アシュモレアン博物館:世界最初の大学博物館

アシュモレアン博物館はイギリスのオックスフォードにある博物館で、世界最初の大学博物館であることで知られています。貴重な考古学的資料に加え、ミケランジェロやレオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロ前派の作品が所蔵されていることで知られており、そのコレクションの充実度には定評があります。そんなアシュモレアン博物館の歴史と所蔵品について詳しく解説していきます。

アシュモレアン博物館とは

アシュモレアン博物館はイギリス、オックスフォードにある博物館で、正式名称はアシュモレアン美術・考古学博物館といいます。イギリスの政治家で錬金術の研究者エリアス・アシュモールが、アンティーク収集家として集めたコレクションをオックスフォード大学に寄贈したことからアシュモレアン博物館の歴史は始まりました。

当初エリアス・アシュモールのコレクションは、15世紀から18世紀にかけてヨーロッパで流行した「驚異の部屋」と呼ばれる博物陳列室の形で収蔵されていました。驚異の部屋は15世紀のイタリアの王族や貴族たちの間で作られ始めたもので、自然物も人工物も分野を特段分けずに収集するのが特徴です。鉱物からミイラ、聖遺物やアンティークなどさまざまな品が王族・貴族によって集められたと言います。18世紀半ばになるとすたれていったものの、驚異の部屋に収集されたコレクションのいくつかは現在の博物館の前身となり、アシュモレアン博物館はもちろん、大英博物館にも継承されていくこととなります。

アシュモレアン博物館の所蔵品は当初、前述のエリアス・アシュモールのコレクションのほか、庭師で旅行家でもあったジョン・トラデスカント、そしてその息子のジョン・トラデスカントのコレクションからはじまりました。そこには古銭や書物、地質標本や動物標本などがあり、動物標本の中にはヨーロッパ最後のドードー鳥の剥製も含まれていました。

こうしたコレクションは整理され、アシュモレアン博物館は1683年5月24日に開館。オックスフォード大学で最初の化学教授となったロバート・プロットが学芸員をつとめることとなりました。その後1924年にはオックスフォード科学史博物館となり、膨大な考古学的史料と芸術作品を所蔵する世界で最初の大学博物館として世界中から人々が訪れる地となっています。

アシュモレアン博物館のコレクション

アシュモレアン博物館のコレクションは、ルネサンスの巨匠ミケランジェロやラファエロ、レオナルド・ダ・ヴィンチらの線描作品のほか、イギリスを代表するロマン派の画家ジョセフ・ターナーの作品、「アラビアのロレンス」で有名なトーマス・エドワード・ロレンスが所有していたアラブの儀礼服やオリバー・クロムウェルのデスマスクなど、絵画作品から個人的な品まで多岐にわたっています。

そんなアシュモレアン博物館のコレクションには、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な作品をご紹介します。

《オーヴェル=シュル=オワーズの眺望》1879-1880ポール・セザンヌ

本作品は1879年から1880年にかけて制作された作品で、印象派の巨匠にして後世の画家たちに多大な影響を与えた画家、ポール・セザンヌによって描かれた作品です。

ポール・セザンヌは1839年、フランスのエクス=アン=プロヴァンスに生まれた画家です。銀行家の父の希望に従って法学部に通っていたものの、画家を志すようになり1861年パリに出ます。パリではのちの印象派のメンバーとなるピサロやモネ、ルノワールらと親交をもち、第1回と第3回の印象派展に作品を出品しています。

1870年ごろからは制作場所を故郷のエクスに移し、色彩と平面性を重視した作品を制作するようになっていきます。1895年にはアンブロワーズ・ヴォラールがパリで開いたセザンヌの個展が大成功をおさめ、徐々にセザンヌの名は知られるようになっていきました。セザンヌは存命中サロンでの落選を繰り返したものの、死後伝説的な存在として評価されるようになり、キュビスムをはじめとした後世の画家たちに多大な影響を与えました。

本作品はセザンヌがエクスに居を移したころに描かれた作品であり、フランス・イル・ド・フランス地域圏ヴァル=ドワーズ県の村の風景を描いた作品です。セザンヌはもちろん、カミーユ・コロー、カミーユ・ピサロ、フィンセント・ファン・ゴッホらがこの村でインスピレーションを受けて作品を制作したことで知られており、特にゴッホはこの地で70点もの作品を制作し、最期を迎えました。

作中では家や木々、山の形が幾分単純化され、その後のセザンヌの表現をうかがわせるような表現になっています。また空、深い緑の山並み、家々、そして若々しい緑の表現が非常にリズミカルに描かれており、セザンヌの構成に対する試みが感じられる作品となっています。

本作品は1999年12月31日、隣接する建物の足場を伝い天窓を破って侵入した人物によって盗み出された作品としても知られています。犯人は同じ部屋にあった他の作品に手を付けることはなく、また盗品が売りに出されることもなかったため、依頼を受けて行われた美術品盗難事件なのではないかと考えられています。

参考サイト:wikipedia ポール・セザンヌ、「View of Auvers sur Oise」、閲覧2021年2月4日

《ジョン・ラスキンの肖像》1853年-1854年ジョン・エヴァレット・ミレー

本作品は1853年から1854年にかけて制作された作品で、ラファエル前派を代表する画家ジョン・エヴァレット・ミレーによって描かれた作品です。

ミレーは1829年にイングランド南部のサザンプトンに生まれた画家です。幼いころから優れた才能を示していたこともあって、11歳の時にはロンドンのロイヤル・アカデミー付属美術学校に史上最年少で入学。1846年にはわずか16歳でロイヤル・アカデミーの年次展に入賞するものの、ミレー自身はアカデミーの古い教育法や当時の画壇に不満を抱いており、1848年にはラファエル前派を結成します。

ラファエル前派は美術批評家であったジョン・ラスキンの「芸術は自然に忠実でなければならない」という思想に基づいて作品を制作したグループで、非常に革新的な表現を用いた作品は徐々に高い評価を得るようになっていきました。本作品はラファエル前派に大きな影響を与えたジョン・ラスキンを描いたものであり、雄大な自然を前に威厳のあるポーズをとるラスキンが描かれています。

本作品が制作された1853年ラファエル前派はマスコミに非難されますが、ラスキンはラファエル前派を擁護し、2人は交流を深めるようになっていきました。しかしその後の彼らには、ラスキンの妻ユーフィミアがミレーに好意を抱き、夫ラスキンを捨ててミレーのもとに走るという数奇な運命が待ち受けています。

その事件で不評を得たミレーは、寵愛を受けていたヴィクトリア女王からその後肖像画の依頼を受けることはありませんでした。このようなラスキンとミレーの人生を知った上で本作品を見ると、その崇高な表現がどこか皮肉にも思えてきます。

参考サイト:wikipedia ジョン・エヴァレット・ミレー、閲覧2021年2月4日

おわりに

アシュモレアン博物館は世界最古の大学博物館であり、絵画作品から歴史上の人物の個人的な品々まで幅広い品々を所蔵しています。オックスフォードを訪れた際には、ぜひ足を延ばしてみてはいかがでしょうか。

参考サイト:wikipedia アシュモレアン博物館、閲覧2021年2月4日

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