ウフィツィ美術館:メディチ家の最高峰コレクション美術館

ウフィツィ美術館は、2500点もの収蔵品を要する世界最高峰の美術館です。かつてこの地で栄えていたメディチ家のコレクションを所蔵しています。世界遺産に登録されているフィレンツェ歴史地区の一部として認定されており、世界有数の観光地としても知られています。イタリアルネサンスを支えた巨匠達の作品だけでなく、古代ローマ時代や古代ギリシャ時代の彫刻も展示されており、質量共に最高の芸術を味わう事が出来ます。

フィレンツェの街並み

ウフィツィ美術館とは

ウフィツィ美術館は、世界遺産にも登録されているフィレンツェ歴史地区にあります。フィレンツェ歴史地区は、町並みその物がルネサンス文化によって形成されており、町全体が芸術品のような景観です。本美術館はレオナルド・ダヴィンチやミケランジェロと言った巨匠達の作品を中心に、2500点もの収蔵品を展示しています。チケットは、世界中で購入する事が出来ます。当日券もありますが、かなりの行列を覚悟する必要があるでしょう。

収蔵品の多くは、かつてこの地で絶大な権勢を誇っていたメディチ家によって集められたものです。メディチ家最後の継承者とも言えるアンナ・マリーアの、メディチ家のコレクションをフィレンツェで人々に公開したいという思いから、当時のトスカーナ政府へ美術品が寄贈されました。メディチ家は元々大富豪ながら、さらにその権威を成長させ、最終的にはトスカーナ大公国の君主にまで登り詰めた一族です。芸術家のパトロンとしても名をはせ、ルネサンス文化を支えた立役者とも言えます。メディチ家なくしてルネサンス文化、ひいてはフィレンツェの繁栄は無かったと言っても過言ではありません。

ウフィツィ美術館

果たしてどのような作品が収蔵されているのでしょうか?早速見て行きましょう。

(Public Domain /‘The Birth of Venus’by Sandro Botticelli. Image viaWIKIMEDIACOMMONS)〈ヴィーナスの誕生〉1485年頃サンドロ・ボッティチェッリ

こちらは世界的にも有名なボッティチェッリの代表作の一つでもあります。
ボッティチェッリはフィレンツェ派に属し、初期ルネサンスにおいて最も功績を残したと言っても良い存在です。彼はメディチ家の保護を受ける事で絵画活動をしており、宗教画を始めとして神話画なども多く残しました。1492年にメディチ家当主のロレンツォが亡くなると、当時発言力を高めていた修道士サヴォナローラの影響から、神秘主義的な宗教画を描くようになります。しかし、1500年頃から彼の作品の評判は芳しくなくなり、制作活動を一旦止めるに至ります。

ヴィーナスの誕生は、ギリシア神話にある女神ヴィーナスの誕生の様を表しています。ロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコの別邸に飾る為に発注された物とされています。このヴィーナスは、メディチ家の愛人であったシモネッタ・カッタネオ・ヴェスプッチをモデルとした作品と言われており、肺結核で若くして亡くなってしまいましたが大変美しい女性であったようです。ボッティチェッリも彼女の美しさにひかれたのか、彼女の肖像画を残しており、他の画家達も競うように彼女を描きました。

(Public Domain /‘Profile portrait of a young woman, probably Simonetta’by Sandro Botticelli. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

ただ、作成当時この絵は異教徒的と見なされ、必ずしも世論に受け入れられた訳ではありませんでした。異教徒的と見なされた多くの作品が焼却されていましたが、メディチ家と懇意にしていたおかけでこの絵は何とか焼かれず、今日まで残る事が出来たのでした。

ボッティチェッリは、当時主流とされた描き方と異なる独自の描き方を推進して名声を得るようになりました。しかしその後400年ほどの間、彼の名前はヨーロッパの芸術界隈から忘れられた存在となってしまうのでした。

(Public Domain /‘The Duke and Duchess of Urbino’by Piero della Francesca. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)〈ウルビーノ公爵夫妻の肖像〉ピエロ・デラ・フランチェスカ

こちらは、ピエロ・デラ・フランチェスカの代表作です。正確な著作年は不明です。

フランチェスカは数学や幾何学を研究した芸術家として知られ、事実、「算術論」「遠近法論」「五正多面体論」という著作も発表しています。彼の画法は現代芸術の礎とも言え、明るく鮮やかな色を使い、単純な形で人間や樹木の描写をします。パネル画では大いにその特性が生かされています。

ウルビーノ公爵夫妻の肖像画のはっきりとした制作年は不明。妻であるバッティスタ・スフォルツァは1472年に亡くなっており、彼女の肖像画は彼女の死後に描かれた物と考えられています。近代の研究により、夫の方は後から衣服の部分が書き足されたと判明しており、当初は裸体だったようです。

ウルビーノの宮殿に飾られていたようですが、公爵家最後の継承者ヴィットリア・デッラ・ローヴェレがメディチ家に嫁入りすることになった際、持参金の一部として持ち込み、コレクションに加えられたと思われます。

独自の画風で名声を得たフランチェスカでしたが、晩年は視力を失ったと言われています。しかし、その頃特に研究活動に力を入れ、数学者として活躍するようになりました。著作の三冊は、全て晩年に出版した物です。

フランチェスカ

(Public Domain /‘Tondo Doni’by Michelangelo. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)〈聖家族〉1505-1506ミケランジェロ

こちらは、1505-1506年に作成されたミケランジェロのパネル画です。

ミケランジェロは、彫刻家、詩人、建築家といった様々な顔を持ち、幅広い側面から芸術に携わった人物です。そのたぐいまれな才能から、万能の人と称えられる程でした。また、ミケランジェロは書簡やスケッチも残しており、芸術への心意気を現在へ正確に伝えてくれます。多くの記録が残っている事から今日まで様々な研究がなされており、現代において最も身近な巨匠とも言えます。

聖家族は、キリストや聖母マリア、洗礼者ヨハネを中心に描き、その周囲に無数の裸体の男性が描かれています。この周囲の裸体の男達が何を意味しているのかは未だに分かっておらず、現代においても様々な解釈がなされています。得意とした彫刻さながらの描き方がなされており、カンジャンテと言う技法を用いる事で、特に中心の部分を際立たせる事に成功しています。

ミケランジェロは存命中から高く評価されており、伝記まで出版される程でした。彼は存命中から偉人のような扱いを受けていたと言って良いでしょう。彼の死後、裸体の彫刻や絵画は不道徳の対象とされ、作品に筆が加えられることもありました。如何に芸術が時代に左右されるかという事が思い知らされます。

終わりに

ウフィツィ美術館は、メディチ家の栄華と華やいだルネサンスを知る事が出来る美術館です。混雑必須ですが、一度は行ってその隆盛に思いを馳せてみたいですね。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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