。

フェルメールは1653年、大変裕福な家の出身であったカタリーナ・ボルネスと結婚しています。義母の経済的支援により、フェルメールはラピスラズリを原料とするウルトラマリンを惜しげもなく作品に使用することができました。また、1657年からはデルフトの醸造業者で投資家でもあるピーテル・クラースゾーン・ファン・ライフェンがパトロンになり、フェルメールは年に2、3作という寡作な画家であっても制作に没頭することができました。

しかし第三次英蘭戦争が勃発したことにより、徐々に画家たちの仕事はなくなっていき、フェルメールも仕事を受けることが亡くなりました。1675年には42歳でその生涯を閉じています。

本作品はそんなフェルメールによって描かれた作品で、ギターを演奏する女性を描いた作品です。女性は黄色と白のたっぷりとしたドレスを身にまとっており、おそらく経済的に恵まれた人物であることが予想できます。本作品は1974年に何者かの盗難にあったものの、ロンドンで無事発見され、ケンウッド・ハウスに戻されることとなったという来歴を持っています。

Public Domain / ‘Self-Portrait with Two Circles’byRembrandt. Image via WIKIMEDIA COMMONS

《二つの円と自画像》1665年-1669年レンブラント・ファン・レイン

本作品は1665年から1669年にかけて制作された作品で、オランダ黄金時代の画家レンブラント・ファン・レインによって描かれました。

レンブラントは1606年にネーデルランド連邦共和国のライデンに生まれた画家です。アムステルダムで活動していたピーテル・ラストマンに師事したのち、ライデンの実家にアトリエを構え、徐々に頭角を現すようになっていました。その後はアムステルダムにアトリエを移し、1632年には著名な医師であるニコラス・ピーデルスゾーン・トゥルプ教授の解剖講義を主題とした集団肖像画を制作。のちに《テュルプ博士の解剖学講義》と題されるこの作品によって、レンブラントの名前はヨーロッパ中にひろまることとなります。

私生活では裕福な一族出身の妻サスキアと結婚し、子どもたちにも恵まれました。しかし、1652年には英蘭戦争が勃発したことにより、徐々に金策に困るようになっていきました。そうした状況にあっても、レンブラントの浪費癖は直ることがなく、晩年は娘コルネリアと老女中の三人で生活し、1669年には63歳の生涯を閉じることとなります。

本作品はそんなレンブラントの晩年を描いた、40点以上の自画像のうちの一つです。その記念碑的価値と、二つの円の一部が描かれている、謎めいた淡い背景が特徴になっています。

ルーヴル美術館に所蔵されている1660年の《イーゼルの前の自画像》
Public Domain / ‘Self-Portrait at the Easel’ byRembrandt. Image via WIKIMEDIA COMMONS

レンブラントはパレット、筆、マールスティックを手にしています。毛皮の裏地のついたローブを着ており、その下には赤い衣服も見えます。頭には白い帽子を被っていますが、これは他の後期の自画像でもよく着用しているものに似ています。一方、他の後期の自画像と異なるのは、片手を腰に当てて、挑戦的な態度で反抗的にも見えるように描いているところです。その姿は、厳粛に自分の天才性を主張する巨匠のようです。

背景の円の意味ははっきりと分かっておらず、単に壁に描かれていたから描かれたという説や、幾何学的な構図上の機能を果たしているという説、オランダの家庭でよく見られるデザインの特徴である世界地図の半球を表しているという説もあります。また、イタリアの巨匠ジョットがローマ法王に召喚された際、その芸術性を示すために一度で完璧な円を描いた話のように、円は芸術的技術の完璧さを象徴するという説もあります。

おわりに

ケンウッド・ハウスは17世紀後半に建てられた館をもとにマンスフィールド伯爵家やエドワード・セシル・ギネスと所有者が変わり、1928年には一般公開されることとなりました。コレクションの規模は大きいものではないものの、オランダ絵画やイギリス絵画を中心に非常に質の高いコレクションを所蔵しており、イギリスを代表する美術館といえるでしょう。ロンドンを訪れた際には、ぜひ足を延ばしてみてはいかがでしょうか。

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