絵画館:ベルリン美術館を構成する美術館の一つ

絵画館とは

絵画館とは絵画館はドイツのベルリンにある美術館で、1830年に開館しました。ベルリンはドイツ北東部にあるベルリン・ブランデンブルク大都市圏地域の中心に位置する都市であり、ドイツの首都に定められています。第二次世界大戦の折にはベルリンの壁によって東ドイツと西ドイツに分割統治されたものの、1990年には再統一され、現在では文化や政治、科学の分野で世界的にも高く評価される都市として国際的に注目されています。

そんなベルリンにある絵画館はベルリン美術館を構成する美術館の一つで、ポツダム広場の西、ティア―ガルテン地域の文化フォーラム内に位置しています。絵画館の前身はベルリン王宮王室ギャラリーであるため、ブランデンブルク選帝侯フリードリヒ・ヴィルヘルムとプロイセン王フリードリヒ2世のコレクションが、絵画館の基礎となりました。
グスタフ・フリードリヒ・ワーゲン、ヴィルヘルム・フォン・ボーデンといった、著名な美術史家たちがキュレーターを担当したことで絵画館は充実していき、国際的な地位も高まっていきました。

第二次世界大戦中は所蔵されていたコレクションの多くが国内に分散して保管されていたため失われることはなかったものの、終戦後に防空壕の火災が発生し400以上の美術品が失われてしまいました。また、数百点の絵画作品がアメリカやソ連に没収されています。残されたコレクションは、冷戦によって東西ドイツで分割され、東ベルリンではボーデ博物館に、西ベルリンではダーレムに収蔵されていました。その後ドイツ再統一によって再度一つのコレクションとなり、絵画館で展示されることとなりました。

公式

絵画館のコレクション

絵画館のコレクションは13世紀から18世紀のヨーロッパ諸国の芸術作品を中心としたコレクションとなっており、その質の高さは世界有数です。コレクションにはアルブレヒト・デューラーやルーカス・クラナッハ、ヤン・ファン・エイクやカラヴァッジョといった巨匠たちの作品が含まれており、ドイツやイタリア、ネーデルランドといったヨーロッパ諸国の芸術作品を鑑賞することができます。

そんな絵画館のコレクションには、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な作品をご紹介します。

《教会の聖母子》1438-1440年ごろヤン・ファン・エイク

本作品は1438-1440年ごろに、初期フランドル派の画家の中でもっとも重要視されている画家ヤン・ファン・エイクによって描かれた作品です。

ヤン・ファン・エイクの幼少期のころに関しては、史料が少なく誕生日や生誕地についてもはっきりしたことはわかっていません。ただバイエルン公ヨハン3世の宮廷において1人から2人の助手を持つ宮廷画家であったということが分かっており、その後はブルゴーニュ公フィリップ3世の宮廷に迎えられ宮廷画家として活躍したことが分かっています。フィリップ3世は当時ヨーロッパにおける有数の権力者であり、ファン・エイクはその庇護の下制作に没頭することができました。ファン・エイクは当初リールに居を構えたものの、一年後にはブルッヘヘに居を移し、1441年に亡くなるまで同地で過ごしたことが分かっています。

そんなファン・エイクによって描かれた本作品はオーク板に油彩で描かれた板絵で、教会の中で幼子イエスを抱く聖母マリアを描いた作品です。教会はその形状からゴシック様式のものと考えられ、聖母は貴石をちりばめた冠を戴いており、天界の女王として描かれています。

背景に描かれた身廊に目を向けると、アーチ状の飾り格子にはマリアの生涯を表した木製彫刻が描かれており、同じようなポーズで幼子イエスを抱くマリアの彫刻が置かれているのがわかります。こうした表現に関して、ドイツ人美術史家エルヴィン・パノフスキーは、背景の彫刻から聖母マリアと幼子イエスが抜け出してきたかのように表現したのではないかと考察しています。

(Public Domain /‘Young Woman with a Pearl Necklace’by Johannes Vermeer(Jan van der Meer van Delft). Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

《真珠の首飾りの女》1662-1665年頃ヨハネス・フェルメール

本作品は1662-1665年頃にネーデルランドを代表する画家、ヨハネス・フェルメールによって描かれた作品です。

フェルメールは1632年ネーデルランドのデルフトに生まれた画家です。父親は絹織物の職人ですが、他にもパブと宿屋の経営、さらに画商としても活躍していました。フェルメールはいまだに謎の多い画家で、誰に師事し、どのような修行を積んだのかはっきりしていません。しかし画家中心のギルドである聖ルカ組合に、画商として登録していた父親に影響をうけたために画家を志した可能性は高いといえるでしょう。

1652年に父親が亡くなったため、家業であったパブや画商としての仕事を引き継ぎ、生計を立てるようになります。1653年には身分の高い家柄の出身であったカタリーナ・ボルネスと結婚。その後フェルメールは1653年に聖ルカ組合に親方として登録。画家としての一歩を踏み出すことになります。義母であったマリアが大変裕福であったため、純金と並ぶほど高価であったウルトラマリンを惜しげもなく絵に用いることができました。その後もパトロンに恵まれ、寡作であっても生計を立てることができました。

しかしネーデルランドがフランス軍による侵攻を受けると内政は混乱し、作品の依頼をする市民はほとんどいないという状態になってしまいます。フェルメールは抱えていた負債を解消するべく尽力したものの、1675年にはデルフトで亡くなり42歳という短い生涯を閉じることになります。

本作品はフェルメール作品によく見られる、室内や家庭の中で女性の姿が描かれています。中でもこの絵画のモデルは黄色の毛皮をあしらったコートに身を包んでいることから、おそらく上流階級の若いオランダ女性だと考えられています。

(Public Domain / ‘Brieflezende vrouw’by ohannes Vermeer, ca. 1663. Image viaRijksmuseum Amsterdam )

ドレープのかかったカーテン、壁に額装された絵、左からの光源、家事道具、表情豊かな横顔など、フェルメールの独特な作風が所々取り入れられています。また、女性の表情も特徴的です。彼女は朝の日課を終え、真珠のネックレスを身につけているところです。彼女は、目の前の窓の外かその隣の黒枠の鏡の中か、どちらかをぼんやりとした表情で見つめています。

おわりに

絵画館はベルリン美術館を構成する美術館の一つであり、13世紀から18世紀のヨーロッパ諸国の芸術作品を所蔵しています。第二次世界大戦の折にはコレクションは東ドイツと西ドイツに分割され、一部の作品は失われることもあったものの、現在ではヨーロッパ有数の充実したコレクションを持つ美術館となっています。こうした歴史的経緯からすると、絵画館は統一ドイツの象徴とも言えるでしょう。

ポツダム広場通り

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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