ノイエ・ピナコテーク:18世紀半ばから20世紀かけての作品を所蔵している美術館

ノイエ・ピナコテークはドイツのミュンヘンにある美術館で、1853年に開館しました。同じくミュンヘンにあるアルテ・ピナコテークに対して、ノイエ・ピナコテークは開館当時の現代絵画を収蔵するために建てられた美術館であり、18世紀半ばから20世紀の作品を所蔵しています。そんなノイエ・ピナコテークの歴史とコレクションについて詳しく解説していきます。

ノイエ・ピナコテークとは

ノイエ・ピナコテークはドイツのミュンヘンにある美術館で、1853年に開館しました。ミュンヘンはバイエルン州最大の都市であり州都でもある都市で、中世からバイエルン公国の都として栄えてきました。その後ドイツの対抗宗教改革やルネサンス芸術の中心地として栄えたものの、第二次世界大戦ではアメリカに占領されてしまいます。しかし現在は情報技術やバイオテクノロジー、出版などで高い水準を持つことで知られており、世界中から注目が集まる都市の一つでもあります。

そんなノイエ・ピナコテークは同じくミュンヘンにある、中世やバロックの作品中心のアルテ・ピナコテークに対して、開館当時の現代絵画を収蔵するために建てられた美術館です。1853年にバイエルン国王ルートヴィッヒ1世によって設立されました。ルートヴィッヒ1世はバイエルン王国の第2代国王であり、芸術を奨励する一方、工業化を薦めて蒸気動力鉄道であるパヴィリアン・ルートヴィッヒ鉄道を敷設したことでも知られています。

イエ・ピナコテークは、アルテ・ピナコテークとピナコテーク・デア・モデルネとともにバイエルンの一大コレクションを形成する美術館の一つであり、世界中からアートファンが訪れる地となっています。

参考サイト:wikipedia ミュンヘン、ノイエ・ピナコテーク、ルートヴィヒ1世(バイエルン王)、閲覧2021年3月1日

ミュンヘン

ノイエ・ピナコテーク

ルートヴィヒ1世_(バイエルン王)

ノイエ・ピナコテークのコレクション

ノイエ・ピナコテークのコレクションは、ドイツ・ロマン派などのドイツ近代絵画中心のコレクションで、18世紀から20世紀にかけての5,000点ほどを所蔵しています。そのほかにも、モネやセザンヌ、ルノワールやゴーギャンといった印象派や後期印象派の作品を所蔵していることで知られています。
そんなノイエ・ピナコテークのコレクションには、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な作品をご紹介します。

(Public Domain /‘Vase with Twelve Sunflowers’by Vincent Willem van Gogh. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

《ひまわり》1888年フィンセント・ファン・ゴッホ

本作品はフィンセント・ファン・ゴッホの代表作ともいえる、ひまわりを描いた作品です。

本作品を描いたフィンセント・ファン・ゴッホは、1853年オランダ南部の北ブラバント州、ズンデルトに生まれた画家です。1869年16歳の時に、叔父に紹介してもらった美術商であるグーピル商会で働くようになったものの、下宿先の娘への恋に破れたことをきっかけとして宗教に関心を抱くようになり、聖職者を志すようになります。1877年にはアムステルダムの著名な神学者であったヨハネス・ストリッケルのもとに身を寄せたものの、アムステルダム大学神学部への入学には失敗。聖職者になる道も閉ざされてしまい、ゴッホは苦境にたされました。

しかし1885年に《ジャガイモを食べる人々》を発表したことで、パリの画商たちから関心を持たれるようになり、ゴッホは聖職者の道を捨て画家になることを志します。ただ全て順調というわけではなく、芸術家のコミュニティを作るべくアルルに滞在し、ポール・ゴーギャンと共同生活を送った際には、二人の関係が徐々に悪化して自らの耳を切り落とす「耳切り事件」を起こすなど、かなり激しい人生です。ゴッホの精神状態はそれからますます悪化していき、1890年には37歳の若さで亡くなっています。

本作品はそんなゴッホが描いた作品のひとつで、現存する6点の《ひまわり》のうちのひとつです。ゴッホにとってひまわりは南仏の太陽、そしてユートピアを象徴しているといわれています。

ノイエ・ピナコテークに所蔵されている《ひまわり》はそうした連作の3番目の作品といわれる作品で、水色の背景に12本のひまわりが描かれています。ひまわりはそれぞれ自然のままに行けられており、生命力あふれた姿を見せています。

参考サイト:wikipedia フィンセント・ファン・ゴッホ、ひまわり(絵画)、閲覧2021年3月1日

フィンセント・ファン・ゴッホ

ひまわり_(絵画)

(Public Domain /‘Playing in the Waves’by Arnold Böcklin. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

《波間のたわむれ》1883年アルノルト・ベックリン

本作品は1883年にアルノルト・ベックリンによって描かれた作品で、ギリシア神話の神トリトンを描いたと考えられています。

アルノルト・ベックリンは1827年スイスのバーゼルに生まれた画家です。ベックリンはデュッセルドルフ大学に入学し、画家のヨハン・ウィルヘルム・シルマーの下で学んでいますが、その際シルマーはベックリンの才能を見抜き、アントワープやブリュッセルでフラマン絵画やオランダ黄金時代の絵画作品を模倣するように薦めます。師の見立て通り、ベックリンにとって模写は画家としての才能を高める手段の一つでした。パリではルーブル美術館の巨匠たちの作品を模写し、風景画を描くなどして名をあげていきます。

ベックリンは兵役を終えたのち、1850年からはローマに滞在。その後はミュンヘンやバーゼル、フィレンツェなどヨーロッパ各地を転々とし、新しい表現を模索していきました。その後1901年にイタリアのフィエゾーレで73歳の生涯を閉じています。

参考サイト:wikipedia ArnoldBöcklin、閲覧2021年3月1日

Arnold_Böcklin

(Public Domain /‘Die Sünde’by Franz von Stuck. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

《罪》1893年フランツ・フォン・シュトゥック

本作品はミュンヘン分離派の創始者のひとりであるフランツ・フォン・シュトゥックの作品で、旧約聖書のイヴが描かれています。

フランツ・フォン・シュトゥックは1863年バッサウ近くのテッテンヴァイスに生まれた画家で、幼いころから芸術に関心を寄せ、1881年から1885年まではミュンヘン・アカデミーで学びました。ミュンヘン・アカデミーの教授としてパウル・クレーやワシリー・カンディンスキーなどの弟子たちを輩出したことでも知られており、教育者としてもすぐれた人物であったと言えるでしょう。

本作はいくつかのバージョンがあり、ノイエ・ピナコテークのほかベルリンのナショナルギャラリーやシアトルのフライ美術館など、世界各地で見ることができます。

参考サイト:wikipedia Franz Stuck、The Sin(painting)、閲覧2021年3月1日

Franz_Stuck

he_Sin_(painting)

おわりに

ノイエ・ピナコテークは18世紀半ばから20世紀にかけての作品を所蔵する美術館であり、バイエルンの美術コレクションを形成する美術館の一つでもあります。ミュンヘンを訪れた折には、ぜひ足を延ばしてみてください。

公式

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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