レンバッハハウス美術館:青騎士やメディア芸術の作品で知られる美術館

レンバッハハウス美術館はドイツのミュンヘンにある美術館で、1929年に開館しました。19世紀の肖像画家フランツ・フォン・レンバッハの邸宅兼アトリエを改装した建物を用いた美術館で、カンディンスキーとフランツ・マルクが新しい表現を探求した青騎士や、メディア芸術のコレクションで定評があります。
そんなレンバッハハウス美術館の歴史とコレクションについて詳しく解説していきます。

無料公開されている庭園

■レンバッハハウス美術館とは

レンバッハハウス美術館はドイツのミュンヘンにある美術館で、1929年に開館しました。建物は、肖像画家としてしられるフランツ・フォン・レンバッハの自宅兼アトリエを改装したものです。

レンバッハは1836年、バイエルン州ノイブルグ=シュローベンハウゼン郡のシュローベンハウゼンに生まれた人物で、父親は建築会社を設立し首長も務めるなど、地元の名士として知られた人物でした。彼はランツベルグ・アム・レヒの学校を卒業したのち、ランツフートの商業学校で学んだものの、次第に芸術に関心を寄せるようになります。そして1851年から1852年までは、彫刻家のアンセルム・シッキンジャーの元で学びました。父親が亡くなった後は実家の家業を手伝わなくてはならず故郷に戻ったものの、その後画家になろうと本格的にミュンヘン美術学校で学び、ピロティの指導を受けるころには彼の画力はかなり向上していました。

ヨーロッパ各地で肖像画などを描いたのちは、ワイマールに新設されたザクセン公国の美術学校教授に就任。1867年にはパリ万国博覧会で金賞を受賞します。1869年のガラス王宮の展覧会でも金賞を受賞し、人気が高まっていきました。こうした功績もあって、バイエルン王国から貴族の称号を受けることになります。1902年にはフランス政府からレジオン・ド・ヌール勲章を受章したものの、同年心臓病を発症したことにより、ミュンヘンで亡くなっています。

そんなレンバッハが過ごしたレンバッハ美術館の建築は、1889年にガブリエル・フォン・ザイドルの設計によって建てられたイタリア・ルネサンス風の作りになっています。1924年にはミュンヘン市の所有となって美術館として開館するために改修されることとなりました。庭に面した部屋にはレンバッハ自身の作品も所蔵されており、《ビスマルク像》をはじめ、彼の作品は今も注目を集めています。

参考サイト:wikipedia レンバッハハウス美術館フランツ・フォン・レンバッハ

■レンバッハ美術館のコレクション

レンバッハ美術館のコレクションは、「青騎士」に属して作品制作を行ったカンディンスキーやフランツ・マルク、パウル・クレーといった画家たちの作品に加え、ヨーゼフ・ボイスやゲルハルト・リヒターといったアーティストたちの作品を含むことで知られています。

青騎士のひとりで、カンディンスキーのパートナーとしても知られるガブリエーレ・ミュンターは、1957年80歳の誕生日の際に膨大なコレクションをミュンヘン市に寄贈しました。その中には、80点以上のカンディンスキーと青騎士の画家たちの作品が含まれていました。青騎士の活動期間は短かったものの、戦後において伝説的な芸術グループとして知られているため、レンバッハハウス美術館は一躍世界的に注目されることとなります。
レンバッハハウス美術館ではその後1945年以降の作品も収集するようになり、メディア芸術の作品でも知られるようになっていきます。
そんなレンバッハハウス美術館コレクションの主要な作品をご紹介します。

(Public Domain /‘Salome’by FranzvonStuck. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

・《サロメ》1906年フランツ・フォン・シュトゥック

本作品は1906年に、象徴主義の画家として活躍したフランツ・フォン・シュトゥックによって描かれた作品です。

シュトゥックは1862年にドイツのテッテンヴァイスで生まれました。1872年にはミュンヘンに移住し、1881年から1885年までミュンヘン美術工芸アカデミーで学び、「フリーゲンデン=ブレッター」という雑誌の編集部で挿絵を描きながらなんとか生活を成り立たせていました。

(Public Domain /‘The Guardian of Paradise’by Franz Von Stuck. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

しかし、1889年に《天国の守護神》が金賞したことにより評価は一変。シュトゥックは一躍人気画家として世に躍り出ることになり、1892年にはミュンヘン分離派を設立します。1895年には32歳でミュンヘン・アカデミーの教授となり、その教え子にはパウル・クレー、ワシリー・カンディンスキー、ヨゼフ・アルバース、ハンス・プルマン等がいます。こうした教え子たちは20世紀美術を担う重要な画家となっていくことになり、シュトゥックが教育者としても大変有能な人物であったことを示しています。

本作品で描かれた《サロメ》は、古代パレスチナの領主ヘロデ・アンティパスとその妃へロディアの娘である女性を描いたものです。サロメは王の前で舞を踊り、褒美を求められると「ヨハネの首を」と答えます。王は戸惑ったもののそれに応え、ヨハネは斬首。本作では黒人の使いによって洗礼者ヨハネの首が献上されているシーンが描かれています。

象徴主義は歴史上のモチーフを幻想的に描くことで知られており、シュトゥックも旧約聖書のエピソードであるサロメの一説を淫靡で原始的なイメージで描いています。黒人の使者を描き加えることで、そのイメージは強調されており、シュトゥックの表現力の高さを示しています。

参考サイト:wikipedia Franz Stuck

・《雨の中》1912フランツ・マルク

本作品は1912年に、青騎士の中心メンバーとして活躍したフランツ・マルクによって描かれた作品です。

フランツ・マルクは1880年に、バイエルン王国の首都ミュンヘンで生まれました。風景画家であった父ウィルヘルム・マルクからデッサンの基礎を教え込まれ、徐々に絵画に興味を持つようになっていきます。しかし父親がほめてくれることはなかったため、次第に人間嫌いになっていきました。

ミュンヘン美術大学

1900年にミュンヘン美術大学に入学すると、ガブリエル・フォン・ハックルやヴィルヘルム・フォン・ディーツの指導を受け、アウグスト・マッケをはじめとした画家たちとも交流するようになっていきます。1911年には青騎士を創設し、ドイツ表現主義が花開くきっかけとなりました。1914年に第一次世界大戦が勃発するとマルクは騎兵としてドイツ軍に従軍することになり、ヴェルダンの戦いにおいて36歳という若さで命を落としてしまいます。

本作品は馬や牛、猿などの動物や森を描いたマルクの典型的な作品で、このころマルクが興味を抱いていたキュビスムの影響が見られます。右下には白い犬が、左上と中央上部には女性の顔のようなものが描かれているように見えます。本作はとても鮮やかな作品ですが、たたきつけるように降る雨の強さを、この色彩と激しいタッチで表現していると思われます。

参考サイト:wikipedia フランツ・マルクFranz Marc

■おわりに

レンバッハハウス美術館は、青騎士やメディア芸術作品が充実していることで知られています。ミュンヘンには他にも多数の美術館があることから、アート鑑賞にはもってこいの場所です。ミュンヘンを訪れた折には、レンバッハハウス美術館をはじめとしたミュンヘンの美術館を訪れてみることをおすすめします。

公式

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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