ローマ国立近代美術館:イタリア国内で最大のコレクション数を誇る芸術の宮殿

ローマ国立近代美術館は、ローマの中心地からも近いボルゲーゼ公園内にあります。近代・現代の美術を専門としており、イタリア国内では最大のコレクション数を誇る美術館です。「芸術の宮殿」と呼ばれるほどの荘厳な雰囲気があり、美術品だけでなく建築物としても見応えがあります。そんなローマ国立近代美術館の歴史と所蔵物について詳しく解説していきます。

ボルケーゼ公園

ローマ国立近代美術館とは

ローマ国立近代美術館はローマ・ボルゲーゼ公園内にある美術館です。公園周辺にはボルゲーゼ美術館やヴィラジュリア美術館もあるため、年間を通して多くの観光客が訪れます。

1883年に設立し、1911年に現在の建物がイタリアの著名な建築家チェザーレ・バッツァーニによって設計されました。荘厳な雰囲気が特徴的で、「芸術の宮殿」と呼ばれています。

企画展はコンテンポラリーアートを中心としており、大きな空間を利用した斬新な大型作品では宮殿の雰囲気とのギャップも楽しめます。また、館内にはカフェもあるため、ゆったりと休憩をはさみながら鑑賞することが可能です。

ローマ国立近代美術館の所蔵品

ローマ国立近代美術館では、19世紀から20世紀かけてのヨーロッパ絵画や彫刻作品を中心にコレクションしています。近代・現代美術館としては、イタリア国内で最大のコレクション数です。常設展示ではイタリア人アーティストの作品を数多く展示しており、イタリア美術の変遷を知ることができます。

そんなローマ国立近代美術館のコレクションにはどのような作品があるのでしょうか。中でも主要な所蔵品を3点紹介します。

《人生の三階段》1905年グスタフ・クリムト

本作品は1905年に、世紀末ウィーンを代表するグスタフ・クリムトによって描かれました。

グスタフ・クリムトは1862年にオーストリアで生まれた画家です。1876年からウィーンの美術工芸学校で学んだのち、1880年頃に弟エルンスト、友人フランツ・マッチュと美術・デザインの請負を行うアトリエを設立しました。劇場の壁画や天井画を制作する劇場装飾の仕事を中心に請け負うようになり、ウィーンのブルク劇場の装飾では金功労十字賞を授与されています。

しかし、1892年に弟エルンストが死去したことにより一旦制作を絶ちました。数年後に制作を再開してからは、保守的な美術家組合を嫌った若手芸術家グループ「ウィーン分離派」の初代会長を務め、モダンデザインの台頭を後押しします。その後1910年代からは作品数が減っていき、1918年ウィーンで脳梗塞と肺炎により生涯を閉じました。現在はウィーンのヒーツィンガー墓地に眠っています。

クリムトの作品は金箔などを多用した平面装飾的な画風と、明確な輪郭線を用いた描写が特徴で、表現主義の先駆者と呼ばれました。『人生の三階段』はクリムトの有名作品の中で唯一イタリアに常設されており、女性の幼少期・若年期・老年期を描いた作品です。美しい若年期の女性・幼少期の無邪気な少女・醜い姿の老年期の女性がそれぞれ対照的に描かれ、人物の周りには独特な色使いの装飾がほどこされています。

《Grande Composizione A》1920年ピエト・モンドリアン

本作品は1920年に、抽象絵画の巨匠ピエト・モンドリアンによって描かれました。

ピエト・モンドリアンは1872年にオランダのアメルスフォールトで生まれました。両親は厳格なプロテスタントで、1670年初頭にデン・ハーグに住んでいたクリスチャン・ダークズン・モンドリアンの子孫だと伝えられています。幼少期に郊外へスケッチに出かけた経験が絵画に興味を抱くきっかけとなり、1892年からはアムステルダム国立美術アカデミーで学びました。卒業後もオランダで作画活動を行っていましたが、美術展でキュビスムの作品に感銘を受けたことからパリへ行く決心をします。

しかし、1914年に父親が病気だという知らせを受けてオランダに帰国すると、そのまま第一次大戦が始まったためパリへ戻ることが出来ませんでした。その後、戦争中にオランダで知り合ったテオ・ファン・ドゥースブルフが立ち上げた前衛運動に参加し、芸術雑誌「デ・ステイル」の創刊メンバーとなります。ピエト・モンドリアンは「デ・ステイル」の芸術理論でもある「新造形主義=抽象的な絵画」の発展に大きく貢献しました。第二次世界大戦時にアメリカへ移動してからは街並や音楽に大きく影響を受け、それらに対する気持ちを表現した、明るく、ぬくもりを感じるような抽象絵画を描くようになります。

ピエト・モンドリアンの作風はその時期によって大きく異なるのが特徴です。写実主義や印象派のようなタッチ、キュビズム、新造形主義というように移り変わっていきました。抽象絵画の可能性を探求するようになってからは様々な実験を行い、次第に水平・垂直の直線と3原色で構成される作品《コンポジション》の作風が確立します。《Grande Composizione A》はそんな《コンポジション》の中の1作です。

4:04-『Grande Composizione A』

《泉》レプリカ1960年代マルセル・デュシャン

本作品は1917年にマルセル・デュシャンが制作したレディ・メイド作品のレプリカです。

マルセル・デュシャンは1887年にノルマンディー地方セーヌ=マリティーム県で生まれた美術家で、20世紀の美術界に大きな衝撃を残した人物です。幼少期に兄の影響で絵を書き始め、高校卒業後はパリに行きアカデミー・ジュリアンで学びました。初期は油絵を専門としていましたが、1911 年のグループ展で出典作の題名変更を求められるなどの批判を浴びると、それ以降油絵はほとんど制作しなくなりました。

第一次大戦中にアメリカへ渡ってアトリエを設けてからは、フランスとアメリカを行き来しながらコンセプチュアル・アートなどの現代アートを手掛けるようになりました。なかでも、既製品に少し手を加えただけの「レディ・メイド」と呼ばれるオブジェを数多く制作しています。

《泉》は既製品の男性用小便器に「R. Mutt」という署名と年号が書かれ、「Fontaine」というタイトルが付けられた作品です。マルセル・デュシャンはこの作品で1917年にニューヨークで開催された独立芸術家協会の公募展に応募しましたが、委員会から展示を拒否されます。この公募展は手数料を支払えば誰でも出品できるものであったため、大きな物議を醸しました。このスキャンダルはデュシャンが意図的に引き起こしたものだと言われており、のちに「現代アートの父」を呼ばれるきっかけとなります。その後、オリジナル作品は消失しましたが、1960年代にはデュシャン本人が委託し17点のレプリカが作られました。本作品もそのレプリカの1点です。

スコットランド国立美術館『泉』紹介動画(ローマ国立近代美術館のレプリカではない)

おわりに

ローマ国立近代美術館は近代・現代のアートが充実している美術館です。美術館のあるボルゲーゼ公園も、広大なイギリス式庭園をゆったり散策できるのでおすすめです。ローマを訪れる機会がありましたら、是非お立ち寄りください。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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