カピトリーノ美術館:丘の上に立つ世界最古のローマの美術館

ローマには7つの丘がありますが、その中で最も神聖な場所として知られるのがカピトリーノ美術館のあるカピトリーノの丘です。ここは、かのミケランジェロによって設計整備された広場のほか、馬像や市庁舎があり、ローマ市民にとって憩いの場であると言えます。カピトリーノ美術館は、世界で最も古くから一般公開されている美術館として知られ、現在は市営の美術館として運営されています。一体どのような美術館なのか見て行きましょう!

カピトリーノ美術館とは?

ローマ市内の7つの丘の中で最も神聖な丘と言われ、一番の高さを誇っているのがカピトリーノの丘です。ミケランジェロが整備設計した広場があり、広場からはローマ市内を一望する事ができるため、ビュースポットとして人気です。市庁舎もあり、ローマ市民にとっては憩いの場です。

カピトリーノ美術館は、人々に一般公開された美術館として世界で最も古いとされ、1471年までその歴史を遡る事が出来ます。広場に向かって右手にあるカピトリーノ美術館(コンセルヴァトーリ博物館・カピトリーノ絵画館)と、左手にある新宮を併せてカピトリーノ美術館と呼ぶことが多いです。収蔵品の多くは、教皇シクストゥス4世がローマ市民に寄贈した物から成り立っています。政治的には失政の多い教皇とされましたが、ルネサンス芸術を大成させる原動力を作った人物でもあります。

カピトリーノ美術館

カピトリーノ美術館の収蔵品とは?

カピトリーノ美術館は、ミケランジェロによって整備されたカンピドーリオ広場を取り囲むように建てられています。向かい合う左右の建物は地下通路によって繋がっていますが、入場は右手側のカピトリーノ美術館からのみとなっています。両施設とも著名な彫刻や陶器などが展示され、ローマの歴史を感じる事が出来ます。カピトリーノ美術館3階の絵画館では、16世紀から18世紀の絵画を中心に展示しています。観覧時間に特に制限は無く、カフェもあるのでゆっくりと鑑賞出来るでしょう。

果たしてどのような収蔵品があるのでしょうか?早速見て行きましょう!

オリジナル

〈マルクス・アウレリウスの騎馬像〉

皇帝マルクス・アウレリウスの青銅騎馬像。正確な著作年や著作者は不明です。外の広場中央にはレプリカが設置され、オリジナルは博物館の中に展示されています。オリジナルはサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ教会近に設置されていたと言われていますが、1538年にこちらへ運ばれて来たそうです。レプリカは1997年に作られた物です。

広場のレプリカ

皇帝マルクス・アウレリウスの軍人姿を象った物で、元々の姿は金メッキによって作られた黄金の姿であったと言われています。現在でもその一部が残され、かつての姿を僅かに想像出来ます。皇帝マルクス・アウレリウスは哲学に精通した皇帝として知られ、晩年には自叙伝とも言うべき哲学書「自省録」を発行しており、哲人皇帝として名を残しています。先帝の娘婿として皇位を継承したものの、長期化したマルコマンニ戦争で国力を低下させてしまい、最後には戦地で亡くなりました。

(Public Domain /‘Romulus and Remus’by Peter Paul Rubens. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

〈ロムルスとレムス〉1612年ピーテル・パウル・ルーベンス

こちらは、ピーテル・パウル・ルーベンスによって1612年描かれた情景豊かな作品です。

ルーベンスはバロック期に活躍した画家で、肖像画を始め風景画、歴史画など様々なジャンルの絵画を残し、当時から彼の絵は貴族の間で大変評価を得ていました。また、彼は外交官としても活躍し、七ヶ国語を操る事ができたようです。イタリアでの芸術修行は即座に彼の作品に影響を及ぼし、特にミケランジェロの作風に影響されたと言われています。

ロムルスとレムスは、軍神マルスと前王の娘レアの間に誕生した双子です。レアの父である前王は、現王アムリウスによって追放されてしまいます。さらにアムリウスは、王位の正統後継者となりかねないこの双子を川に流して殺害せよと命じました。しかし、川に流されたと思われた二人は雌狼に拾われており、狼によって育てられていたのでした。それを発見した羊飼いに引き取られた二人は、すくすくと成長していきます。これは、古代ローマ建国にまつわる神話の一部を絵画にしたもので、雌狼はまるで本物かのように繊細に描かれています。

ルーベンスはイタリアから帰郷して広大なアトリエを作り、製作活動に励みながら多くの弟子を育てました。また、絵画作成以外にも版画や書物の装丁に力を入れ、ヨーロッパ全土に自身の名前と技法を広めました。そして各国で版権を認めさせるというかなりのやり手でもありました。

(Public Domain /‘Rape of Europa’by Veronese. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)〈エウロパの掠奪〉1580年~1585年頃パオロ・ヴェロネーゼ

〈エウロパの掠奪〉1580年~1585年頃パオロ・ヴェロネーゼ

こちらはパオロ・ヴェロネーゼの晩年に作成されたもので、まるで神話の一幕をその場で目撃しているかのような絵画です。

ヴェロネーゼは、ヴェネツィアで活躍したルネサンス期後期の巨匠です。その特徴は幻想的な色使いにあり、マニエリスム様式によって描かれた絵画は物語性が強く、その画面構成から建築物の壮大さや精巧さが分かる、巧みな技法の持ち主でした。14歳のころアントニオ・バディーレの元に弟子入りしたと言われていますが、この時既に才能を開花させていた彼は、師匠から学べることはほとんど無かったようです。人体描写に関してはミケランジェロの影響を受けたと言われます。

エウロパの掠奪は、全能の神ゼウスが美しき王女エウロパに一目惚れし、白い牡牛となってエウロパの前に現れ、それに股がったエウロパをそのままクレタ島に連れ去ったというギリシャ神話を元に描かれた一枚です。エウロパは儚くも美しい女性として描かれ、それを誘惑する牛との情愛を描いています。

『カナの婚礼』

ヴェロネーゼは、色鮮やかで且つ情景的に描く事を得意としており、水彩の他にインクやペンなど多くの画法を使い分けていました。名作「カナの婚礼」は、イタリアがナポレオンから攻略された際に奪われる程の名画でした。その後イタリアに返還されるも、修復作業中に失態を犯してしまい物議を醸します。

ヴェロネーゼは存命中からヴェネツィア絵画界の巨匠として知られ、多くの弟子を輩出しました。

終わりに

広場から景色を楽しむ事ができ、美術館だけではなく観光スポットとしてもうってつけの場所です。また、観覧時間に制限もないのでゆったりと芸術品に触れたい場合にはおすすめの場所です。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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