フォルクヴァンク美術館:第二次世界大戦を潜り抜けた近代美術コレクションを所蔵する美術館

フォルクヴァンク美術館はドイツのノルトライン=ヴェストファーレン州エッセンにある美術館で、1922年に創設されました。近代美術の傑作が所蔵されていることで知られています。ナチス政権下では所蔵されていた作品が退廃芸術と見なされ、海外に売却されたり焼却されたりするなどの憂き目にあうものの、1960年に再開館しました。そんなフォルクヴァンク美術館の歴史とコレクションについて詳しく解説していきます。

フォルクヴァンク美術館とは

フォルクヴァンク美術館はドイツのノルトライン=ヴェストファーレン州エッセンにある美術館です。エッセンは人口約58万人の都市で、かつてはルール工業地帯として鉄と石炭鉱業によって繁栄しました。その後エネルギーが石油にとって代わると徐々に人口が減少していきましたが、最盛期の産業遺産であるツォルフェアアイン石炭業遺産群はユネスコ世界遺産に登録され、2010年には欧州文化首都に選ばれています。

そんなエッセンにあるフォルクヴァンク美術館は、1922年に開館しました。もともとはハーゲンの美術コレクターであるカール・エルンスト・オストハウスの個人美術館でしたが、オストハウスが亡くなった翌年の1922年にエッセンの市立美術館と併合することになり、現在のフォルクヴァンク美術館となりました。「フォルクヴァンク」という名前は北欧神話における美と愛、豊穣と戦争を司る女神フレイヤが住まう宮殿の名前からとったものであり、オストハウスの理念を表しています。

フォルクヴァンク美術館では、ドイツロマン主義をはじめとするドイツ近代美術の作品を中心に収集していましたが、ナチス政権下ではそうした作品は退廃芸術と見なされてしまいます。ナチスは歴史や伝説を描く、古典主義的かつ写実的なものを好ましいものとしており、こうした作品を集めて「大ドイツ芸術展」を開催し、公認美術として宣伝していました。その一方で近代美術は、ユダヤ人やスラブ人といった「東方の人種的に劣った血統」の芸術家たちが描いた有害な作品であるとし、「退廃芸術展」に出品されさらしものにしていました。

フォルクヴァンク美術館のコレクションはそうした近代美術の作品で構成されていたため、ドイツ国内の美術館の中でもかなりの被害を受けることとなりました。退廃芸術とされて押収されたのは1400点以上に及び、海外に売却されるか焼却されてしまったため、美術館のコレクションは壊滅的な被害を受けました。また第二次世界大戦の際には、美術館の建物自体も空襲の被害を受けたため一時閉館しています。1960年にようやく再開のめどが立ち、1970年代にはコレクションの規模が以前よりも大きくなりました。そうした意味では第二次世界大戦を潜り抜けた、歴史の生き証人ともいえるでしょう。

フォルクヴァンク美術館

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フォルクヴァンク美術館のコレクション

フォルクヴァンク美術館のコレクションはフィンセント・ファン・ゴッホをはじめとするポスト印象派やエルンスト・ルートヴィッヒ・キルヒナー、パウラ・モーダーゾーン=ベッカーら表現主義の作品、そしてカスパ―・ダーヴィト・フリードリヒらのドイツロマン主義の作品を中心としたものになっています。加えて19世紀美術のコレクションや彫刻、1979年に開設された写真のコレクションも所蔵しており、世界的にも充実したコレクションを誇っています。

そんなフォルクヴァンク美術館のコレクションには、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な作品をご紹介します。

《海辺の城》1859年アルノルト・ベックリン

本作品は1859年に制作された作品で、象徴主義の画家アルノルト・ベックリンによって制作された作品です。

8:53-『海辺の城』

ベックリンは1827年スイスのバーゼルに生まれました。デュッセルドルフ大学に入学し、画家のヨハン・ウィルヘルム・シルマーの下で学んだのち、アントワープやブリュッセルでフラマン絵画やオランダ黄金時代の絵画を模写し、画家としての修業を積んでいきました。その後兵役を終えたベックリンは1850年からローマに向かい、遺跡やルネサンスの巨匠たちの作品を目にし、大きな衝撃を受けます。1856年からは古代神話を主題にした作品を制作し、徐々に象徴主義の画家として注目を集めるようになっていきました。

(Public Domain /‘Self-portrait with fiddling Death’by Arnold Böcklin. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

本作品はそんなベックリンによって制作された作品で、30年以上描かれた邸宅シリーズのひとつです。奥に描かれている城に下にある海辺では二人の男性が船に手をかけており、一人の女性がその船に向かって駆けよっている場面が描かれています。空は陽が落ちる一瞬のドラマチックな色彩を表現していますが、これは少し前に描いた自身の絵画を再構成し、再編集したものです。

《恋人たち》1929年イヴ・タンギー

本作品は1929年に制作された作品で、シュルレアリスムの画家イヴ・タンギーによって描かれた作品です。

1:55-『恋人たち』

タンギーは1900年、フランス・パリのコンコルド広場で生まれました。両親はブルトン人のルーツを持っており、父親は軍事監督官として務めていました。しかし、父親は1908年に亡くなっており、その後タンギーは親戚の家を母と共に転々としながら青年期を過ごします。1918年には海軍に入隊しますが、1922年に兵役を終えるとパリに戻り、さまざまな職を転々としますが、そんな折ギャラリーで偶然見かけたジョルジュ・デ・キリコの作品に衝撃と感銘を受け、画家になることを決意します。

1924年ごろからアンドレ・ブルトンをはじめとしたシュルレアリストたちのグループに混ざるようになり、1927年にはパリで初の個展を開催します。やがてアメリカに移住すると、タンギーの絵はニューヨークで前衛的な作品としてパリ時代とは比べ物にならないほどの評価を受けました。著名な批評家が次々にタンギーの絵を評価し、シュルレアリスムの寵児としてアメリカのアートシーンに受け入れられていきます。

その後、第二次世界大戦が終戦を迎えるとともにコネチカット州のウッドベリーに家を構え、そこをアトリエとして数々の作品を生み出していきました。そして1955年に脳卒中で倒れ亡くなります。遺灰は遺言に記された通り、友人のピエール・マティスによって妻セージの遺灰と共に故郷のドゥアルヌネ海岸にまかれました。

タンギー作品の特長はアメーバや海洋生物のようなかたちをした不定形の物体が描かれていることで、本作品でもそうした言葉では表現できない物体が描かれています。紫と灰の底から次第に明るくなっていく緑の色調の表面には、ペアになった非定形の形が積み重なっています。広がった色のグラデーションと幻想的な色使いは、水中世界を想起させる作品です。

(Public Domain /‘Woman before the Rising Sun (Woman before the Setting Sun)’by Caspar David Friedrich. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

《日の出前の女性》1818年-1820年カスパ・ダーヴィト・フリードリヒ

本作品は1818年から1820年に制作された作品で、ドイツロマン主義の巨匠カスパー・ダーヴィト・フリードリヒによって描かれた作品です。

フリードリヒはスウェーデン領ポメラニアに生まれ、グライフスヴァルト大学とコペンハーゲン・アカデミーで学んだ後、ドレスデンに移住。象徴的かつ瞑想的とも評される画風で一世を風靡し、ドイツを代表する画家となりました。1816年にはドレスデン・アカデミーの会員となりますが、1835年に脳卒中で倒れ、次第に忘れられた存在となってしまいます。

本作品は日の出を前にした後ろ姿の女性を描いた作品で、モデルは妻カロリーネ・ボマーであるといわれています。その雄大な自然と女性のポーズにはさまざまな解釈があり、現在もなお研究が続けられています。こちらに後ろ姿を見せている女性は、赤みを帯びた黄色い空の中に大きなシルエットとして浮かび上がっています。伸ばした腕の印象的なポーズと、霞んだ地平線上の山々から放たれている光線は、太陽の存在を仄めかしていますが、その太陽が朝日なのか夕日なのかは未だ定かではありません。

カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ1

カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ2

おわりに

フォルクヴァンク美術館は第二次世界大戦を潜り抜け、充実したコレクションを展開する、まさに歴史の生き証人となった美術館です。エッセンを訪れた際には、ぜひ足を延ばしてみてはいかがでしょうか。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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