カーディフ国立博物館:自然科学から芸術作品まで多様なコレクションを誇る博物館

カーディフ国立博物館はウェールズのカーディフにある博物館で、1912年に開館しました。自然科学から芸術作品まで幅広い分野の品々を所蔵していることで知られており、ウェールズを代表する博物館のひとつです。そんなカーディフ国立博物館の歴史とコレクションについて詳しく解説していきます。

■カーディフ国立博物館とは

カーディフ国立博物館は、1912年に開館したウェールズのカーディフにある博物館です。カーディフはウェールズの首都であり、ロンドンからは約250kmの距離にあります。もともとはローマ人が砦を築いた地ですが、産業革命以降はカーディフ港が石炭の積み出しで用いられたことにより、産業都市として大きく発展しました。1955年にはウェールズの首都となっており、これはヨーロッパでもっとも新しい首都にあたります。

そんなカーディフ国立博物館の美術品の基礎となったのは、鉄道業で裕福になったディビッド・デーヴィスの孫娘グウェンドリンとマーガレットのコレクションです。グウェンドリンとマーガレットはデーヴィスの一人息子エドワードの元に生まれ、ヘンドンのハイフィールド・スクールで教育を受けたのち、ヨーロッパ中を旅するようになります。
姉妹は芸術作品に大きな関心を示しており、その旅中で特に印象派や後期印象派の作品を多数購入していきました。また、そのコレクションのなかにはジョセフ・ハーマンやオスカーココシュカ、オーガスタス・ジョンといった、20世紀を代表する芸術家たちの作品も含まれていました。
その後グウェンドリンが1951年に、マーガレットが1963年に亡くなったため、1953年と1961年にウェールズ国立博物館へ彼女らのコレクションが遺贈されることとなります。姉妹のコレクションは「20世紀の偉大な英国美術コレクションのひとつ」と呼ばれるようになっていきました。

参考サイト:wikipedia カーディフGwendolineDavies

■カーディフ国立博物館のコレクション

カーディフ国立博物館のコレクションは、考古学や植物学、地質学、動物学に関するものと、美術作品です。特にデーヴィス姉妹が遺贈した25点の絵画から始まった美術コレクションは、現在2000点にも及んでおり、中世から現代にいたるまでの充実したものとなっています。

そんなカーディフ国立博物館の主要な作品をご紹介します。

・《ラ・パリジェンヌ》1874年ピエール・オーギュスト・ルノワール

本作品は1874年に、印象派の巨匠ピエール・オーギュスト・ルノワールによって描かれた作品です。

ピエール=オーギュスト・ルノワールは1841年、フランス中南部のオート=ヴィエンヌ県リモージュで生まれた画家です。ルノワールは幼いころから絵に関心を持っており、磁器工場で見習いとして働いていたものの、ルーブル美術館で巨匠たちの作品を目にすると、徐々に芸術家になることを志すようになっていきました。そうして1862年にはエコール・デ・ボザールに入学。このころシャルル・グレールの画塾でも学んでおり、アルフレッド・シスレー、フレデリック・バジール、クロード・モネなど後の印象派画家たちと知り合っています。

1863年からはパリのサロンに応募。最初こそ落選したものの、1864年のサロンからは入選するようになり、ルノワールの名前はパリの芸術界にゆっくりではあるものの知れ渡るようになっていきました。普仏戦争の際は第10騎兵部隊に配属され、一時は赤痢で命が危ぶまれるほどであったものの、奇跡的に回復してパリに戻ります。パリ・コミューンの混乱が落ち着いたのち、1874年には第一回印象派展を開催し、「光の画家」と呼ばれる所以となる美しいタッチの作品を数多く制作していきました。

本作品は1874年の第1回印象派展にルノワールが出品した7点の作品のうちの一つで、「青のレディ」という名前でも知られています。作中では深い青のロングドレスに身を包んだ若い女性が、手袋をはめながらこちらに視線を送っています。

当初絵の左には戸口が、右上にはカーテンが描かれていたものの、展覧会の直前になってルノワールはそれらを塗りつぶしてしまいます。そのため中央に描かれた女性は何もない空間に浮かんでいるかのような表現になっています。

本作品のモデルを務めたのは16歳のアンリエット・アンリオで、のちにオデオン座のスターとなる人物です。印象派展が行われた翌年、本作品は印象派の熱烈な支持者であったアンリ・ルオーによって1500フランで落札され、その後デーヴィス姉妹のコレクションに加わることとなります。

参考サイト:wikipedia ピエール=オーギュスト・ルノワールLaParisienne(Renoir_painting)

(Public Domain /‘San Giorgio Maggiore at Dusk’by Claude Monet. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

・《夕暮れのサン・ジョルジョ・マッジョーレ島》1908年-1912年クロード・モネ

本作品は1908年から1912年に、印象派の巨匠クロード・モネによって描かれた作品です。

モネは1840年フランス、パリで生まれた画家です。18歳になると風景画家のウジェーヌ・ブーダンと知り合い、戸外での油絵制作の技術を学んで本格的に画家を目指すようになります。1859年にパリに出てアカデミー・シェイスで学ぶようになると、ピサロ、シスレー、バジール、ルノワールといった画家とも知り合うようになっていました。1865年にはサロンに初入選するものの、1869年と1870年のサロンでは落選。普仏戦争の影響で一時期ロンドンに渡るものの、戦後はアルジャントゥイユにアトリエを構え、1874年には第1回印象派展に《印象・日の出》を出品。当時のフランス社会からの反響は散々なものでしたが、展覧会を重ねるにつれて徐々に認められるようになっていきました。晩年はポワシーに移り住み、白内障に苦しめられながらも制作活動を続け、1926年に86歳の生涯を閉じることとなります。

本作品は1908年モネがヴェネツィアに滞在した際に制作した作品です。モネはヴェネツィアについて「あまりに美しすぎて描くことができない」と評しており、ヴェネツィア滞在の折に制作した作品はその多くが未完成のままジヴェルニーの自宅に持ち帰られています。

本作品ではサン・ジョルジョ・マッジョーレ島の景観を描いており、日没の神々しい光が印象的に描かれています。また、右上にはサンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂およびグランカナルの入り口が微かに描かれています。こうした夕日を描くスタイルは、1890年代に描かれた《ルーアン大聖堂》や《積みわら》にも見られ、モネが生涯テーマとした事象といえるでしょう。

参考サイト:wikipedia SanGiorgioMaggioreatDuskクロード・モネ

■おわりに

カーディフ国立博物館は、自然科学から芸術作品まで多様なコレクションを形成しています。ウェールズを訪れた際には、ぜひ足を延ばしてみてくだい。

公式HP

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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