ピナコテーク・デア・モデルネ:ヨーロッパ最大規模を誇る近現代美術の美術館

ピナコテーク・デア・モデルネはドイツのミュンヘンにある美術館で、2002年に開館しました。美術館周辺には、古典から18世紀までの絵画を展示するアルテ・ピナコテーク、18世紀から19世紀までの作品を展示するノイエ・ピナコテークが存在し、このピナコテーク・デア・モデルネでは20世紀から21世紀の作品を所蔵しています。そんなピナコテーク・デア・モデルネの歴史とコレクションについて詳しく解説していきます。

■ピナコテーク・デア・モデルネとは

ピナコテーク・デア・モデルネはドイツのミュンヘンにある美術館で、2002年に開館しました。ミュンヘンはバイエルン州最大の都市で州都でもあり、中世からバイエルン公国の都として栄えてきました。その後もドイツの対抗宗教改革やルネサンス芸術の中心地として栄えました。第二次世界大戦の折には多大な被害を受けてしまいますが徐々に復興を遂げ、現在では情報技術やバイオテクノロジー、出版などで高い技術をもつ都市として注目されています。

そんなミュンヘンには、ピナコテーク・デア・モデルネに先立つ美術館として、アルテ・ピナコテークとノイエ・ピナコテークが存在します。アルテ・ピナコテークは、バイエルン王家ヴィッテルスバッハ家のコレクションを展示するために建てられた美術館であり、古典巨匠から18世紀半ばの作品を所蔵しています。それに対しノイエ・ピナコテークは、バイエルン国王ルートヴィッヒ1世によって設立された美術館で、18世紀半ばから20世紀の作品を所蔵しています。

奥はアルテ・ピナコテーク

20世紀以降の現代美術作品は、ピナコテーク・デア・モデルネができるまでハウス・デア・クンストに展示されていました。しかしハウス・デア・クンストは所有コレクションを持たない展覧会場であることもあって、州立の現代美術館の必要性が長年議論されていました。しかし、新しい美術館の建築には多額の予算がかかるもので、当時のバイエルン州政府は難色を示していました。

そのような経緯で、1994年に新美術館建築の資金調達のための財団が設立されることとなりました。すると、わずか2年で目標額の寄付金を集めることに成功。予算面の問題がなくなったため、バイエルン州政府も新美術館建築に前向きとなり、2002年にはピナコテーク・デア・モデルネが開館しました。その後ハウス・デア・クンストは特別展会場などとして利用されています。

参考サイト:wikipedia ミュンヘンピナコテーク・デア・モデルネアルテ・ピナコテークイノエ・ピナコテーク

■ピナコテーク・デア・モデルネのコレクション

ピナコテーク・デア・モデルネでは現代美術、グラフィック・アート、建築、デザインの4分野を取り扱う美術館です。シュテファン・ブラウンフェルスの設計による建物は、中央に大きな吹き抜けを配し、地下1階にデザイン、1階に建築とグラフィック・アート、2階に美術部門の展示を行っており、建物もそのコレクションの構成に沿うものとなっています。

所蔵品の中にはエルンスト・ルートヴィッヒ・キルヒナーやエミール・ノルデといったドイツ表現主義の作品の他、パブロ・ピカソやジョルジュ・ブラック、アンリ・マティスといった20世紀を代表する画家たちの作品も所蔵されています。

そんなピナコテーク・デア・モデルネのコレクションには、どのような作品が含まれているのでしょうか。
主要な作品をご紹介します。

(Public Domain /‘Horizontal volumes’by Umberto Boccioni. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

・《平面の質量》1912年ウンベルト・ボッチョーニ

本作品は1912年に、イタリア未来派として活躍したウンベルト・ボッチョーニが描いた作品です。

ウンベルト・ボッチョーニは1882年レッジョ・カラブリアに生まれた画家です。生後すぐにフォルリに移住して幼年期を過ごしたのち、ローマでは絵画の基礎を、パリでは印象派や後期印象派の画家たちのスタイルを学び、徐々に自らのスタイルを確立していきます。ミラノに移住後は詩人のマリネッティや色彩分離派の画家たちと交流し、1910年にはカルロ・カッラやルイージ・ルッソロと未来派画家宣言を発表します。そうして新しい表現を模索していたボッチョーニでしたが、第一次世界大戦では砲兵連隊に入隊、訓練中に落馬して馬に踏みつけられ、33歳という短い生涯を閉じています。

本作品は、男がこの絵を見るものの方を向いて座っている様子が描かれています。しかしその顔をよく見ると、正面だけでなく様々な角度の顔が合わさっているように見えるでしょう。背景もどこか不自然で、板のような平面の組み合わせでありながら、現実にはありえない向きや遠近感で立体感を生んでいます。また、男の腕や手は金属のような質感でありながら、しなやかなものになっています。二次元の作品ですが、前述のような表現によって、平面的な中に奥行きや重み、厚みを感じられるようになっています。

参考サイト:wikipedia ウンベルト・ボッチョーニ

・《ゼラニウムのある静物》1910年アンリ・マティス

本作品は1910年に、野獣派の画家として活躍したアンリ・マティスによって制作された作品です。第二次世界大戦を生き延びたコレクションの一つとしても知られており、ピナコテーク・デア・モデルネを代表する作品の一つに数えられています。

アンリ・マティスは1869年に、フランス・ノール県ル・カトー=カンブレジに生まれました。1887年にはル・カトー=カンプレシの弁護士事務所に就職するためパリに出て法律を学ぼうとしていたものの、1889年21歳の時に虫垂炎を患ってしまい、療養生活を送らざるを得なくなってしまいます。そんな時、アマチュア画家だった母の薦めで絵を描くようになります。のちにこの時の事をマティスは「天国のようなものを発見した」と語っています。画家になる決意を固めたマティスは1891年にパリに戻り、アカデミー・ジュリアンに入学。ウィリアム・アドルフ・ブグローやギュスターヴ・モローの指導の下、古典絵画から学び始め、静物画や風景画を描いては基本的な画力を磨いていきました。

マティスはゴッホやセザンヌ、シニャックゴーギャンなど後期印象派の影響を受けて、激しい色彩の作品を制作しており、その表現から「野獣派」と呼ばれるようになっていきます。また切り絵の《ジャズ》シリーズなどを制作し、20世紀絵画史に残る作品を残しています。

本作品はフォービスムの表現から離れつつあった1910年に描かれた作品で、「私は人々を癒す肘掛け椅子のような絵を描きたい」というマティスの言葉にもあるように、日常の光景を主題としています。青を基調としたキャンバスにはピンクのゼラニウムが鮮やかに咲き誇っており、色彩の魔術師と呼ばれたマティスの優れた色彩感覚がわかります。

参考サイト:wikipedia アンリ・マティス

■おわりに

ピナコテーク・デア・モデルネは、アルテ・ピナコテークとノイエ・ピナコテークに続くバイエルンの美術館であり、デザインや建築、美術など20世紀から21世紀の作品を所蔵しています。近現代美術の美術館としてはヨーロッパ最大規模を誇り、アルテ・ピナコテークとノイエ・ピナコテークを合わせれば、ヨーロッパ芸術史を俯瞰できるコレクションとなっています。
アルテ・ピナコテークとノイエ・ピナコテーク、そしてピナコテーク・デア・モデルネは隣接しており、アクセスも良い場所にあります。ミュンヘンを訪れた際には、ぜひ足を延ばしてみてください。

公式:https://www.pinakothek.de

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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