ボローニャ国立絵画館:ボローニャ派有名作家の絵画・彫刻を多数コレクションする美術館

ボローニャ国立絵画館はイタリア・ボローニャにある美術館で、19世紀に開館しました。コレクションは当時の教会・修道院にあった宗教画が中心で、そのほとんどが13世紀~18世紀頃に描かれたものです。また、同じ敷地内に美術アカデミーを併設しており、多くの現代アーティストが生まれています。それでは、ボローニャ国立絵画館の歴史と所蔵品について詳しく解説していきます。

ボローニャ国立絵画館とは

ボローニャ国立絵画館は、イタリアのボローニャ大学の北にある美術館です。建物は1728年~1735年に、ボローニャの建築家アルフォンソ・トレッジャーニが設計した、教会・祭壇画のギャラリー・美術アカデミーの複合施設として作られたものです。

国立絵画館となった現在も、建物内には美術アカデミーが併設されており、数々の画家・現代アーティストを輩出していることから注目を集めています。

ボローニャ国立絵画館の所蔵品

ボローニャ国立絵画館の所蔵品は、18世紀末にナポレオンによって廃止されたボローニャの教会や修道院から集められた作品と、ナポレオン退位後にフランスから取り戻した作品が中心です。

13世紀~18世紀頃のボローニャ派と呼ばれるボローニャ地方やエミリア地方の画家の宗教画を多くコレクションしており、展示室は30室もあります。

そんなボローニャ国立絵画館にはどんな所蔵品があるのでしょうか。主要な作品を3点ご紹介します。

(Public Domain /‘Massacre of the Innocents’by Guido Reni. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

《嬰児虐殺》1610年頃グイド・レーニ

本作品は1610年頃に、ボローニャ派に属した画家グイド・レーニによって描かれました。

グイド・レーニは1575年にイタリア北部のボローニャで生まれました。マニエリスム系の画家であるデニス・カルファートに弟子入りして数年間修行したのち、1594年に「カラッチ一族」の絵画学校に入学します。

1601年頃にはローマでアンニーバレ・カラッチの工房で働き始め、ファルネーゼ宮殿の天井画制作にも参加しました。ローマには10年以上滞在し、ローマ教皇や枢機卿からの絵画注文を受けて絵画制作を行います。なかでも、パラヴィチーニ=ロスピリオージ宮殿の天井画はレーニの代表作として有名です。

パラヴィチーニ=ロスピリオージ宮殿の天井画

40代になると自由で穏やかな生活を望むようになり、故郷ボローニャで暮らすようになりました。その後は没年までほとんどボローニャを離れることはなかったと伝えられています。

本作品はレーニがボローニャのサン・ドメニコ大聖堂のために制作した作品です。マタイの福音書にある「新たな指導者であるキリストが誕生したことを知り、ユダヤのヘロデ大王がベツレヘムの2歳以下の男児を全て殺害させた事件」をモチーフに描いています。悲劇的な内容ですが、8人の大人と8人の子どもをうまく配置してあり、構図の見事さでも評価の高い作品です。

《聖母子と雀》1615年~1616年頃グエルチーノ

本作品は1615年~1616年頃に制作された油彩作品で、バロック期の画家・グエルチーノことジョヴァンニ・フランチェスコ・バルビエーリによって描かれました。

グエルチーノは、1591年にボローニャ近郊の小都市チェントという村で生まれました。絵画の技法はほぼ独学で学んだにも関わらず、バロック初期の画家ルドヴィコ・カラッチに認められるなど、ボローニャ派を代表する画家となっていきます。王侯貴族・ローマ教皇・枢機卿からの人気も高く、巨大なキャンバス画やフラスコ画、天井画など多くの絵画依頼を受けました。

絵を描くのが早く多作なことでも有名な人物で、教会に描いた大きな祭壇画は106点、その他にも約144点の絵画を残しています。没後も文化人から高い評価を得ますが、19世紀の半ばになると近代美術の盛り上がりとともに忘れられていきました。しかし、20世紀半ばに再び評価されるようになり、近年は大規模な展覧会が開催されています。

本作品で描かれているのは聖母マリアと幼子イエスで、二人はマリアの指にとまった小鳥をじっと見つめています。

鳥が描かれる場合、キリスト教における受難の象徴・アザミの実を食べることから、ゴシキヒワという種類の小鳥が選ばれることが多いですが、タイトルを見るとこの絵で描かれているのは雀のようです。穏やかな母子の日常の一場面を切り取ったような構図ですが、なにかメッセージがあるのでしょうか。

2:57-『聖母子と雀』

《聖チェチリアの法悦》1513年頃ラファエロ・サンティ

本作品は1513年頃に制作されたもので、現在ボローニャに残る唯一のラファエロ作品です。

ラファエロ・サンティは、1483年にウルビーノ公国で宮廷画家の息子として生まれました。ラファエロ自身も家族と共に宮廷で生活しており、マナーや社交性をこのときに養ったと考えられています。しかし、両親と死別したことから孤児になり伯父が後見人となりました。

その後、ウンブリア派の画家ペルジーノのもとで修業を積み、独立後も注文をうけて絵画制作に精を出します。転機となったのはフィレンツェを訪れた際、レオナルド・ダ・ヴィンチなどの最先端の美術にふれたことでした。ラファエロは再び修行期間に入り、より複雑なポーズで生き生きとした人物画を描くようになります。1508頃になるとラファエロはローマで自身の工房を作り、ここを拠点に制作を行うようになりました。工房には50名以上の弟子がいたとされており、ラファエロの作品にも手を加えていたことが分かっています。

本作品はエレーナ・ドゥリオリ・ダッロリオという女性が、教皇レオ10世を介して、当時人気作家であったラファエロに注文したものです。中央で法悦の表情を浮かべているのが聖チェチリアで、左に聖パウロと福音書記者聖ヨハネ、右に聖アウグスティヌスと聖マグダラのマリアが並んでいます。

もともとボローニャのサン・ジョヴァンニ・イン・モンテ教会にありましたが、1798年にナポレオンがフランスへ持ち帰りました。そのとき絵の剥がし方が乱暴だったために状態は悪かったのですが、修復作業を繰り返すことで現在は比較的良い状態で見ることができます。ナポレオン失脚後の1815年にフランスから返却され、ボローニャ国立絵画館のコレクションに加わりました。

おわりに

ボローニャ国立絵画館はボローニャ派の芸術を存分に楽しめる美術館です。ナポレオンに持ち去られた作品も多く展示されており、その絵画が辿った数奇な運命を知ることもできます。ボローニャに訪れた際は一度立ち寄ってみてはいかがでしょうか。少し建物が分かりにくいので、事前に地図でチェックしておくことをおすすめします。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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