コートールド・ギャラリー:印象派や後期印象派の質の高いコレクションを有する美術館

コートールド美術館はイギリスのロンドン、ウェストミンスター地区にある美術館で、1932年に開館しました。小規模なギャラリーであるものの、印象派や後期印象派の質の高いコレクションを所有していることで知られており、世界中からアートファンが訪れる地でもあります。そんなコートールド美術館の歴史と所蔵品について詳しく解説していきます。

コートールド・ギャラリーとは

コートールド美術館はイギリスのロンドン、ウェストミンスター地区にある美術館で、ロンドン大学付属の美術研究所、コートールド美術研究所の付属美術館として1932年に開館しました。コートールド美術研究所はロンドン大学を構成するカレッジの一つで、美術史や保存修復に関する世界最高の機関の一つに数えられています。

コートールド・ギャラリーはストランド地区の南側にあるサマセット・ハウスのなかにあります。サマセット・ハウスとは1776年から1796年に建築家のウィリアム・チェンバーズによって設計された建物で、現在はさまざまな政府関連機関、芸術や教育に関する組織が入っています。
また、中庭は冬になるとアイススケートのリンクになることもあり、ロンドンの人々の憩いの場にもなっています。コートールド・ギャラリーはサマセット・ハウスに所在する機関の中ではもっとも有名な機関のひとつで、世界的に有名です。

コートールド・ギャラリーのコレクション

コートールド美術館はもともと1932年に実業家のサミュエル・コートールドのコレクションが寄贈されたことをきっかけに開館しました。

コートールドは代々エセックス州で絹織物の事業を営んでいた実業家で、妻の影響で芸術に関心を持つようになり、テート・ギャラリーやロンドンのナショナル・ギャラリーにコレクションの購入資金を援助しています。コートールドは当時あまり注目されていなかった印象派の作品を中心に作品を収集していたため、コートールド・ギャラリーのコレクションには秀逸な印象派の作品が含まれています。

以降そのコレクションを核として、さまざまな個人コレクターのコレクションが加わり、現在の形になりました。そんなコートールド・ギャラリーのコレクションの中には、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な所蔵品をご紹介します。

Public Domain / ‘A Bar at the Folies-Bergère’ by Édouard Manet. Image via WIKIMEDIA COMMONS

《フォリー・ベルジェールのバー》1882年エドゥアール・マネ

本作品は1882年にエドゥアール・マネが制作した作品で、マネが最後に完成させた主要な絵画としても知られています。

エドゥアール・マネは1832年にフランスのパリに生まれた画家です。生家は裕福なブルジョワジーの家庭であり、父親からは法律家になることを望まれていました。しかし、マネは芸術に関心をもっており、歴史画家であったトマ・クチュールに師事しながらルーブル美術館で過去の巨匠たちの作品を模写し続け、自らのスタイルを模索していきました。

1859年からはサロンへの応募をはじめ、徐々にアカデミズムとは一線を画す、近代パリの都市生活を描く表現の作品を制作するようになります。1863年にはナポレオン3世の号令によって開催された《草上の昼食》で非難を浴びたものの、普仏戦争後は若手画家たちとともにサロンから独立したグループ展、印象派展を開催することとなります。

本作品はそんなマネが病魔に侵されてパリ郊外で療養している期間、厳密には亡くなる1年前に制作されています。フォリー・ベルジェールは1869年にオープンした音楽劇場で、豪華な衣装やセット、効果的な演出とともにアクロバットやパントマイム、音楽ショーといった近代的な催し物が行われていました。

この施設は現在も営業を続けており、フランスとパリの生活を象徴する強い存在となっています。そんな華やかな社交場を描いた作品である一方、中央に描かれている女性の表情はどこか暗いものとなっています。これは、彼女が娼婦として描かれており、飲み物と一緒に購入される商品としても表現されているのです。リアリズム的とも言える現代の明と暗の情景を、マネはこのようにはっきりと詳細に示しました。

また、鏡の位置の不確かさ、バーメイドの後姿が右へずれていること、バーメイドが応対している紳士が手前には存在しないこと、カウンターに置かれたビンの位置と数に相違があることなど、平強生評価を困惑させた作品であると知られています。遠近法で描かれた絵を見るときに想定される中心的な視点からの異常な逸脱がなされており、華やかでありながらどこかミステリアスな雰囲気も漂っています。

Public Domain / ‘Self-Portrait with Bandaged Ear’ by Vincent van Gogh. Image via WIKIMEDIA COMMONS

《自画像》1889年フィンセント・ファン・ゴッホ

本作品は1889年にフィンセント・ファン・ゴッホによって描かれた作品で、ゴッホの有名な自画像の一つです。

フィンセント・ファン・ゴッホは1853年オランダの南部、ズンデルトに生まれた画家で、1869年からは画商のグーピル協会に勤め、ハーグやロンドン、パリなどで働いていたものの、無断で休暇を取るなどしたために解雇されてしまいます。その後は教職を経て聖職者を志すようになり、1878年からは伝道活動を行っていました。徐々に画家を目指すようになってからはオランダのエッテンやハーグ、ニューネンやアントウェルペンなどに居を移しつつ、作品を描いていきました。

1886年からはパリに移ったものの、南フランスに画家の協同組合を築くことを夢見て南フランスのアルルに移り、ポール・ゴーギャンと共同生活を送ることとなります。しかし、ゴッホとゴーギャンとの間ではいざこざが絶えず、剃刀をもってゴーギャンを追い回した挙句、自身の耳を切り落としてしまったこともありました。

本作品はゴッホの耳を覆っている包帯から、「耳切り事件」の直後に描かれた自画像であることがわかります。ゴッホは自画像に鏡を使用していたため、左耳ではなく右耳の一部を失ったと誤解を招くこともある作品です。

Public Domain / ‘Print depicted in Van Gogh self-portrait (Courtauld)’ by Japanese print artist of the 1870s. Image via WIKIMEDIA COMMONS

この自画像では、ゴッホは青い帽子に黒い毛皮、緑の上着を着ており、耳から顎まで包帯が巻かれています。彼の後ろには冬の風が吹き込んでいると思われる開いた窓があり、画架に置かれたキャンバスには日本の木版画もあるようです。この木版画は、1870年代に出版された《風景の中の芸者たち》という作品であることが確認されています。このことは、ゴッホの作品にジャポニズムと木版画が重要な影響を与えたことを示しており、ゴッホが制作した他の肖像画の背景でも見ることができます。

Public Domain / ‘Christ and the Woman Taken in Adultery’ by Pieter Brueghel the Elder. Image via WIKIMEDIA COMMONS

《キリストと姦通の女》1565年ピーテル・ブリューゲル

本作品は1565年にピーテル・ブリューゲルによって制作された作品で、新約聖書「ヨハネによる福音書7章53節8章11節」に記載されている姦通の女を主題としています。

キリストと姦通の女のエピソードは、イエスが律法学者や書記官の前に処刑のために連れて来られた姦通の女に遭遇した場面で、多くの芸術家によって描かれてきました。姦通の罪は石打ちで死刑とされていましたが、この場面でイエスは、「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」と言いました。女性の左側の床に転がっている石からも、誰一人石を投げられた者がいなかったことがわかります。

本作品は小さなパネル画にグリザイユで描かれた作品で、全体的に控えめな神秘主義の雰囲気に浸っています。キリスト、女性、律法学者や書記官は明るく照らされ、イエスの弟子たちや一般の人々の野次馬の影によってより目立っています。ひざまずくイエスの謙遜さは、身をかがめて身振り手振りをし、律法を守ることを主張する書記官とは対照的です。女性は凛とした態度で判決を待っているように見えますが、交差した指は彼女の緊張感を裏切っています。

おわりに

コートールド・ギャラリーは印象派や後期印象派の質の高いコレクションを有し、世界的にも注目が集まっている美術館の一つです。ロンドンに訪れた際には、ぜひ足を延ばしてみてはいかがでしょうか。

関連記事一覧