アルテ・ピナコテーク:世界最古の公共美術館のひとつ

アルテ・ピナコテークは、ドイツのバイエルン州ミュンヘンにある1836年に開館した美術館です。もともとはバイエルン王家ヴィッテルスバッハ家の収蔵品を展示する目的で作られたものの、国有化され現在にいたっています。そんなアルテ・ピナコテークの歴史とコレクションについて、詳しく解説していきます。

アルテ・ピナコテークのエントランス

■アルテ・ピナコテークとは

アルテ・ピナコテークはドイツ、バイエルン州のミュンヘンにある美術館です。ミュンヘンはバイエルン州最大の都市であり州都でもある都市で、中世からバイエルン公国の都として栄えてきました。その後、ドイツの対抗宗教改革やルネサンス芸術の中心地として栄えます。第二次世界大戦時にはアメリカに占領されるなどの事態に見舞われるものの、現在では情報技術やバイオテクノロジー、出版などで高いレベルをもつ都市となっています。

そんなミュンヘンにあるアルテ・ピナコテークは、バイエルン王家であるヴィッテルスバッハの収蔵品を展示する目的で作られました。ヴィッテルスバッハ家は、1180年にオットー1世がバイエルン公となって以来、1918年まで740年に渡ってバイエルンを治めてきた一族であり、バイエルン公はもちろんブランデンブルグ辺境伯やハンガリー王、スウェーデン王も輩出してきました。

そんなヴィッテルスバッハ家の美術コレクションのはじまりは、16世紀前半にさかのぼります。1527年ごろ、バイエルン大公ヴィルヘルム4世はミュンヘンの王宮を飾るための歴史画の制作を依頼しました。これらの作品からコレクションが生まれていったのです。その際アルトドルファーといった著名な画家たちが制作にあたり、《アレクサンドロス大王の戦い》をはじめとした名作が生み出されました。以降、歴代の君主たちはコレクションの形成に力を入れていきます。そして19世紀にルートヴィッヒ1世がイタリア絵画を多数コレクションに加えたことによって、新たにコレクションを収蔵・展示する場所が必要になりました。そこでルートヴィッヒ1世は宮廷建築家レオ・フォン・クレンツェにその設計を命じ、1936年にアルテ・ピナコテークが開館したのです。建物自体は第二次世界大戦で被害を受けたものの、1957年には再開しています。

参考サイト:wikipedia ミュンヘンアルテ・ピナコテーク

■アルテ・ピナコテークのコレクション

アルテ・ピナコテークでは、中世からバロック期にかけての作品を所蔵しています。その中にはホルバインやクラーナハ、デューラーなどのドイツ絵画、ルーベンス、ブリューゲルといったフランドル絵画が所蔵されています。加えて、フランスやスペイン、イタリア絵画の傑作も見ることができます。そんなアルテ・ピナコテークコレクションの主要な作品をご紹介します。

(Public Domain /‘Alexanderschlacht’by Albrecht Altdorfer. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

・《アレクサンダー大王の戦い》1529年アルブレヒト・アルトドルファー

本作品は1529年にアルブレヒト・アルトドルファーによって描かれた作品です。

アルトドルファーは、1480年ごろにドイツ東南部のレーゲンスブルクに生まれた画家です。父親のウルリヒも画家であり、写本挿絵の仕事を手掛けていたことが分かっています。1491年に北方のアンベルクに移住。1505年には生まれ故郷であるレーゲンスブルグで親方として登録し、1515年には神聖ローマ帝国マクシミリアン1世の命令で《マクシミリアン祈祷書》を制作するなど、旧王侯貴族からの依頼を受けるようになっていきます。
《アレクサンダー大王の戦い》もそのうちの一つで、ヴィルヘルム4世からの依頼で制作されたました。膨大な数の人物が緻密に描かれており、本作に取り組んでいる間は他の仕事を引き受ける余裕がなかったといわれています。

描かれているのは、紀元前333年にアレクサンダー大王がペルシア王ダレイオス3世を破った戦いで、太陽と壮大な大気の流れ、海、島、森といった自然が描かれています。アルトドルファーは風景画家としても名を馳せており、その表現力の高さをうかがい知ることができる作品になっています。また、下部にはアレクサンダー大王とダレイオス3世の軍隊が列をなしており、兵士たちの数は数えきれないほどです。この戦いがどれほど壮大なものであったのかが想像できるでしょう。

参考サイト:wikipedia アルブレヒト・アルトドルファーアレクサンダー大王の戦い

・《ポンパドゥール公爵夫人》1756年フランソワ・ブーシェ

本作品は、フランス・ロココ時代に活躍したフランソワ・ブーシェが、ルイ15世の公妾となったポンパドゥール公爵夫人をモデルに描いた作品です。

フランソワ・ブーシェは1703年に、フランスのパリに生まれた画家です。父親の二コラ・ブーシェは聖ルカアカデミーに所属する画家であり、ブーシェは幼いころから芸術に接する機会の多い環境で育ちました。そのためか、ブーシェも画家を目指すようになっていきます。1723年に若手画家たちの登竜門であるローマ賞を受賞し、イタリアへ留学。ローマ賞受賞者には国費でイタリア留学が約束されていたものの、さまざまな事情があって国費での留学は叶わず、私費での留学でした。

1737年になると、35歳で王立科学彫刻アカデミーの教授となり、絵画や陶器、タピスリーにいたるまであらゆるジャンルの制作に励むようになっていきます。また、1749年にはポンパドゥール夫人の家庭教師となり、夫人に気に入られたことによってルイ15世の信頼も得ることができました。このような経緯で、ブーシェは王侯貴族たちの依頼を受けるようになっていきました。

本作品は、その美貌でルイ15世の公妾となったポンパドゥール夫人を描いたもので、作中では緑の豪奢なドレスに身を包み、その顔はまるで少女のように描かれています。
ポンパドゥール夫人は美貌ばかりではなく、学芸的な才能にも恵まれており、サロンを開いてはヴォルテールやディドロといった思想家たちと語り合っていました。湯水のように金を使ってはあちこちに邸宅を建て、政治に関心の薄かったルイ15世に代わって権威をふるうなど、忌み嫌われた要素も多かったものの、芸術の庇護者として力を発揮していたことでも知られています。ブーシェはそんなポンパドゥール夫人を表現しようとしたと考えられています。

参考サイト:wikipedia フランソワ・ブーシェポンパドゥール夫人

■おわりに

アルテ・ピナコテークは、ヴィッテルスバッハ家のコレクションを核としてヨーロッパ絵画史に残る傑作を所蔵する美術館であり、そのコレクションの質は世界有数といえます。ミュンヘンを訪れた折には、ぜひ足を延ばしてみてください。

公式:https://www.pinakothek

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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